第1話「夜の屋台、嘘のはじまり」
夜には、真実と嘘の境目が甘くなる。
結城紅葉は小さな屋台の明かりの下で、今日も一つだけ嘘を編む準備をしていた。
「どんな嘘が欲しい?」
声は細く、しかし頼られると強く光った。
屋台の奥には、古びた木製の箱がひとつ。中には小さな懐中時計、壊れかけのガラス玉、色とりどりの香料。紅葉は指先でそれらを軽く触れながら、依頼者の顔を思い浮かべる。
「――今日の依頼は……誰かな」
夜の街に、ふっと足音が近づく。
少年だった。蒼月圭。真剣な眼差しで紅葉を見つめている。
「……あの、お願いがあるんです」
声が震えていた。息を整えるように小さく頷くと、紅葉は手を伸ばし、少年の言葉を受け止めた。
「一度だけ、父さんと普通に話せたら――それだけでいいんです」
圭の瞳には、長い間押し込めてきた孤独と希望が混ざっていた。
紅葉はゆっくりと頷く。
「わかった。24時間だけの嘘ね」
彼女の指先から、淡い光が零れ落ちる。光は静かに、しかし確かに、現実の空気を震わせた。
時計の針が深夜を指す。
小さな屋台の明かりの下で、少年と少女の物語は動き始める――嘘と願いの、24時間の奇跡が。
だが、その嘘は小さな波紋を生むに過ぎなかった。
父の口からこぼれた言葉は、予想もしない誤解を呼び、町に静かな混乱を巻き起こす――。
紅葉は知っている。
嘘は人を救うかもしれない。
しかし、嘘は必ず、誰かに傷を残す。
「嘘――、今日もまた編むね」
紅葉は小さく微笑んだ。夜の街に、ほんのわずかな温もりが広がる。
――24時間だけの嘘屋の、一日が始まった。