悪役令嬢誕生
少々問題はあったものの、一通りの案内を終えて教室へ戻ると、リリスが突如として声を上げ、騒ぎ出した。
「ない! ないわ……ハンカチが見当たらないの。お祖母様からいただいた、大切な……あの刺繍入りのハンカチが……。お守り代わりだったのに……」
悲しげな表情をわざとらしく作り、肩を小さくすくめて項垂れるリリス。芝居がかってはいるけれど、彼女なりに必死なのが透けて見える。けれど、それは誰の目にも、すでに滑稽な演技のように映っていた。
「リリスさん、きちんとご自分のところを探されましたの?」
そう問いかけながら、私は自分の制服のポケットに微かなふくらみがあるのを指先で確かめた。そして、それを誰にも悟られぬように、そっと視線を落とす。
「探した!……探しましたわ!」
彼女の声に、思わず口元が緩む。ふふ、キャラクターが崩れる寸前ですわね、智美。
「もしかして、こちらかしら?」
私はゆっくりと、気品ある所作で刺繍入りのハンカチを差し出した。
「それ!」
リリスが目を見開き、身を乗り出す。
「机の下に落ちていましたのよ」
私がそう告げると、彼女の顔に一瞬、不自然な硬直が走った。
「このタイミングで?……不自然すぎるわ。まさか、あなた、盗んで私を困らせようと――」
そうね。あなたがあれこれとご高説を垂れている間に、さっと抜き取っておいたの。驚くほど簡単だったわ。だってあなた、他人の物を奪うことには慣れているのに、自分が奪われることには、あまりに脆弱なのだから。
「まあ、私を疑っていらっしゃるの?」 私は涼やかな微笑を浮かべたまま問い返す。
「そうよ!」
「エレノアさんがそんなことをなさるわけがありませんわ」
「……困らせているのは、むしろ、あなた自身ではなくて?」
リリスがレオナード皇子の件で敵を作りすぎたのだろう。教室の空気が、目に見えるように彼女からすっと引いていくのが分かる。周囲の少女たちの視線が、一斉に冷ややかなものへと変わっていく。
「そんなことをして、私に何の得がありますの?その前に、まず言うべきことがあるのではなくて?」
「な、何を……」
リリスの声がかすかに震えた。
「――『拾っていただいてありがとう』、ではなくて?」
「くっ……ありがとうございます……」
彼女が絞り出すように礼を述べたその瞬間、私は静かに歩み寄り、扇子を音もなく広げる。優雅に、そして計算された角度で唇をほんのわずかに持ち上げ、リリスの耳元へと囁きかけた。
「……その程度の声では、誰の心にも届きませんわ、リリスさん。――いいえ、智美さん」
「~~~っ!」
怒りと屈辱に燃えた瞳で、彼女はこちらを睨みつける。その激しい反応すらも、私にとってはすべて計算のうち。思い通りに操られ、崩れていく姿こそ、私が欲していたもの。
「どうなさったの? このままでは、レオ皇子に不快な印象を与えてしまいますわよ?」
しばらくの沈黙の後、彼女は唇を噛み締めながら、苦悶を押し殺すようにして頭を下げた。
「……ご迷惑をおかけいたしました、皆様。……ありがとうございます。そして、エレノアさん」
――これこそが、悪役令嬢。
誰よりも優雅に、冷静に、そして堂々と場を支配し、主導権を握るその瞬間――人々の視線がすべて自分に集まり、空気すらも思い通りに操るかのような陶酔感――ああ、たまらない。