八十六話 100と1の葛藤
体を熱のない炎が包み込む。
いや、実際には周囲を焼け焦がす程の熱量なんだろうけど。
無理矢理ネックレスを引きちぎったミナは、なんとか踏み止まり香守りを睨み付ける。
「また形勢逆転ね。終わりよ、人拐い」
「な、お前……なんで生きてるんだよぉ!」
「御生憎様、私は自分の身体能力を強化できるのよ。魔人の技なんだっけ?これ」
なんでもない風に装うミナを見て、香守りは後退る。
当然だ、目の前にいるのは魔人と同じ能力を使う少女。
しかも間違いなく怨まれている。
実際にはミナの強化は魔人のソレには遠く及ばず、あの電撃を食らえば致命傷だったろうが、それを不死の王で回復したのだが、不死の王の事をわざわざ言う必要はないと判断したんだろう。
「ちくしょうがッ!!こんな所で殺れて……グッ!?」
香守りは腰からナイフを引き抜きミナを襲おうとした……が、ミナの纏っている炎は魔法剣炎竜召喚程ではないが、容易に近寄れる温度ではない。
「……お前は、ここで殺しておかなきゃならない」
傾国の魔女は冷えた目で呟く。
手に輝くのは、蒼い炎の塊。
香守りは怯え後退ろうとするが、後ろは既に壁だ。
なのに……ミナはなんで撃たない?
「殺さなきゃ……いけないんだッ。これ以上、誰かが同じ目に合う前に……!」
必死に自分に言い聞かせるように彼女は叫ぶ。
それでも、魔法は彼女の手の中だ。
「飛んでよ……。お願いだから……!」
最早、それは懇願に近い。
「ミナ、どうし……」
「ククク、あっはっは。ビビって損したぜ。お嬢ちゃん、どうやら本物の勇者みてーだな」
突如、香守りが笑い出す。
コイツ、ミナが先祖返りか何かなのかと勘違いでもしてたのか?
「どういう事だ?」
「ア?勇者の禁忌っつってな。勇者にはそれぞれ自分の中で絶対にやっちゃいけねー事がある。元の世界での風習みたいなもんだ。ソイツはたまたま、人殺しができないんだろうな」
香守りがそう言うとミナの口元が悔しそうに歪む。
「そうよ。でも……お前だけは殺さなきゃ!」
「殺れるモンならやってみな。んじゃ、あんまゆっくりしてる暇は無さそうだし、俺は行くぜ。もう会う事がなけりゃいいな」
そう言って香守りは踵を返して奥へと進む。
そして、ミナは目に一杯の涙を貯めて叫んだ。
「……ぅ、っああぁー!!」
普段の可愛らしい声ではなく、必死に絞り出した瀕死の獣のような咆哮。
それにより、炎の魔法は前には飛んだが、狙いは出鱈目だ。
「ハッ。そんなの当たる訳ねぇ……だ……」
余裕を持って振り返る香守り。
だが、その言葉は最後まで続かなかった。
いや、続けさせなかった、と言うべきか?
香守りの腹からは一振りの剣が生えていた。
魔剣ミヅキ
刺してから、ミナから貰った剣で人を傷つけて良かったのか?と思ったが、ちょっと遅い。
「おまっ……ごふッ!な……」
「何を言ってるかよくわからないが……騎士が人殺しを躊躇うハズがないだろう?」
コイツはオレの存在を本気で忘れていたのだろうか?
腹を貫いた魔剣ミヅキを引き抜き、そのままミナの放った蒼い炎を切り払う。
直撃はしなくてもミナの魔法だ。
どんな威力があるのか、わかったもんじゃない。
「……あ、リュート?」
ミナが呆けたように呟き両膝を付く。と、同時に後で人が倒れる音が聞こえた。
「リュート……ごめ、私……」
「落ち着け、落ち着け。大丈夫か?今回もミナに助けられたな」
ミナに近寄り、両肩に手を置く。
「私……殺せなかった。駄目なのに……そうしなきゃ駄目なのに……!!」
「駄目なんて事はないさ。ミナができない事はオレがやる。気にするな」
「リュートは……気にならないの?」
人殺しが。
だろう。
別世界のミナにはオレ達とは別の常識や倫理があるんだろうな。
……てか、別にこの世界でも誰彼構わず手にかけるのは良くない事だけどさ。
ただ、騎士として育ったオレは人を守る為に人を傷付けるのは躊躇わない、それだけだ。
「そういう風に育てられたからな」
それだけ言うとミナはオレの体に手を回し嗚咽を漏らす。
「泣くな」
「泣いてない……!」
どう考えても泣いてるんだが……。
そうこうしてるウチに後続の傭兵達も到着し、ミナは何もなかったかのように立ち上がり香守狩りは終わった。
大金と名声と……少しの傷を残して。
◆
「兄ちゃん!まだ開いてるか!?」
「はい!今日は朝までやりますよー!!」
酒屋の若い店主が新しい来客迎える。
その声は非常に弾んでいて嬉しそうだ。
そりゃそうだよな。
すでに深夜だというのに酒場の席の大半は埋まっている。
この時間にしては異常な客入りで、店主の朝までやる。と言う発言は予期せぬ大繁盛に答える為だ。
雇われならともかく、これを嬉しく思わなければ商売人ではない。
「また人がきたね~」
「まぁ、僕らもここでお酒飲んでるんだから人の事は言えないんだけどね」
「みんな臨時収入があったのさ。装備に気を使う冒険者と言えど、今日くらいは財布も緩みっぱなしだろう」
