第二話 酒場
この街も、昔はもっと住み良い街だった。だけど飢饉が続き、街の人々はそれまでの暮らしを変えなければならなかった。
わかってるわ。変えなければならなかった。変えなければ、生きて行けなかった。みんな死にたくなかった。縋るしかなかった。
例えそれがとても理不尽で、誰かを犠牲にして成り立つ暮らしだったとしても。
今日も人々の笑い声が聞こえる。あちこちの酒場で、広場で、明かりの灯るあの家で。
今日も人々の泣き声が聞こえる。酒場の裏で、広場の隅っこで、明かりの消えたあの家で。
―――明日は我が身に。
あたしは泣き声を聞かなかった事にして、酒場の中に入るの。これがあたし達の望んだ、幻の上に立つバランスなのよ。
第二話 酒場
「…で、買っちゃったの? このこ…」
ガンズ君は、俺を待たせている間に宿を取ってくれていた。男二人が泊まるのに、丁度いい大きさの宿。ベッドは一応二つあって、小さな部屋に多大な違和感を与えている。こんな廃墟ばかりの街でも、やはり人々の多く集まる場所はあるらしく、この宿の周辺はかなり栄えていた。
俺はベッドに座って、エレナの髪の毛を梳いた。エレナはというと、すっかり俺に懐いたのか、なんなのか、今や俺の腕にぴったりと頭を付けて動かない。
「そう。だってどいつもこいつもムッサ苦しいおっさんばっかりなのに、可哀相でしょ?」
っていうか、勢いだったしそんな事考えてたかあんま覚えてないけど。
「お前は…! もう犬の猫も拾ってくんなって言っただろ!? 貰い手探すの大変なんだぞ! どうせ俺が探すことになんだし…で、なに!? 今度は女の子かよ!」
「やだなぁガンズ君てば。犬も猫も拾って来てないじゃん? 人間の女の子と、犬猫を一緒にしたら駄目だよ?」
「~~~~っお前が言うなーーー!」
ガンズ君は俺の言葉に、少し涙目になって訴えた。もう、どんだけいじめ甲斐があるの君は。ちょっとその態度直さないとこの先やってけないよ? いじめるのは俺だけど。
ガンズ君は座っていたベッドから立ち上がって、インスタントコーヒーの粉をカップにどかどか入れ始めた。あの、ガンズ君、知ってるかな。カフェインて取りすぎると死に至る事も…て、まぁいいけどさ。
「あ~もうやだ。俺ほんっとお前やだ! 助けてリアンさん!」
「やだ」って…。このヒト本当に俺より四つも年上なのかな。本当に二十二年間生きて来たのかな。しかも、勝手に人の育ての親に縋らないでくれないかな。だいたい、助けてなんて言葉であのヒトが助けてくれるわけないでしょ。
「まぁまぁ。しょうがないじゃん? 一番年が近かったのがガンズ君だったわけだし」
「もっと早く生まれたかった!」
あーはいはい。勝手に言ってろ。
ところで、さっきから腕に頭埋めたまま一言も話してないこのこ。どうしたもんかなぁまじで。
「…エレナちゃん? 起きてる?」
少し腕を揺らすと、エレナはこてんと頭をかしげた。吸い込まれそうな程、綺麗な寝顔。…うん。寝てるね。
「……ガンズ君」
「……なに」
ガンズ君は、まるで怯えた鶏みたいな顔してこっちを見た。俺の笑顔を見て、更に怯えた顔になる。
「ちょっと俺出かけてくるから…」
エレナをベッドに寝かせ、布団をかけた。汚れた服を隠してしまえば、どこからどう見ても美少女だ。ちょっとくらいの振動じゃ、起きる気配さえ感じない。身体的なものもあるんだろうけど、精神的に、かなり疲れてるんじゃないかな。可哀相に。
「このこの事、よろしくね」
「………え」
「このこエレナちゃんって言うから。まぁわかってると思うけど、手なんか出したら…あぁ、わかってるね」
青ざめたガンズ君の横を通り抜け、俺は部屋の外に出た。すれ違った客に軽く挨拶をしながら、宿を出て夜風を吸う。
さぁて。まずは…やっぱ、情報収集かな。
情報収集と言えば、相場は酒場って決まってる。そこが一番、いろんな人が話を交わす場所だから。
「へぇ。結構人いるんだ」
ってことは、街の入り口に行くにしたがって、廃墟が立ち並んでるってことか。変な街。
夜になれば、酒場を探すのはそう難しい事じゃない。普通の店ならもう閉まってるし、この時間にやってる店なんて、酒場か娼館くらいなものだ。あ、ちなみに売春は中央政府が十四年前に禁止してるから、娼館が見つかったら駄目なんだけどね。ま、どの街にも一件くらいは、怪しい店があるもんだけど。
「いらっしゃいませ~。お席ご案内しますね」
妙に媚を売る様な甘ったるい声で、店員のお姉さんが近づいて来た。にっこりと返してやると、少し頬を染める。うんうん。素直な反応ですネ。好きですよそういうの。
「ご注文はお決まりでしょうか」
「そうだなぁ…お姉さんのおすすめのもの持って来てくれる?」
「はっはいっ」
真っ赤になって駆けて行くお姉さんを見送って、俺は店の中をざっと見渡した。あ、言っておくけど、中央政府は飲酒の年齢を定めてないんだからね。違法じゃないんだからね。
