七十五話 1と100の価値観
「ふぅ……。終わったよ。お疲れ様、ケルロン」
乾かしてふさふさになったケルロンに抱きつく。
あー、気持ち良い……。
ケルロンは洗われるのは、どうやら好きではないようだけど、体を魔法で乾かす時は気持ち良さそうにする。
そして、乾かし終わった時の、もふもふ感はとっても気持ち良い。
洗い終わっちゃった……か。
何かしてると変な事、考えずに済むのに。
「振られても……一緒に旅くらいできるよね?ケルロン」
なんて聞いてもケルロンが答えを知っているハズがない。
そのまま、ケルロンに寄りかかって、ぼーっと空を見上げる。
こんなに良い天気なのにいまいち気分は晴れない。
そんな事を考えていると気づけば足音が近くから聞こえ、そちらを向く。
「リュート!?」
驚いて反射的に一歩後ずさるとリュートが手を握る。
「逃げんな!」
……!
別に逃げて……なんか……っ!
「返事……するから。今」
リュートは私の肩に手を置いて顔を真っ直ぐ見つめてくる。
って、近い近い!!
「返事って、い、今!?や……ちょっと……」
「オレは自分の気持ちもよくわかってなかった……いや、今でもわからないのかもしれないけど……」
すごく真剣な顔。
間近で、そんな表情を見せられて自分の心が、トクントクン高鳴っているのがわかる。
うー、なんなんだよー。
私にも心の準備ってものが……。
「オレは、ミナが好きだよ」
その言葉で頭の中をぐるぐる回っていたものが全て吹き飛んだ。
嬉しくて……嬉しいのに照れてリュートの顔をまともに見れない。
まずい、泣いちゃいそうだ。
肩に置かれてる手に力が入る。
少しだけ痛いけど、リュートも緊張してるんだと思うと心地良い。
「だからさ、ミナ。オレの…………婚約者になってくれ」
私に……断れるハズがないじゃない。
「リュート、私、嬉し……って、へ?」
……。
今、なんて言った?
婚約?
結婚を前提としたお付き合い……とは少し違うのかな?
何が違うのかわからないけど。
リュートも私の事が好き。
細かい事が、どうでもよくなるような事実だけど、流石に結婚までは考えた事はない。
私、学生です。
……学生には戻らない可能性が高いけど。
「あの……さ。うん、すごく嬉しい。嬉しいんだけど……まだ、ちょっと早くないかな?」
「早いっていうと……つまり」
うん、うん。
まずは普通に恋人同士からの付き合い……時間が立てば改めて婚約でも……。
「交換日記……とか?」
その言葉に私は思わず吹き出した。
こっちの世界にもあるんだ、びっくりだ。
古すぎる。
「そうじゃなくて……恋人とか?」
なんで疑問系なんだ、私。
駄目だ。恥ずかしくて、いつも通りに話せない。
「恋人って……好き合う人同士が気ままに出掛けたり遊んだりするアレか……?」
「ん、うん!そうそう。まだ私、結婚とかよくわからないから……」
「なぁ、ミナ」
気づくとリュートは、さっきとは違った意味で真剣な表情になっている。
ちょっと怖い。
「ミナはオレとの事は、遊びだったのか?」
「どうしてそうなるのよ……!?」
「恋人って、遊びなんだろ?」
「や、違っ……」
何これ。
世界観の違い?
でも、これまでにも恋人同士の人は居たよね?
「ミナは相手がオレじゃ嫌か?確かに……ミナは相手には事欠かないと思うけど……」
「嫌じゃないっ。ていうか、そんな話してない!ただ……結婚なんて考えた事もなかったのよ」
リュート以外だなんて冗談じゃない。
「なら婚約してから、ゆっくり考えたらいい。別にすぐに結婚しなくてもいいさ」
「そうだけど……そうじゃなくて……あぁ、もう!なんなのさ、いきなり!」
「えー。これでも真剣に考えて来たんだけど」
「わかってるわよ。嬉しいもん」
「えー」
私はリュートが好き。
リュートは私が好き。
なのに、なんでここまで話が通じないんだろう。
「つまり、ミナはオレと結婚するのが嫌なのか?」
結婚が嫌か……って言われると、少し困るけど素直に言うなら……。
「よ、喜んで……?」
「どういう事だよ!?後、なんで疑問系なんだよ!」
「好きな人に言われて嫌な訳ないっ。恥ずかしいんだ、バカ!」
そう。
結婚してくれって言われた方がまだ良かった気がする。
とにかく婚約って言葉は私の今までの生活とは縁遠い。
「ちょっと……時間が欲しいの」
婚約を結ぶまでの時間。
そういう意味で言ったつもりだったんだけど、リュートは少し違う意味で解釈したみたいで、頭を掻きながら目を反らす。
「そうだな……。ちょっと熱くなりすぎた。また、後で落ち着いたら話そう」
そう言って村の方に歩き出す。
私は何も言えずにリュートの後ろを少し離れて着いていった。
今までも、リュートと言い合いになる事はあったけど……。
こんな風に喧嘩したのは始めてだった。
◆
「ごめんね、ランディ。いきなり」
「いや、足もまだうまく動かせなくて退屈だったから良いんだが……どうかしたのか?」
村に入ってリュートと別れた……こほんっ。
リュートと別々に歩いた私はどうしようか迷った挙句、ランディのいる客室に来ていた。コレットは遊びに行ってるみたい。
「んー、一人で居ると考えすぎちゃいそうで」
「……程々にな。ていうか、リュートはどうしたんだ?」
そう聞かれて私は何も言えなかった。
「なるほど。リュートと何かあったのか」
「ごめん」
「何。謝る事じゃない。代わりに何があったか話して見ろ。アイツとの付き合いは長いから力に成れるかもしれん」
「んー……」
話しちゃおうか?
