第五話 青年の苦悩
『それよりさぁガンズ君。最近、街の人の様子変じゃない?』
ユマに来て七日目の朝、剣の手入れをしていた俺に、俺の相棒が問いかけた。奴は狭い宿の部屋に置かれたベッドの上であぐらをかき、窓の外を眺めていた。ゼンが闇市で買って来たエレナという少女は、今はゼンがどこかで知り合ったモアさんと同じ宿の別の部屋にいるはずだ。俺たちの仕事に、さすがに彼女は連れて歩けない。だからゼンは、二人用の部屋を取った。俺たちのものよりもずっと広くて、あそこなら女性でも快適に過ごせるだろうと思う。
俺は問われた事を反芻してみた。街の人々の様子、って、どういう事だろう。俺には普通に生活しているようにしか見えないけど。
『何かわからないけど……なんかに怯えてるように見えるんだよね』
なおも振り返らずにそんな事を呟く相棒に、夕焼けの赤が降り注いでいた。
―――年下とは思えないんだよな…この、人生を達観した表情。
ゼンの髪は闇を映した様な黒で、瞳も同じ色をしている。だからなのか、昔から、闇の中に隠れるのが上手かった。訓練中、夜の山の中でウルスス・アルクトスという獰猛な動物を狩って来るという課題も、あいつは速攻で帰ってきた。しかも、二、三匹を抱えて。信じられる? 体調三メートル、体重三百キログラムもある動物を、いとも簡単にだよ? どうしてそんなに早いのかと問えば、『闇に紛れてしまえば、動物に近づくのも殺すのも簡単だ』と言っていた。今はその黒い髪も黒い瞳も、赤い光の中で少し儚気に見えた。あいつに”儚い”なんて言葉、似合わなすぎるけど。
『……ガンズ君? 聞いてるの?』
『へっはい?』
全然聞いてなかった。いつの間にかこちらに顔を向けたゼンが、わざとらしくため息をつく。
『はー。だから、ちょっと調べて来てって言ったんだけど』
『……は?』
『だから、街の人たちが何に怯えてるのか』
『え!? だってそれって、お前が勝手にそう見えてるだけかも…』
俺が言葉を言い終わる前に、俺は黙るしかなくなった。
『行ってきます!』
俺の真後ろにあった扉を大急ぎで開けて、その扉を閉める。向かえにあった壁には、俺の横をすり抜け、扉を貫通した小さなナイフが刺さっていた。
と、いうわけで、俺は今街の中を彷徨い歩いているわけでして。っとに、人使いが荒い…。や、いいんだよ? 俺が下の立ち場なのはわかってるし。でもさ、調べて来いって言われても、どうやって聞けばいいと思う? まさか、「元気ないみたいですけど、どうしました?」とか聞けるわけないし…。あーもう、絶対こういう仕事、あいつの方が上手いのわかってるくせにさ。
街の中心に向かってふらふら歩いていると、俺はある事に気がついた。
―――確かに、あいつの言ってる事って当ってるかも…。
前から歩いて来る人の表情を良く見ると、皆心なしか青ざめている。街の中心に行けば行く程、その割合が多くなっている。足早に、何かから遠ざかろうとしているようにも見えなくもない。
―――なんかあるのか? あの広場に…。
中心には、大きな広場がある。そこに、俺は昨日まで確かに無かった何かの舞台のようなものを見つけた。広場に沿うように立てられた大きな石造りの建物の二階から、吊り橋の要領で広場の方へその舞台はせり出されている。人々はどうやら、その舞台から遠ざかるように歩いているようだった。俺は人の流れに逆らうように舞台の下まで行ってみた。周りの人が俺を少し驚いたようにチラと見ていたけれど、どうしてこれにそこまで反応するのかはわからない。
舞台の真下までいくと、日陰になったそこはひんやりと冷たい空気が流れていた。下を見ると、地面が少し黒くなっている事に気がついた。しゃがみこんでその染みのようなものを良く見てみる。そして、その正体に気づきぞっとした。
―――血の跡…?