案内されたのは、二人掛けのテーブルだった。入り口の明るさに比べて、店の奥に行く程、薄暗くなっていく。店にいるのは、大抵が土臭い工員だった。そんな風に店内を眺めていると、一人の女が近づいて来て、向かいにあった椅子をずらし俺の隣に腰掛けた。
「ねぇ、あんた、どこから来たの? この街の人じゃないわよね。見た事ないもの」
ついに来たよね。お色気系のお姉さん。香水付け過ぎじゃないかな。や、でもそのテーブルの上に乗せてる重そうな脂肪はなかなか見応えありますね。
「今日ここに着いたんだよね。でもラッキーだなぁ。いきなり、こんな綺麗な人に会えるなんて」
にっこり。
「あら、上手ね。でもあんた、観光で来てるんじゃないんでしょう?」
「え〜? なんでそう思うの?」
「ふふ。あたしの感はよく当るのよ。留まる気なら、気をつけた方がいいわね。ここの領主は性悪だから」
性悪の領主ね。その話、もっと聞きたいなぁ。お姉さんにその話をしてもらおうと口を開きかけた時、奥の方で何やら歓声が聞こえた。男の声も、女の声も混ざって、盛り上がっているようだ。目を向けると、お姉さんが視線の先に気づいて教えてくれた。
「あぁ、あんたよりも少し前にやってきた旅人よ。自分は黒蛇の調査員だって言って、毎晩ああしてこの辺の人たちに演説してんのよ」
「…黒蛇?」
頬杖をついていたお姉さんは、更に身を寄せて声を潜める。
「知ってる? ”中央”の直属機関で、不正な政治を行う領主や国王に裁きを与えるっていう人たちの事よ。まぁ…ただの噂だけど」
「ふぅん。そんな人たちがいるんだね」
「本当にいるのかどうだか。何かに縋りたい人たちが勝手に作った話かもしれないし。あの人が本物なら、早くあの領主をなんとかしてほしいわ。こんな所で毎晩お金たかってないで」
お姉さんは再び頬杖をついて、ため息まじりに愚痴を吐いた。俺はもう一度、騒ぎの方を伺ってみる。中心にいるのは、見た事もない青年だった。
「あの…御持ちしました」
振り返ると、俺の隣にいる女をちらちらと盗み見しながら、さっきの店員が綺麗なグラデーションの液体が入ったグラスをテーブルに置いた。礼を言うと、また顔を赤らめて走っていった。
「…あんた、結構悪い男なのね」
「へ? なんで?」
「…感よ」
俺はははは、と渇いた笑いを零して、自らお姉さんに少しよってみた。耳元で囁くように、声を低める。
「さっきの話だけど…お姉さんは本物だって思ってないんでしょ?」
「…だってそうでしょ。中央直属の秘密機関の人間が、どうしてこんなしけた街で庶民からお金巻き上げて飲んだ暮れてるの」
ははは。うんうん。そうだよね。
「じゃ、あたしはもう行くわね」
お姉さんは胸を揺らしながら立ち上がると、一枚の紙切れを俺の手に押し付けた。そして肩に腕を回して囁く。
「良かったら、連絡してね。色男君」
コツコツと、ヒールをならして去って行く。引き際をわきまえた、良い女だと思った。渡された紙切れには、名前とコールナンバーが書かれていた。この番号に連絡すれば、彼女に繫がるってことだ。
「やぁ。君は旅人かい?」
近づいて来るとは思ってたけど、まさかこんなにフレンドリーに話しかけられるとは思ってなかった俺は、にわかに驚いて彼を見た。さっき奥で街の人に囲まれていた青年。背は高いな。俺よりも少し。多分、二十代半ばくらい。年もそんなに取ってない感じ。金の髪は、この街ではあまり見ない。綺麗な蒼眼が似合いすぎるくらい似合っている、それこそ色男だ。
「…あー…うん。初めまして。俺はゼン」
手を出すと、彼は白い歯を輝かせてにかっと笑った。そして力強く握手をする。
「初めまして! 僕はウェスター。ウェスター=キット。一人で旅を? 腕に覚えがあるのかな」
いちいち上から物を言いやがって…。いや、そんな事に目くじらを立てるほど子供じゃないけどね。いいけどね。別に。
「いや、俺は全然。連れがものすごく強いんだよね。今は一緒にいないけど」
「そうか。今はこの街は少し危険が多いんだ。一人で外に出ない方がいい」
「あーそう。どうも。次からは気をつけるよ」
確かに、確かに色男だよ。これなら、さっきの女の人の黄色い悲鳴も頷ける。けど、すっごく腹立つ話し方!
ウェスターは何がしたかったのか、そのままははは、と笑いながら酒場を出て行ってしまった。…ほんと、何がしたかったんだろ。
もう一度酒場の中を見渡すと、そこにあるのは他の街と同じように、誰もが各々、自分の好きなように酒を食らっている光景だった。けれど、俺の見て来た街と同じように、少しだけ活気が足りないように見える。
「…くす。あの男…何をする気なんだか」
何もしないなら、それはそれでいいけど。”黒蛇”ね。そんなもの名乗ったって、危ないだけなのにね。