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異世界恋愛

仮面の魔女と月の魔物

作者: 楠瑞稀




 ベロニカは、ツキに見放された女である。


 母親の腹から出て来たときからして、臍の緒が首に絡まり息も絶え絶えだったらしいし、そのせいか幼少期はすぐに熱を出して寝込むほど病弱だった。


 ちょっとは丈夫になったかという少女時代には、癇癪を起こした妹に突き飛ばされ暖炉に倒れ込み、顔の半分が焼け爛れると言う目にもあった。

 その頃には両親は、寝込みがちでとろくさいベロニカより活発で要領のいい妹の方がたいそう可愛くて、妹は軽く注意されただけで終わり、その後はすぐに笑いながら遊び回っていた。

 焼け爛れてしまった顔のベロニカには、もう嫁の貰い手もないだろうと、両親はツテを頼ってとある高齢の魔女にベロニカを弟子入りさせることにした。


 幾ばくかの金を貰ってベロニカを弟子にした魔女は、偏屈で気難しい性格だった。

 ベロニカはやれ飯を作れ、掃除をしろ、腰を揉めと、弟子というよりは使用人のような扱いを受けていたが、それでも少しずつ魔女の技を覚えていった。

 婢女のようにこき使われながらも何とか十年耐えたベロニカは、最後の試験もやり遂げ、後は魔女の名を継ぐ良い日取りを待つばかりであった。


 しかしそんな折、厳しい修行に嫌気が差し家出をした魔女の娘が帰ってきた。

 魔女は世襲制だ。

 娘はベロニカより一回り以上年上で、今から修行をやり直したとして物になるかは分からなかった。だが、自分の娘に魔女の名を継がせたいと言うのは親心なのだろう。

 ベロニカは弟子入りした時に親が払ったいくばくかの金を返され、追い出されてしまった。




 そんな事になっても、ベロニカは「ああ、またか」と思うだけである。

 生まれてこの方、ツキに見放され続けて来たベロニカにとって、生憎、大抵の不幸は慣れたものだった。


 当てもなく歩き続けたベロニカは、そこそこ栄えたある町に腰を落ち着ける事にした。 

 家族の元に帰ることはしなかった。

 両親から立派な魔女になるまで決して帰って来るなと、きつく言い含められていたからだ。


 その町はほど近くに森があったので、薬草や食べられるキノコや木の実などを取って売れば、何と飢えずに済みそうだったのだ。

 ベロニカは、名さえ継げなかったが、独り立ち出来るだけの魔女の技は納めている。

 だが、名を継いでない魔女が、勝手に魔女の技を振るうと魔女協会から恐ろしい報復を受けると言う。

 魔女協会の許しを得れば新たに魔女の名を得る事は可能だが、その為にはとんでもない額の上納金を納める必要があった。


 そんな金もなければ、魔女協会に楯突く度胸もないベロニカだったので、薬草やキノコを取るくらいならお目溢しを貰えるだろうと、細々とした暮らしをして食い繋ぐことにしたのだった。


 そうやって新たな暮らしを始めたベロニカだったが、その生活は幸福に満ちたものとはいかなかった。

 何しろ、ベロニカの顔は半分焼け爛れている。顔を見せれば悲鳴を上げられるし、子供には石を投げられる。

 仮面で顔を隠していれば、今度は妙なものでもあるかのような怪訝な目で見られる。

 だがそれでも、偏屈な老婆に婢女のようにこき使われながら、最終的に報われない暮らしをするよりもよっぽどマシだと、ベロニカはベロニカなりに日々の暮らしを受け入れて過ごしていた。


 そんな日々が幾月か過ぎた頃、万霊節の時期が迫った。

 万霊節には月の門が開き、そこから飛び出した悪魔や化け物が人の世に溢れかえると言う。

 そのため悪しきモノ達に目を付けられないよう、誰もが仮装をしたり、仮面を被ったりする。

 つまり、焼け爛れた顔を仮面で隠さなければならないベロニカにとって、唯一悪目立ちせずに済む日なのだ。

 森の奥で魔女の老婆に弟子入りしてからは、麓の村の祭りにさえ滅多に顔を出す暇もなかったが、それでも万霊節はベロニカにとって、一年で一番楽しみな日でもあった。

 ベロニカは、自分の心が浮き立つのを止められなかった。


 そして、とうとう待ちに待った万霊節の日が来た。

 ベロニカは、この街に来て初めて、人目を気にする事なく外に出た。

 ベロニカを見るたび、化け物と言って石を投げる子供はベロニカに目もくれず楽しげに駆け回っているし、いつも客足が落ちると嫌な顔をする揚げ物屋はベロニカが買った菓子におまけをつけてくれる。ベロニカが取ってきた薬草を買い叩く薬屋も、笑顔で挨拶してくれる。