ケーファーとルーシーは何も知らずのんびりと会話をしている。
他の冒険者同様臨時収入を得たオレ達は今日は少し贅沢をしようと適当な酒場に出たはいいが、考える事は皆、同じ。
お陰で街はお祭り状態だ。
普段ならもう閉じているような飲食店でさえ、看板を上げている。
香守狩りの報酬を考えれば無理もないけどな。
オレ達でさえ、金貨100枚。一人頭25枚の大金。
お陰で好きに食べれるケーファーとルーシーは大喜びだ。
……それに引き換え。
オレは自分の左隣に座る魔女に目を移す。
魔女は、この華やかな席なのにどこかつまらなさそうに、ちまちまとジュースを飲んでいる。
「ん、どしたの?リュート」
それでいて、こう気丈に振舞うから性質が悪い。
「楽しんでるか?」
「うん、ここ美味しいね」
そう言って笑う。
うん、笑うんだよなぁ……。
お前、オレにそんな素直に笑いかけないだろ。
いつも無表情か、睨み付けてくるか。
本当にたまーに笑ってくれて、それがすごく嬉しくて可愛く思うけど、今のは違う。
香守りの件では最悪嫌われるかと内心冷や汗を掻いたが、どうやら変な方向に拗れてしまった。
「仕方ないか。ケイ、ルーシー。悪い、払い頼む。ちょっとミナ借りてく」
「ん?お金はリュートから貰ったのがあるからいいけど、どうしたんだい?」
「恋人同士のお話」
「……はぁ!?」
お、適当な誤魔化しだったんだが、ミナは良い反応をしてくれた。
「もぅ、リュートはすーぐ勝手に行動するねー。でも、ミナも元気なかったし、いっか!」
「え?ミナ元気なかったのかい?」
「普通よ、普通!」
「ケーファーは鈍感だからねー、あはは」
どうやらルーシーもミナの様子がおかしいのには気づいていたらしい。
ていうか、ルーシー……いい加減、人前でケーファーの名前をそのまま呼ばないで欲しいです。
これは何度言っても覚えて貰えない。
「ほら、ミナ、行くぞ」
「ちょっと、待って、リュー……私、まだお腹空いてる!」
「そりゃさっきから、ほとんど手付けてなけりゃ腹も減るだろ」
「うぅ……」
思いつきの言い訳も役にたたず、ミナはオレに手を引かれ外に出る。
「あぁ、もう!リュートはいっつも勝手なんだからぁ!」
なんて店を出る時に叫んでた言葉は、いつもの彼女だった。
「で、何」
「何って、リュートが連れ出したんでしょ」
「明らかに普通じゃなかったからな」
「……普通でいられる訳ないじゃない」
ここに来てミナはやっと愚痴を零す。
「人が死んだのなんて……初めて見た」
「恐いか?オレの事」
そう聞くとミナは、ぶんぶんと首を振る。
「リュートが恐いなんて有り得ない!でも、そうじゃないの……理屈じゃないの。嫌だったの。そうしなきゃ駄目だってわかっても……」
「オレ達は騎士じゃない。人を相手にする事は滅多にない。でも……たまにはあるんだ」
今回の様な犯罪者の鎮圧は、避ける事はできる。
けど、盗賊や夜盗はこっちの都合なんて構ってくれない。
「わかってる。……ううん、わかってたつもりだった。覚悟、決めたハズなのよ。私、最初は魔獣倒すのも嫌だったの。でも、元の世界に変える為に割り切るつもりだった。でも、駄目ね。魔獣はなんとかなっても、人を手にかける事はできなかった」
そこまで言うとミナは真っ直ぐ此方を見つめる。
「お願い……します。リュート、私を守ってください」
……本人は非常に真面目なつもりなんだろうが、違和感がすごい。
「言われなくても守る。だから、普通にしてろ。今更置いて行ったりしないから」
「ん、良かった。はぁ、何かいろいろあって疲れた。帰る」
「……立ち直り早いっすね」
「まだ立ち直った訳じゃないよー。明日には戻ると思うけど」
結局、溜まっていた物を吐き出しただけでミナはいつも通りになった。
本人曰く、まだもやもやするらしいけど、変に気を張らなければ大丈夫だろう。
ミナはオレの腕に絡みつき、そのまま宿へと帰る。
「リュート、ほら寝るよ」
「……やっぱり一緒のベッドなんすね」
「何よー、いいじゃないの」
「まぁ、いいけど……。なんか甘えてないか?」
「んー……」
いや、いつもミナは仄かに甘えてきてくれている気はするけど、ここまであからさまなのは今までになかった。
「今日は無理。なんか、もうリュートを頼るって決めちゃったから気張れない」
らしい。
しかし、いつものミナよりも逆らいにくい気がする。
ベッドに入ると、そのままミナは抱きついて胸に顔を埋めて来る。
「眠い、おやすみ」
「あぁ、おやす……って、ん!?」
ベッドの心地よさに意識を取られそうになる……と不意に唇が塞がれた。
「えへへ、おやすみなさい」
塞いだ本人は、そう言うとさっさと布団の中に潜った。
何かいつもと違うミナに翻弄されている気がする。
あぁ、今日は本当に疲れた一日のハズなのに、オレは寝れそうもない。
結局、朝になるとミナはいつもの調子に戻っており、オレが積極的に甘えてくるミナを見る事はしばらくの間なかった。