ユリオ・フェンリス
今のところ、自分の立場には特に不満はない。
いずれは破綻する運命にあるとはいえ、皇子との関係も今は良好だし、他の攻略対象たちとも程よい距離感を保てている。リリスに至っては、もはや言うまでもない。
では、何が不満なのか?
それは――この「悪役令嬢あるある」とでも言うべき、ボリューム満点の金髪縦ロールである。
陶磁器のように白い肌、やや吊り上がった瞳に長く濃いまつげ。高く整った鼻筋と形の良い唇。加えて高身長に豊かなバスト。
……正直、前世では考えられなかった完璧な容姿だ。そこに文句をつける気はない。
だが、この金髪縦ロールだけは話が別だった。
美しさを維持するためには、使用人たちが毎日時間をかけ、丁寧に手入れをしなければならない。それがどれほど面倒なことか。
前世でも身なりに気を遣わなかったわけではない。最低限は整えていたし、清潔感も保っていた。ただ、長髪は邪魔だったので肩のあたりで切り揃えていたのだ。
まさか、ここに来て「髪型」に苦しめられるとは……。
だが、そのすべての思考を吹き飛ばすような存在が現れた――。
――
今のところ、私の立場には不満ばかりが募っている。
いずれは結ばれる運命にあるはずの皇子とは、今や疎遠。
他の攻略対象たちとも距離を詰められずにいる。これがエレノアの策略であることなど、もはや疑う余地もない。
では、何が私にとっての好機なのか?
それは、まさに“乙女ゲームあるある”とも言える、攻略キャラクターとの特別なイベントの数々。
皇子との運命的な出会い。優秀な魔術士との急接近。忠誠を誓う騎士との邂逅。
……そのすべてが、ことごとく彼女に潰されてきた。
正直、前世では悶えながら何度も繰り返しプレイした、憧れのイケメンイベントばかり。
だからこそ、今の私は焦りを隠せない。
私だって、攻略対象にアピールするためには、あらゆる手段を使い、時間をかけて心の隙に入り込まなければならない。その努力がどれほどのものか。
前世から身なりや仕草には細心の注意を払い、メイクやファッションにも妥協せず、常に美しさを磨いてきた。
……それなのに。
ここに来て、まさか「金髪縦ロール」に苦しめられることになろうとは――。
しかし、そのすべてを凌駕する存在が、ついに現れたのだ。
――
くしゃっとした茶髪に緑の瞳、小麦色の肌に少し着崩した制服……。
「えーっと……フェルミア出身のユリオ・フェンリスといいます。どうぞ、仲良くしてください」
このような場でのご挨拶には、まだ不慣れなのだろう。けれども、初日とあれば緊張してしまうのも無理はない。
そこに教師の声が続く。
「フェンリスさんは優れた身体能力と高い音楽的素養を持ち、推薦により本学園へ入学されました」
「よろしく!」
ぺこりと頭を下げたユリオ。しかし、それに対するクラスメイトたちの反応は冷ややかだった。
「よろしくって言われてもなあ……」
「庶民出身なんだろ?僕たちとは住む世界が違うっていうか」
「それにあの肌の色。まさか奴隷出身ってオチじゃないよな?」
クスクスと笑い声が漏れる。
なんだ?この空気は。たった少し見た目が違うだけで、なぜこんな風に見下される?
「ちょっと……」
委員長のシャーロットが立ち上がりかけたそのときだった。
「ちょっと皆様! それ以上は聞き捨てなりませんわ!」
凛とした声が教室を貫く。間に入ったのは、エレノアだった。
「庶民出身だから? 肌の色が違うから? そんなつまらない理由で人を貶めるなんて、貴族として恥ずべきことですわ。貴族たる者、誇りを持って生きるべきでしょう? それとも、自分より下だと思っていた相手が推薦で入学したのが、そんなに悔しいのかしら?」
彼女の声は静かでありながら、ひとつひとつの言葉に力がこもっている。
「今一度、ご自身の姿を省みることですわ。それでもなお、彼を笑うというのなら──この学園の判断を笑うことと同じですのよ? 彼の才能を認め、選んだのはこの学園。その判断が間違っているというのなら、選ばれた私たち全員の存在も否定することになりますわね?」
静寂が教室を包んだ。
先ほどまでユリオを見下していた生徒たちは、気まずそうに視線を伏せていた。
「それでもなおご意見があるのなら――私がお相手いたしますわ」
エレノアの毅然とした言葉に、教室は静まり返る。誰一人、反論の声を上げる者はいなかった。
「す、素晴らしい意見ですね!さすがヴァレンシュタインさん。皆さん、仲良くしましょうね!」
空気を和ませようと、教師が慌ててフォローを入れる。
「ありがとうな、くるくる!」
場の緊張を吹き飛ばすように、ユリオがにっこりと笑って言った。
「くっ、くるくる……!?」
「だって、髪がくるくるしてるだろ?だからくるくる!」
……痛いところを突かれた。
「私は、エレノア・フォン・ヴァレンシュタインですわ!くるくるではありません!」
「ユリオ・フェンリスって……もしかして、ユーリ?」
突如、そのやりとりに割り込んできたのはリリスだった。
「お前、リルか!?」
懐かしさと驚きが入り混じったような声が、ユリオの口からこぼれた。
何か聞き覚えのある雰囲気だと思ったら――ああ、リリスが以前話していた「攻略対象の幼馴染キャラ」じゃない!
「ずいぶん可愛くなったな。最初、誰だかわからなかったぞ!」
「ユーリこそ!あんなに小さかったのに、こんなに立派に成長するなんて思わなかったわ」
再会を喜び合い、楽しげに笑い合う二人。その光景は、まるで昔に戻ったかのよう。
「え、ええと……お二人は、どのようなご関係で?」
今後のためにも、相手のキャラクターを把握しておきたい。そう思って探りを入れる。
「前にもお話ししたと思いますけれど……もうお忘れ?改めてご紹介しますわ。彼は私の幼馴染、ユーリ・フェンリス。私は親しみを込めて“ユーリ”と呼んでいますの。小さい頃からの付き合いでして――もっとも、私が引っ越してしまってからは、しばらく会えていませんでしたけど」
「お前も“ユーリ”って呼んでいいぞ!助けてくれたからな。えーっと、エクレア・ボン・タンバリン?」
「エクレアではありません!エレノアです!」
悪気はないとわかっているだけに、強く怒れない。無邪気なその笑顔が、逆に悔しい。
「ふふっ、面白い子ね、ユーリ」
そう――彼こそ、待ち望んだ存在。
この笑顔が見られるのも、今のうちよ。覚悟しておきなさい、エレノア。