第9話 裏港ジュダヴェルニの潮騒(しおさい)
ジュダヴェルニ。それは、霧の港クリフヘイヴンのメインストリートから遠く離れた、腐敗した静寂に包まれた埠頭だった。魔導灯の光が届かないこの裏港は、組合の支配を嫌った密漁師や、日陰の取引業者たちが集う場所であり、常に真の闇が支配していた。
「ふぅー、ここがジュダヴェルニか。えらい匂いやな。潮の香りに薬物、腐敗臭、ゴミのサラダボウルやな」
ソラは、簡素な黒の羽織の襟を立てながら、潮風が運ぶ生臭い匂いを嗅いで言った。
疲労が残るレンとアインは、荒涼とした埠頭に立ち尽くした。ここは、これまでの逃走で駆け抜けた裏路地よりも、深く、秩序の監視から隔絶された世界だった。
「衛兵どころか、聖霧騎士団の巡回兵もいませんね」
アインが周囲を見渡しながら、冷静に状況を分析した。
「せや。ここは、この街の綺麗じゃないもんが集まる、古びた風俗街みたいな場所やからな」
ソラは、錆びた鉄骨に寄りかかりながら言った。
「ほなルタオの契約漁師、ザガンを探そか。 最高の『 海の至宝』にありつくための第1歩や」。
レンは唇を噛みしめた。彼らの親友ジョシュは、ここに手伝いへ行った直後に白塔騎士団に捕らえられた。
「クリフヘイヴン漁業組合が、この街の魚の流通を支配しているって聞いたことがある。ここは大丈夫なのか?」
レンが言った。
「ここは大丈夫やねん。 ベルナード港が、あいつらの絶対的なシマでな。漁獲量や値段を不当に吊り上げ、獲れた魚介のうち良いものは積極的に街の外に流しとる。おかげでクリフヘイヴンの食卓には偽物の『美味い』ばっかが並ぶねん」
「やけど、ここジュダヴェルニは都合の悪いもんを押し付けるんに最適みたいやな。ゴミ箱を積極的に見に来るやつはおらんやろ?そういうことや」
ソラは皮肉げに笑った。
ソラはクリフヘイヴンの 非合法な港湾エリアの地図を広げた。
「このジュダヴェルニは、組合の銭ゲバなルール に嫌気が差した漁師たちが、非公認で獲物を捌く場所や。ザガンもその一人やった」
「ザガンさんが、超超希少食材(虚空の霧鮑、星の血を引く海老、幻影の虹魚) を獲ったせいで、組合に目をつけられたとしたら...?」
アインが核心を突いた。
「可能性は高いな。最高の食材を横流しして私腹を肥やそうとする連中が絡んどる。組合が邪魔なザガンを消そうとしとるんは当然やろな」
◇
彼らは、さらに奥まった、廃棄された漁具や木箱が積み上げられたエリアへと進んだ。建物は潮風で黒ずみ、3m先を見通せないほどの濃い影が落ちている。
ソラは立ち止まり、背後の暗がりに向かって声をかけた。
「おい、そこ。そんなゴミ溜めで隠れとらんと、出てきたらどうや。そないに組合のお零れが欲しいんか?」
沈黙。しかし、レンにはすでに強烈な殺気が空気中に漂っているのがわかった。彼は戦闘経験はないが、敵意の存在だけは確実に察知できるようになっていた。
「来たで」ソラの声が低く響いた。
倉庫の陰から、三人の男が現れた。彼らはジュダヴェルニで活動する組合の用心棒たちだ。全員が粗末な装備ながらも、革のベストの下には硬質な装甲が見える。
そのうちの一人、リク・ファウル が短剣を抜きながら、ニヤリと笑った。
「へぇ、噂の騎士団から逃げたガキどもと不審者1匹 が、こんな奥まで来るとはな。お前らがここに何しに来たんだ?」
リクは、レンとアインを指さした。
「ゾーイの命令だ。ここで始末させてもらう。」
ソラは、二人の前に立ち塞がることなく、わずかに横へ退いた。
「なはは、ちょうどええ感じのやつらが出てきたな。」
ソラはレンとアインに振り返り、挑戦的な笑みを浮かべた。
「ええか、自分ら。『逃げる』ための技術は、『戦う』ための基礎や。そいつら、騎士団のおっさんらと違ごうて、ただのドブネズミ以下のゴミや。ザガンの居場所聞くついでに、戦闘訓練させてもらおや。ええ筆おろしになるで。」
レンとアインの手のひらは汗で濡れていた。彼らにとって、初めての本格的な戦闘が、裏港の闇の中で、今まさに始まろうとしていた。




