動き出す戦局 Ⅲ
魔族側に黒味を帯びた新たな動きが出始めた同じ頃、フランベーニュも動き始める。
フランベーニュの至宝ボナール将軍の出陣である。
その始まりは、アリターナ側に放っていた間者からの報告だった。
アリターナ軍が一日で一アクト、つまり百メートルほど前進。
それがその第一報となる。
もちろん他の戦場であれば一アクト前進など驚くことでもなんでもない。
だが、ここでは違う。
なにしろ、アリターナ軍は三年間で十五アクトしか進まなかったのだ。
つまり、一年あたり五アクト。
それがわずか一日でその五分の一も進んだのだ。
十分に快挙といえるものであろう。
しかも、その前進に要した損害はわずか。
アリターナ軍が「ベンティーユ奪取以来の吉事」と喜ぶのも無理はない。
もちろんこれは魔族側が足場の悪い場所を避けるために意図的に下がったという理由によって起こったものだったのだが、アリターナにとって戦果は戦果。
士気高揚のために大いに宣伝するのは当然である。
そして、その話は間者がもたらした情報としてフランベーニュ側にも伝わる。
当然あの惰弱なアリターナ軍がフランベーニュ軍でさえ成し遂げていない快挙を手にするなどあり得ないことだと疑い、その情報を手に入れたフランベーニュ軍司令官ロバウは情報を持ち帰ってきた間者にもう一度確認させた。
その結果は……。
「間違いないのか?」
「もちろん正確に一アクトからどうかはわかりませんが、ほぼそれに近い距離を前進したのは間違いないでしょう。なにしろ全将兵に三日間にわたって特配が出たのですから」
「わかった」
戻ってきた間者から報告を受けたロバウは呻き、だが、この事実を握り潰すわけにはいないと、王都へ使者を送る。
「ベンティーユから侵攻しているアリターナ軍が最近一日で一アクト前進した模様。アリターナ側の戦線に何らかの変化が起こった可能性あり。注意されたし」
これは事実と、それに関してのロバウの見解を述べたものであるのだが、その報に驚愕したのはフランベーニュ軍首脳と為政者たち。
そして、そのなかでも、もっとも驚き、焦ったのはあの男だった。
……冗談ではない。
……我が軍がマンジュークを落とすことを前提に書き加えた例の条文が我々の足かせになって、これだけ血を流したにもかかわらず、我々はなにひとつ手に入れられずに終わりかねないということになるではないか。
……たしかにロバウはよくやっている。
……そして、軍首脳たちの報告では地道に進むしか手がない救いがたい戦場であることも知っている。
……だが、マンジュークは絶対に手に入れなければならない場所。
……仕方がない。
……ボナール将軍と彼の旗下にある精鋭二十万人を投入しよう。
……もちろん使いたくはないが、ここで出し惜しみをしてアリターナに先を越されたら元も子もなくなる。
その男この国の第三王子ダニエル・フランベーニュは一瞬の躊躇いはあったものの、すぐに強い意志を取り戻し、僅かの間に素早く打開策を考案すると、王のもとへ出かける。
……そうは言っても、向かうのはあの場所。
……いくら奇策の宝庫と呼ばれるボナール将軍が指揮を執るといっても、多くの兵を失うのは確実。
……ここで彼の配下の大部分を失うのは今後に影響する。
……なにか……。
……そうだ。
それを思いつくと、屋敷から王宮へと向かう馬車の中でダニエルは黒い笑みを浮かべる。
……捨て駒になる者など山ほどいるではないか。
……将軍配下の精鋭の損害を少なくできるだけではなく、目障りな者たちを一気に消し去る良い手を思いついた。
……陛下にこの案を提示しよう。