 ああ、毎日が万霊節なら良いのに、とベロニカは埒もない自分の考えに苦笑するのだった。

 そうやって、まるで普通の女の子にでもなれたような気持ちで街を散策するベロニカに、声をかける者がいた。


「そこのミステリアスで魅力なお嬢さん。良かったら、この町を俺に案内してくれないかい。今朝、この町に来たばかりなんだ」


 ベロニカは、最初それが自分にかけられた言葉だとは思っていなかったが、「聞いてる? お嬢さん?」と肩を叩かれて、ようやくそれが自分に向けられた言葉だと理解した。


「あら、それ私に言っていたのね」

「君以上に、仮面が似合う女性はこの町にはいないだろう? まるでもう十年以上被り続けているかのようだ」

「褒め言葉として受け取っておくわ」


 男の人に町中で声を掛けられた事なんて、生まれて初めてのベロニカである。

 もし、普段のベロニカであれば、この男性が後から騙されたと思わずに済むよう、予め断りを入れていただろう。それが自分にと、相手にとっても最善だと疑いもせず。

 だが年に一日だけ、この万霊節の日だけは、ベロニカは自分に浮かれることを許していた。


「いいわ、今日だけは特別よ。年に一度の万霊節の日だもの。町を案内してあげる。私も、そこまで詳しいわけではないけれど」

「ありがとう、お嬢さん! 仮面が似合うだけでなく、惚れちまいそうなくらいに親切だ」


 男は芝居掛かった手を広げ、大仰な礼をすると自己紹介する。


「おれはロルフ」

「ベロニカよ」


 そうして、ベロニカはロルフに街を案内して回った。

 人付き合いも碌にないベロニカだから、評判の飯屋も言わずと知れた名所も、噂として小耳に挟んだだけで実際に訪れるのは初めてだ。ベロニカ自身、ロルフに劣らずそれらを楽しんだ。


 ついでに言えば、ロルフは随分と気前が良く、しかも男前だった。

 見掛ける露店は手当たり次第、次から次へ買い物をし、当然のようにベロニカにも奢ってくれる。時には高価な買い物もぽんと即決で支払い、まるで無限に金貨の湧き出るポケットでも持っているかのようだった。


 ロルフの手足は長く、胸板も厚い。洒落者らしく服は晴れの日であっても些か派手過ぎるくらいであったが、金の掛かった洒脱な装いが不思議なほど似合っていた。

 万霊節の日らしく、目元に入れた赤い化粧は艶っぽく、どうやって作ったのか尖った耳と小さな牙、そして頭から生えた二本の角がミステリアスだった。

 ベロニカはそんな男の事が、なんだかとても気になり始めていた。


 やがて日も暮れ、街中に飾り付けられたランタンの灯りがロマンティックに周囲を照らす。

 そんな景色を眺めながら、初めて入る小洒落た小料理屋で普段は飲まない酒なども嗜んだりしたものだから、ベロニカは良い感じに酔っ払ってしまっていた。


「ああ、しまったな」


 そんな中、ロルフがわざとらしく言う。


「昼のうちに、何処かで宿を取るつもりだったのに、楽しすぎてすっかり忘れちまった。今からでは、何処も埋まってしまっているだろうに」


 出会った時からこの男は身軽な様子だった。

 ロルフの言うように今朝、この街に着いたばかりの旅人なら持っているはずの荷物はなく、宿に置いてきていないのであれば、旅人であることの方が嘘であり、どちらにしても男はとんだペテン師であるのは間違いない。


 だが、もはやベロニカはそんなことどうでも良かった。


 ロルフがどんな悪人であろうと、それこそ男慣れしていないベロニカを揶揄って弄ぼうとしている詐欺師でも、ベロニカの極少ない財産を根こそぎ盗もうとしている泥棒であっても、構わない。

