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揺れる乙女、動き出す盤上

「ロウ先輩……!?」

驚きに満ちた声を上げたエレノアに、青年は穏やかな微笑みを返した。


「やあ、また会えたね」

そう言って、ためらいもなく彼女のもとへと歩み寄る。そして――ふわりと、指先で彼女の髪を一房すくい上げ、優雅にその先端へ口づけた。


「な、何を……っ!」

頬を紅潮させ、思わず身を引くエレノア。その光景に、三人の少年たちは呆然と立ち尽くす。


「…………は?」


最初に言葉を漏らしたのはユリオだった。目を見開き、まるで現実とは思えぬ光景を前に固まっている。


「ヴァレンシュタイン君……これは、まさか恋人関係などでは……?」

ヴァイルは滅多に見せない動揺を滲ませつつ、眉をひそめて静かに尋ねる。


「……ちょっと待て。どういう状況だ、これは」

ガウェインは冷静を装っていたが、握りしめた拳がその感情の揺らぎを物語っていた。


(こ、こんなこと……本当にあるの!?ロウ先輩、なにをやってるのよ……!)


エレノアは内心で叫びながらも、なんとか冷静を装おうとする。


「……先輩っ、冗談……ですよね?」

かろうじて絞り出したその声は微かに震え、言葉にすがるようだった。だが――セシル・フォン・ロウは、まるで彼女の動揺を愉しむかのように、いたずらっぽく目を細めて言った。


「いや、これは再会のご挨拶さ。君の髪は朝の光に映えて、まるで金の糸のようだったからね。つい――ね」

「つ、ついって……!」


言葉を失い、顔を覆いそうになる手を、なんとかこらえるエレノア。 その様子すら愛おしげに見つめながら、ロウは微笑みを絶やさずに続けた。


「でも……照れている君も、やっぱり美しい。まるで――“聖なる乙女”のようだ」

「や、やめてくださいっ!」


限界を超えたエレノアはついに声を張り上げ、くるりと背を向ける。だが足はすぐに動かず、その場に立ち尽くしたままだった。


「……え、えっと……誰か、状況説明してくれないか?」

ユリオがしばたたく目で呟くが、答える者はいない。


「これは……明らかに越権行為だろう」

ガウェインは低く唸るように言い、じっとロウの背中を睨んでいた。


「……ふむ。あの余裕……わざと見せつけているな」

ヴァイルはどこか達観したように、場の空気を観察していた。


そして――

そのさらに背後。誰の視線にも触れない場所で、リリス・フィオレンティーナは木の影からそっと笑っていた。


(まあ……随分と積極的なのね、ロウ先輩)


まるで見てはいけない恋愛劇を目撃したかのように、胸元に手を添え、わざとらしく目を伏せる。だがその心は、静かに蠢いていた。


(けれど……皆の前で、エレノアにあれほどの関心を見せるなんて。ふふ……面白いわ)


唇に浮かぶのは、ほとんど笑みにも似た、冷ややかな線。


(“乙女”だなんて……気取った仮面を被っていても、所詮は男の視線に浮かれるだけの小娘。純真ぶっても、中身は空っぽのガラス細工)


瞳には、冷たい光が宿る。


(よくもまあ、堂々とあれだけの注目を集められるものね。でも――それがあなたの弱点でもある)


ちらり、とその目がエレノアの背中を射抜く。


(そう。光が強ければ強いほど、影もまた濃くなる。ならば、私はその影を――引きずり出してあげるわ)


優雅な微笑みを浮かべながら、リリスはくるりと踵を返す。舞台の袖から劇を操るように、冷静な顔でこの騒動の続きを見据えていた。


(ロウ先輩。あなたが“あの子”に向けた視線――それすらも、利用させてもらうわ。すべて、私の計画の一部として)


その心の奥底には、冷たい炎が灯っていた。


「また会えるのを、楽しみにしているよ。“エリー”」


ロウの落ち着いた声が、最後の追い打ちのように響く。 エレノアは振り返ることもできず、そのまま逃げるように場を後にした。


だが――その頬を染めた熱も、背を貫く冷たい視線も、すべては嵐の前触れにすぎない。


その場には、困惑と怒りを滲ませた三人の少年たち。そして、微笑を絶やさぬまま目を細める“観察者”――リリスの姿が、静かに佇んでいた。


そして――

その場の熱気とは距離を置いた場所で、もう一人の“観客”が、静かに佇んでいた。


学院の回廊の端。

高くそびえる大理石の柱の間から、中庭の喧騒を見下ろすように立つ一人の少年がいた。


その存在に、たまたま通りがかった女生徒が思わず息を呑む。


「――レ、レオナード皇子……っ!」


その声が小さく響くと、次々と周囲の生徒たちが気づき始める。


「皇子が……あの方が、こちらに……?」

「どうしてこんなところに……でも、なんてお美しい……!」


瞬く間にざわめきが広がり、生徒たちは自然と彼の歩む道を空ける。誰もがその気配に息を飲み、誰もが彼を「見ていた」。


レオナード・フォン・グリューネヴァルト――

この国の第一皇子にして、常に静謐と品位を纏う存在。


彼の立つ場所は、まるで舞台の中心であるかのように、自然と空気を支配していた。


風に揺れる金糸のような髪。その視線の先、エレノアの紅潮した横顔が映る。

セシル・フォン・ロウが彼女の髪に触れた瞬間も、その唇を寄せた瞬間も――レオナードは一切目を逸らさず、ただじっと、その光景を見つめていた。


「……なるほど。そういう振る舞いをする男だったか、セシル・フォン・ロウ」

呟きは、低く穏やか。だがそこには、冷ややかな観察者としての鋭さがあった。


「エリー……君は、あのような言葉で心を動かすのか?」


その琥珀の瞳は、少女の動揺と、それに乱される少年たち――ユリオ、ガウェイン、ヴァイル――それぞれの感情を一瞥で見抜いていく。まるで、すべてを掌の上に載せて見下ろすように。


レオナードは静かに腕を組む。そして一瞬、目を閉じ――ふ、と微笑んだ。


「……悪くない。感情というものは、人を魅せ、また乱す。だが――制御できなければ、ただの破綻だ」


それは誰かへの忠告ではない。

あくまで、己への戒め。あるいは、確認だった。


ほんの一瞬。エレノアの頬に浮かんだ、少女らしい“ときめき”と“動揺”。

その機微は、第一皇子である彼の目から逃れなかった。


「……面白い。ロウ、君の意図がどこにあるのかは知らないが……」


風が学院の上を吹き抜け、制服の裾を揺らす。


彼は踵を返す。周囲の空気が彼の動きに反応するように静まり返った。


「……この学園、どうやら思っていたよりも騒がしくなりそうだな」


堂々とした足取りで去っていく彼の背中には、

確かな威厳と、

新たな興味を得た者の静かな情熱が、

静かに、けれど確実に、燃えていた。

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