地面の土を少し掬って鼻に近づけると、消えかけているとはいえ、馴染みのある血液独特の匂いがした。街の真ん中で、こんな染みが出来る程大量に、一カ所だけ血が流れている場所がある。俺は真上の舞台を見つめ、やりきれない思いで息を吐いた。
第五話 青年の苦悩
日も落ちてしまってしばらくすると、ガンズ君が帰ってきた。彼の顔は、街の人たちと同じように青ざめている。
「どうだった?」
ドアを閉めると、ガンズ君は真剣な顔で俺の座っているベッドの横に立った。
「毎月必ず、公開処刑が行われてるらしい。今月は、あと四日後」
「へぇ。そうなんだ」
俺の返事を、ガンズ君は不満に思っているみたい。公開処刑は、禁止されているわけではない。罪人の裁き方は各国や街に任せている。でもガンズ君のこの浮かない表情を見れば、何か引っかかっているのは瞭然だった。
「……月に一回も、処刑人がいるとは思えない」
「そうだね」
この街の規模で、死刑になるほどの極悪犯罪者がそんなに頻繁に出るとは考えにくい。けれど、処刑は必ず行われる。
俺は立ち上がると、ガンズ君の肩をポンと叩いた。
「考えてないで動く。リアンさんに教えてもらったでしょ? 大丈夫、もし罪の無い人が処刑されているなら、これから処刑は行われないよ」
俺の言葉に、ガンズ君は少し顔を上げた。ほんと、君って年上に見えないよね。俺よりも背も高いのに、子犬みたいな感じする。
「……うん」
俺が部屋を出る直前に振り返ると、握りこぶしを作って力強く頷くガンズ君の姿が見えた。
広場では、ガンズ君の言う通り舞台がせり出しているのが確認できた。その舞台の後ろに立つ石造りの建物は、どうやら領主の管理物のようだ。門の前を伺ってみたが、体格の良い鍛え上げられた衛兵が立っていて、忍んで侵入するのは難しそうだった。こっそり周りを調べてみたが、ドアはその正面しか無さそうで、しかも窓はまったくない。中に入ろうとするなら、正面を強固突破か、舞台の方から入るしかなさそうだ。当然、舞台の方にも衛兵が立っていたけれど。
「何に使ってるんだろうな」
街の中の様子を観察するため、中心から少し離れた道を歩いていると、ガンズ君が声を潜めて問いかけてきた。
「さぁ」
ガンズ君だって、全然予想が無いわけないとは思うけど、軽はずみで発言しちゃいけないんだ。俺たちはまた黙り込んで、何か情報が無いかと目を光らせていた。すると、商店街とは違う明かりが見えた。提灯のような淡い明かりが灯っているその場所は、昼間は木が隠してしまっていてよくわからない。俺たちはお互い顔を見合わせて、まだ見落としていた場所があった事に驚きを示した。
近くに寄って見ると、見えていた明かりはほんの入り口で、その門の真横から伸びる城壁のような高い塀に囲まれた、街のようなものが見えた。ごく小さいものだったけど、店が立ち並ぶその小さな街は、何かから守られているのか、塀の外側は掘りになっている。
「……なんだと思う? ガンズ君」
「……」
ガンズ君も疑問符を頭に浮かべた顔で、こっちを見ていた。
ずっと門を観察していると、三人の男が現れた。一人は凄く裕福な感じで、後の二人はその人の付き人って感じ。三人は門の所で衛兵に止められていたけれど、束になった札を供の人が手渡すと、三人とも中に入って行った。
「……入って行ったね」
頷くガンズ君に、俺はにっこりと微笑んだ。あー。わかるよ。「嫌な予感がする」って思ってるんでしょ。ふふふふふ、当たり。
「行って来て」
あんぐりと口を開けて、ガンズ君はぱくぱくとその口を動かす。魚みたいで面白かったけど、俺は笑わずに真剣な顔で頷いた。少し涙の浮かんだ彼の顔、もうなんて言うのかな。最高だよね。