 ベロニカはまるで普通の少女のように、はにかみながらも、ツンと澄まして言った。


「仕方ないわね。私ももう少し飲みたい気分だし、そんな事情なら特別泊めてあげるわ。その代わり、狭くて貧相でも文句は言わないことね」


 そしてベロニカとロルフは、ベロニカの家に来た。

 ベロニカの家は本人が言うように、狭くて貧相であったが、綺麗に片付けられている。

 森の香草や花が干して吊るしてあったり、端切れを縫い合わせて作ったカーテンやベッドカバーが彩りを与えていたりと、暖かで居心地が良い部屋だった。


 そんな部屋で、二人は再び杯を重ねる。

 店にいた時と違い、言葉少なに酒を飲み下すだけの時間は、しかし不思議と落ち着く心持ちがした。

 杯が何度空になった頃だろう。

 ロルフが不意にベロニカに手を差し出すと、立ち上がった彼女を力強く抱き締めた。

 そしてロルフの手が彼女の仮面にかかり、それを外そうとした時、ベロニカは夢の終わりが訪れた事を知った。

 ベロニカは男の手を抑えると、そのまますっと身を引いた。


「ごめんなさい……。仮面の似合う魅力的な女なんて、どこにもいなかったの」


 幸せな時間がただの夢だったと気付いた朝ほど、やり切れない目覚めはない。

 ベロニカは空虚な胸の痛みを、俯くことで何とか誤魔化す。


「ここにいるのは化け物みたいに醜い女よ。どうか素敵な夢を、夢のままで終わらせて」


 今夜はこのまま部屋に泊まって良いことを告げる。部屋を荒らされても、何か盗まれても、ベロニカは構わなかった。

 だが、ロルフを置いて部屋を出ようとしたベロニカの手を掴む者がいた。


(ああ……)


 耐え切れず自ら逃げ出そうとしたが、どうやらそれすら許しては貰えないらしい。

 これまでも、好奇心からの面白づくで、ベロニカの仮面を剥ごうとするものはいた。

 そして、その後の反応についてもベロニカは熟知していた。


 焼け爛れた半面を持つベロニカ。

 その面相は、何の覚悟もなく覗き見れば衝撃を受ける者がほとんどだ。

 その上で、ベロニカの顔に怯え竦んだ己を認められ無い者が向けてくるのは、嘲笑か、謂れのない暴力のどちらか。

 だが、それよりもベロニカには耐えられない事があった。


「おや、これは……」


 ベロニカの素顔を目の当たりにしたロルフは、わずかに眉根を寄せる。

 ベロニカはぎゅっと唇を噛み締めた。


 悍ましいと罵声を浴びせられるのは慣れている。

 醜い顔を見せるなと暴力を振るわれることも構わない。


「化け物なんて、何処にもいないじゃあないかい。ここにいるのは可愛いお嬢さんだ」

「お為ごかしの言葉はいらないわ……っ」


 ベロニカはロルフをキツく睨みつける。

 ベロニカにとって我慢ならないのは、可哀相にと憐れまれること。大丈夫だよと、優しく励まされること。


 生まれてこの方、ツキに見放され続けたベロニカだけれど、ベロニカはベロニカなりに毎日を精一杯生きてきた。

 ささやかな幸せを喜び、日々に楽しみを見出し、過ごす。


 確かに不運に塗れた人生ではあったけれど、誰かに可哀想にと憐れまれる筋合いはないと信じていた。

 乗り越え、飼い慣らしてきた不幸を勝手に無かったことにだって、されたくなかった。


 つまるところベロニカは、たいへん辛抱強いと言うだけで、その実極めて我の強い女でもあったのだ。


 そんなベロニカを見て、ロルフの口の端がむにむにと動く。大変愉快なモノを見ておきながら、笑いを堪えているかのような口の動きだ。

 ロルフはゴホンと咳払いする。


「なにを言うのやら。確かにその火傷の痕は痛々しいな。だがまあ、それはそれだ。気になるようなら、こうして片目でも瞑っておけばいい」


 そう言って、ウィンクでもするように片目を閉じる。

 そのあまりに身も蓋もない言い様に、さすがのベロニカも呆気に取られた。

 そして段々に腹立ちも憤りも通り過ぎて、何やらおかしくなってしまった。思わずくすくすと笑みを溢すベロニカに、ロルフは再度手を差し出す。


「さて、せっかくだ。もう少し楽しもう。何しろ私はここの家主から直々に、自由に過ごして良いとの許可を貰っている」


 ロルフは洒落っ気たっぷりに言った。


「万霊節の夜は、まだまだこれからなのだから」




 ベロニカは窓から差し込む日の眩しさに、目を眇めながら起き上がる。

 いささか飲み過ぎたようで、頭が重くてぼんやりする。

 だが、気分は然程悪くなかった。


(うん、なかなかに良い夢だったわ)