でも迷惑じゃないかな。
そんな風に考えているとランディはお見通しとばかりに豪快に笑う。
「リュートから家族になるのは断られたと聞いたがな。同じ屋根で同じ食事をした仲間だ。家族同然。遠慮はいらねぇよ」
「家族……。そっか、ありがと。あのね……」
私もランディが困っていたら助けると思う。
だから家族同然と言われて、自然に受け入れる事ができた。
最初から……本当に最初から話した。
リュートに告白して、返事を待って、リュートも好きって言ってくれて……それなのに言い合いになった事を。
「やっぱり、この世界の人とは価値観が違うのかなぁ」
「いや、そんな事はない。俺達とミナの思う『恋人』は、ほとんど同じ意味だろう。違うのはリュートの立場だ」
「立場……?」
溜め息を吐く私にランディは納得いったとばかりに自信ありげに答えた。
「あぁ。俺達にとっては婚約なんて身近にある言葉じゃない。精々、長年の付き合いの恋人同士の物だ。だけど、アイツは違うんだよ。今でこそ気ままに商人をやっているが、元は騎士の名家の次男。貴族に近い立場だ」
貴族……そういえばリズも婚約者がいるって言ってたっけ。
「貴族側からしたら、恋人って言うのは結婚するまでの自由期間での付き合いなんだよ。元にリュートにも婚約者は居たしな」
「嘘っ……過去形でいいのよね?」
「フェトム家を飛び出したリュートに価値はないからな」
びっくりした……。
後、安心した……。
あからさまに、ホッとした私を見てランディがニヤついてる。
「でも、商人になる前のリュートって子供でしょう?」
少なくとも今の私より年下だったハズ。
「成り上がりの貴族の一人娘だっけな?リュートの家はかなり借金があったって聞くし、向こうは代々優秀な騎士の家系である名誉が欲しかったんだろうな。親同士が決めた物なんてそんなもんさ」
そういえば、リュートのお兄さんは近衛騎士の団長だっけ。
それが、どのくらいすごいのか、わからないけど並大抵の努力でなれる物じゃなさそうだ。
「だからさ……アイツにって俺達の恋人は、もっと軽い意味なんじゃないかな?」
「……そっか」
立場の違い。
考え付かなかったけど、言われて見れば、その通りなのかもしれない。
私だってリュートに軽く扱われたら嫌だ。
そんなつもりはなくても、リュートにとっては、そういう意味だったのかな。
なら、婚約者でもいいかな?
まだちょっと抵抗はあるけど、そう思える。
「ありがとう、ランディ。私、リュート探してくる」
「おう、頑張れよ」
扉に向かうと入れ違いにコレットが入ってきた。
「あれ、ミナお姉ちゃんいたんだ」
「うん。おかえり、コレット。ちょっとランディにお話があったの」
「ただいまー。そうなんだー。リュートもね、お話があるってミナお姉ちゃんを探してたよ!」
「ほ、本当に?リュートがどこにいるのかわかる?」
「さっきは広場にいたよー」
そう聞いた瞬間、コレットに短くお礼を言って広場に走る。
広場には、いつも通り遊んでる子供達と……誰かを探すようにキョロキョロと辺りを見回してるリュートがいた。
探してる相手が私だと思うと嬉しくなってくる。
歩いて近づくとリュートも私に気づく。
十分声が届く距離になると私達はお互いの話も聞かずに勝手に話し出した。
「ミナ!」
「リュートッ」
「オレは、お前が」
「私はアンタがっ」
「「好きだ!」」
直後、人目を引いて、すごく恥ずかしかったのを私はずっと忘れない。
それ以上に感じていた嬉しさと一緒に。