ぶつぶつ文句を良いながら、ガンズ君は衛兵の所に歩いて行った。そのままだと門前払いをくらいそうだったから、少し身なりを整えて札束を持たせた。見守っていると、割とあっさり入れたようだ。俺が隠れている方をチラっと見てから、諦めたように中に入って行った。グッドラック。
ガンズ君が入って行くのを確認してから、俺は塀の外を回ってみる事にした。見れば見る程、頑丈な作り。塀は石で作られていて、本当に何かの城塞のような面持ちだった。外からは少し見えにくいけど、見張り塔まで建っている。でも、ちょっと作りに違和感あるんだよね。見張り塔にしても、この塀の形にしても。ネズミ返しのように内側に反り返っているようだし、外からの侵入を防ぐってより、中のものを逃がさないようにしているように見える。…まぁ、詳しくはガンズ君の帰りを待つか。
「おかえりなさいっ」
宿の部屋の扉を開けると、エレナが勢いよく飛び出して来た。条件反射で思わず避けてしまったので、エレナはそのまま廊下の床に激突しそうになる。
「っあぶなっ!」
避けた状態から無理矢理腕を伸ばしたけど、そのまま体勢を保つ事はできずに一緒に倒れてしまった。なんとか俺が下に転がる事で、エレナは無傷…なはず。
「……大丈夫?」
「えへへ」
にこーっと笑うエレナを見て、俺は全身から力が抜けるのを感じた。緊張感の無い笑顔を見て、気が安らいだのかな。エレナを乗せたまま立ち上がり、彼女を床に立たせてやる。エレナは俺にしがみついて、猫みたいに甘えていた。
「エレナちゃん、モアさんは?」
エレナを促して部屋の中に入ってから、俺は彼女に問いかけた。エレナの面倒は、彼女に任せていたはず。でも、部屋の中に彼女の姿が見えない。そもそも、なんで俺たちの部屋の方にエレナがいたんだ? そりゃ、鍵は一個渡してあるけど。
「あのね、鳥が来たの。赤い紙がついてて、それをモアさんに渡したら、モアさん走って出て行っちゃった。私はここでゼンさんとガンズ君が帰ってくるの待ってなさいって」
―――鳥? 伝書鳩みたいなものかな。
「その赤い紙ってどこにあるかわかる?」
「モアさんが持ってっちゃったよ」
―――どうしたんだろう…。なんか、嫌な予感がぴりぴりする。
でもモアさんがどこに行ったのかわからないから、取りあえず待つしかないかな。
「エレナちゃん、モアさんは急な用事あるみたいだから、今日はこっちで寝る?」
「うん。私、ゼンさんと寝たい」
「え」
エレナは例の天使スマイルで俺に笑いかけてくる。…あのね、そんなに純粋な瞳で見られたら、何も出来ないでしょ。や、別にいいけどさ。ちょっと期待しちゃってもいいかなーなんて邪念が恥ずかしくなっちゃう程なんだもんな…。男としては複雑だよね。
「…ちょっとくらい、警戒してもいいと思うんだけどなー…」
横になって三分程で眠りに落ちたお姫様は俺の腕の中ですやすやと寝息を立てていた。
「……うりゃ」
「ん…」
ほっぺたをつついて見ても、一向に起きる気配がない。これ、完全に寝てるよね。もう男のプライドずったずただよね、こうなると。
「……夢の中では、君は幸せなのかな…」
彼女が逃げている辛い記憶に、夢の中で追い回されていないだろうか。俺はエレナの髪を梳きながら、少し頭を引き寄せた。
市民全てが幸せになる世界。政府の掲げた目標は、絵空事でしかないのだろうか。少なくとも、俺の見て来た世界は、混沌と悲鳴で一杯だった。きっとこれからも、続いていく負の連鎖。
―――この街でも、悲鳴は絶えない…。
耳を澄ませば聞こえる気がする。塞いだ所で、消える事のない悲鳴。
「……ふっ」
こんな世界だからこそ、俺たちのような者が存在する。いらないんだ。平和な世界なら。
明日はきっと、ガンズ君からの報告が聞ける。モアさんの方も心配だし、やる事はきっと一杯あるはず。でも今は少し、この小さな温もりと一緒に、何もかも考えずに眠っていたい。そんな事を思いながら、俺は一日の幕を降ろした。