 洒落た色男と夜を過ごすなど、ベロニカの人生ではあり得ないこと。

 たとえそれが一夜の幻だとしても、ベロニカの日常に稀有な彩りを与えたことには間違いない。

 名残を惜しむように目を閉じ、楽しかった夢の時間を噛み締めていたベロニカは、素っ頓狂な叫び声に何事かと視線を向ける。


「しまった、寝過ごした! 完全に門が閉まってる!」


 そこには寝癖がついていても変わらず洒落者な男が、焦った表情で窓の外を見ている。

 万霊節の熱に浮かされた時には、完璧な伊達男に見えたロルフだが、日を跨いだ今日は、幾分か親しみやすい雑さがある。

 そして、昨日は実に本物らしかった角や牙、尖った耳は、朝日の下ではチャチな偽物に見える……はずなのが、ますます生身のそれに思えてしまうのは何故だろうか。


 信じられない思いでまじまじと彼を見るベロニカの前で、ロルフは深々とため息をついた。


「仕方がない。あと一年、何処かで適当に遊んで暮らすか」


 そうして彼が無造作にズボンの隠しを探ると、ジャランジャランと泉から溢れる水のようにいくらでも金貨がこぼれ落ちた。


 それを見たベロニカは、唖然とするあまりに、まるで石のように固まった。

 だがそれも一瞬のことで、即座にロルフに駆け寄ったべろには、こう言ったのだ。


「そのお金、私に貸して!」




 

 

 万霊節の夜が明けた時点で、ロルフはベロニカに対する興味をだいぶ削がれていたようだが、ベロニカはロルフにしがみついて離れなかった。

 齧り付かんばかりのあまりの剣幕に、ロルフは半ば呆気に取られていたが、ベロニカの要望に応えることにした。


 大だらいに山盛りの金貨を手に入れたベロニカは、その足で魔女協会に赴く。そこで彼女が行ったのは、新たな魔女としての名乗りを認めてもらうことだった。

 

 襲名ではなく、新たな魔女として名乗りを上げるなど、長い歴史を持つ魔女協会においても滅多にあることではない。

 ベロニカが魔女と名乗るに充分な技を納めているとしても、そうと認めることを魔女協会は渋っていたが、ベロニカは諦めなかった。


 今回を逃せば、二度とベロニカに好機が巡って来ることはない。

 ツキに見放され続けてきたベロニカには、それが分かっていた。だからこそ、こんな千載一遇の好機を、逃すわけにはいかなかったのだ。


 時にはのらりくらりと、時には高圧的に言い逃れようとする魔女協会と、たっぷり半年以上戦い続けて、ベロニカはついに魔女の名を手に入れた。

 そんなベロニカの攻防を、手助けすることはせずただ面白そうに、ロルフは横で眺めていた。


 そうして魔女となったベロニカは、まずは実家に顔を出すことにした。

 “立派な“魔女になれたかは分からないが、取り敢えず顔のひとつでも見せてやろうと思ったのだ。

 家族に対する思い入れは、とっくに溶けて消えていたベロニカなので、どうだと見返しに行くという方が正しいが。


 だが、どういう訳か。ベロニカの生まれ育った家には誰もいなかった。

 売家となったそこを引き払い、彼らがどこに行ったのか。ベロニカはあえて探そうとは思わなかった。

 その代わり、何だかんだで住みなれたその家を、ベロニカはロルフから借りた金貨の残りで購入した。

 もちろん、縁起の悪い暖炉は、とっとと埋めしまったが。



 さて、その後のベロニカであるが、相変わらずツキに見放され続けたままだった。

 魔女協会から睨まれているわ、腹の立つ客ばかり訪れるわ。

 だが、魔女の技を振るうことを許されたベロニカだ。元からの辛抱強さもあり、なんやかんやと上手くやっていた。


 そしてさらにどういう訳か。移り住んだベロニカの家に、ロルフもまた付いてきた。

 ロルフは魔女として暮らし始めたベロニカの仕事を手伝う事はないし、時折りふらっと姿を消し、何日も帰らなかったりと、たいそう気まぐれに過ごしていたが、ベロニカにとっては大金をポンと貸してくれた恩人である。

 何より、自分を見下すこともせず、こき使うこともせず、ただそばにいてくれる存在がいることは、何だか良いものだとベロニカは感じるようになっていた。

 一方のロルフがどう思っているのかは分からないが、毎年万霊節の翌朝になると、寝過ごしたと叫んでいるので、恐らくそういうことなのだろう。


 ツキに見放され、月にしがみついたベロニカは、こうして今はそれなりに幸せに生きているのである。

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