ヴァエリオン
「…このように、魔法陣や杖を使わずとも、俺ほどになれば召喚は可能になる。コツは——“願い”を込めることだ。強く、純粋にな。それが届けば、向こうから自ら名を名乗ってくる。それで契約は成立する」
そう語りながら、ヴァイルは擦り寄ってきたネザールの頭を優しく撫でる。
その仕草に、生徒たちから感嘆の声が漏れた。
「おお……!」
やはり噂は本当だった。
心を許した相手には、揺るぎない信頼を捧げる人なのだ。
ネザールの穏やかな様子を見ていれば、それがよく分かる。
「さて……皆にとっては、これが初めての召喚となる。だから今回は、魔力を込めた特製の杖を用意した。まずはこれを使って、正式な召喚の儀式を行ってもらう」
教師は重厚な杖を片手に、一歩前に出て告げた。
「では最初は、グリューネヴァルト皇子。魔法陣の上にお立ちください」
静かな風が吹き抜ける石畳の広場。円形に描かれた古代文字が刻まれた魔法陣の中心へ、皇子は迷いなく歩み出た。空は高く晴れ渡り、周囲には緊張と期待が満ちている。
皇子は立ち止まり、ひとつ息を吸い込むと、澄んだ声で呪文を紡いだ。
「我が意志に応じ、古の契約の環よ目覚めよ。空と地の狭間に眠る者よ、名を告げよ──ここに現れ、我が影となれ。汝の名は──インフェリス!」
瞬間、空気が震えた。魔法陣がまばゆく輝き、突風が巻き起こる。空が焦がされるような閃光とともに、紅蓮の羽が天に咲いた。
それは――フェニックス。
炎を宿したような翼を大きく広げ、鳴き声とともに天高く舞い上がる。
「さすが皇子だわ〜」
「すごいな……!」
見守っていた生徒たちから感嘆の声が次々とあがる。
「おめでとうございます、皇子。さすがこの国の若き太陽。見事にフェニックスを召喚なさいました」
教師の声は、どこか誇らしげだった。
炎の化身・インフェリスは、光を纏って大空を舞いながら、召喚主の頭上へと優雅に旋回する。その姿は、まるで伝説そのものだった。
「次は――フィオレンティーナ君、前へ」
「はい」
自信に満ちた笑みを浮かべ、リリスが一歩前に出る。
心の中では、隣に立つエレノアに向かって勝ち誇るように呟いた。
『見てなさい、エレノア。誰よりも美しい使い魔を呼び出してみせるんだから』
そして、リリスは両手を広げ、高らかに詠唱を始めた。
「我が意志に応じ、古の契約の環よ、今ここに目覚めよ。
空と地の狭間に眠る者よ――名を以て姿を示せ。
汝、我が影となりて、この身に従え。
その名は――ルミナ!」
現れたのは──ペガサスだった。
「フフン。どうよ、エレノア。今の気分は?さぞ悔しいことでしょう」
誇らしげに胸を張るリリス。しかし、ルミナの様子がどこかおかしい。鼻息が荒く、目が据わっている。
「ルミナ?」
リリスが近づこうとしたそのとき、
「危ない! 離れろ!」
ヴァイルの叫びが飛ぶ。
リリスが手を伸ばしかけた瞬間、ルミナが突如として暴れ出した。
「ひゃあっ!」
リリスは情けない声を上げ、その場に尻もちをつく。
「行け、ネザール!」
ヴァイルの号令と同時に、黒蛇のような召喚獣ネザールが素早くルミナの体に巻きつき、その動きを封じる。
「何?」
「どうなってるの?」
周囲の生徒たちがざわめく中──
「落ち着きなさい!」
教師が声を張り上げ、場を鎮めようとする。
私は、先ほどから感じていた“違和感”の正体に思い至る。ルミナは、何かに怯えているようだった。
ペガサスは純粋なる存在だ。本来ならば、光の魔法を操るリリスに応えるのは自然なことだった。だが、おそらく彼女の内に潜むわずかな闇に触れてしまったのだろう。
そっと歩を進める。
「エレノア、危ないぞ!」
レオナード皇子が私の手を取ろうとする。
「大丈夫ですわ」
私は微笑んで彼を制し、ルミナの鼻先に手を伸ばした。
「怖くありませんわ。もう大丈夫。あなたを害する者はおりません」
その言葉に、ルミナの体から力が抜け、静かに膝を折る。同時にネザールも締め付けを解き、ふっと姿を消した。
「ありがとう、ヴァレンシュタイン君!」
教師がようやく近づいてくる。さっきまで遠くから見ていただけのくせに。
「何てことありませんわ」
「見事だった」
ヴァイルが笑顔で私に声をかける。その笑みに、胸が少しだけ高鳴った──いけない。私にはレオナード皇子という婚約者がいるというのに。
「なんで、なんでよ……! あそこはペガサスを召喚した私に向けられるはずだった称賛なのに!」
リリスは一人、爪を噛みながら地団駄を踏んでいた。
私は静かにリリスに歩み寄った。
「リリスさん、自分の使い魔くらい、きちんと責任を持って世話なさい。ヴァイル様にもご迷惑をおかけしているのよ」
「……くっ」
悔しさを噛み殺すように、リリスが唇を噛んだ。
「……さて、落ち着いたところで授業に戻ろう。次は──ヴァレンシュタイン君」
「はい」
一礼し、前へ進み出た。
私は静かに深呼吸をし、詠唱を始めた。
「我が意志に応じ、古の契約の環よ、いま目覚めよ。空と地の狭間に眠りし者よ、名を告げよ──ここに現れ、我が影となれ。汝の名は──ヴァエリオン!」
その瞬間、まばゆい光が辺りを包み、そこから現れたのは──蒼き鱗をまとった一体のドラゴンだった。
青くきらめく鱗に、黄金に輝く瞳。堂々たる翼を広げたその姿は、まるで神話の一節から抜け出してきたかのよう。見上げる者すべてを魅了する、美しくも威厳に満ちた存在だった。
ヴァエリオンは嬉しそうに空を舞い、力強く旋回する。そして突如、近くの木へと水を放ち、その圧倒的な威力で木は根元から倒れた。
「ドラゴンの使い魔など、見たことがないぞ……」
教師の声には、驚きと困惑が滲んでいた。
「ヴァエリオン……いい名だ」
いつも感情を表に出さないヴァイルでさえ、感嘆の声を漏らす。
かつてない使い魔の召喚。
常識を覆す異例の存在が、今この場に顕現した。
──この先、何が待ち受けているのだろうか。