決戦前夜 Ⅱ
マンジューク救援命令を受けるまで長い待機時間があったグワラニーだったが、その分、用意した策の練り直しは頻繁におこなうことが出来、より洗練されたものになったのは前に述べたとおりである。
実をいえば、この時間的余裕は別の部分にとっても非常にありがたいことであった。
彼が向かう先であるマンジューク。
現在その防衛にあたっている約五万の兵と将軍たちは皆魔族軍総司令官ガスリンの子飼い。
作戦の習熟度が低いうえに、そもそもグワラニーの命令どおりに動くとは思えぬ。
マンジュークで彼が披露しようとしている策は非常に複雑。
組織のすべてがその策を十分に理解していないとできないものだった。
つまり、策を成功させるには中核となる自軍の練度と策の理解度向上は絶対条件だったのである。
「実際の勝敗は戦場に現れる前についており、戦場でおこなわれるものは、結果の確認だけである」
「必死で戦う者たちが相手になるのだ。訓練で出来たものが実戦でできないことはある。だが、訓練でできないものが実戦で出来るのは奇跡以外のなにものでもない。私はそのような奇跡をアテにして策を講じることはない」
一見すると相反するようだが、その実はともに訓練の重要さを言ったものであるそれらの言葉が口癖となっているグワラニーは各隊に対して実戦に即した訓練を課していたのだが、その中でもっとも過酷なものとされたのが戦闘工兵。
そして、その訓練とは、もちろん本業に関わるものである。
彼ら戦闘工兵のデビュー戦となったクアムートでは、大雑把な見取り図に沿って防御用の堀の掘削と策の設置をするだけだったのだが、マンジュークで彼らがおこなうのはそれとは比べようもないくらいに細密さが要求される作業だった。
それは自らその設計図の線を引いたグワラニーが誰にも聞こえぬ声で呟いた言葉によれば、「三千対一の傾斜。古代ローマがつくった水道の最高水準のものにも負けない」ものとなる。
さらに、大規模、短時間での作業完了、という条件がそこに加わる。
それだけのことを成功させるには十分な準備が必要だったのは当然のことだったのだが、グワラニーが彼らに課したその訓練は当事者たちからは非常に評判が悪かった。
「一回きりしか使わないものにここまでの精密さが本当に必要なのかを多くの者は疑っていた」
これは戦闘工兵の一群を率いていた鉱山長のひとりベル・ジュルエナの言葉。
「目が飛び出るような高い報酬にも十分見合った仕事であった」
マンジュークの戦いがすべて終わったあとに、苦笑いとともにこの言葉を呟いたのはアペル・フロレスタ。
そして、すべてをまとめる役をまかされたディオゴ・ビニェイロスは訓練の成果となるその現場を眺めたときにこう呟いた。
「鉱山での仕事の方が楽だと思えるくらいに大変な訓練だったが、あれがなければこれだけのものを短時間に完成させられなかった。そして、それは目の前で起こっていることも実現しなかったということになるのだが、もし、他人の失敗で我々の苦労が水の泡になるようなことになっていたら暴動が起きていたことだろう。つまり、色々な意味で作戦が成功したことは我々の誰にとっても幸運だったといえるだろう……」
それから、もうひとつ。
マンジュークに向けて出発する前のグラワニーの部隊の準備に関して語るのであれば、やはり弓矢についても詳しく触れておかなければならないだろう。
なにしろ、防御魔法による防御方法が確立してしまったため、弓矢が戦場から姿を消してからかなりの時間が経っていた。
その廃れて久しい武器を大量に持ち込んだグワラニーは大々的に使用して大戦果を挙げる。
その結果、再びその有用性を見直されることになるのだから。
ついでにいっておけば、この戦いから始まる弓矢特需。
他国では生産中止したなかで唯一生産を続け、新型の開発までおこなっていたノルディアはその一大輸出国となり、弓矢はこの国の外貨獲得の手段となっていく。
まあ、こちらはもう少し先の話なのだが。
さて、その特需が起きるきっかけとなるマンジューク防衛戦が起こる前であるわけだから、当然グワラニーが次の戦いで弓矢を使用すると宣言したとき、多くの指揮官が顔を顰めた。
もちろん、グワラニーのいう次の戦いがどこを示すのかはこの場にいる者全員が知っている。
……だが……。
……というよりも、あの場所であるのなら、なおさら……。
同じ思いをしているその者たちはお互いに顔を見合わせ、視線によって発言者として指名されたペパスが口を開く。
「……わかっていると思いますが、一応念のため」
そう断って語り出したのは、魔族の世界、というよりもこの世界で弓矢が廃れた理由である。
すべてを語り終わると、ペパスは結論としてこう結んだ。
「それを戦場に持ちだす、特に狭い地域に魔法が充満したマンジュークで使用するのはさすがに無謀だと言わざるを得ません」
「なるほど」
すべてを聞き終えたグワラニーはまず短い言葉に応じ、それからもう一度口を開く。
「ペパス将軍。確認するが、弓矢が武器として役に立たない理由は、防御方法が確立されているからということでよろしいか」
「そのとおりです」
「では、重ねて問う。弓矢を防ぐ主な方法は何かな?」
「それはもちろん魔法によるものです」
「そうだな。だが、その防御魔法が消えた状態になったらどうなる?」
唐突にやってきたその問いの意味を図りかねたペパスは同僚に目をやるものの、助けを求めた相手は首を横に振るだけだった。
その様子を眺め終わすと、グワラニーはさらに言葉を続ける。
「弓矢を含む飛び道具は防御魔法に弱い。これは間違いない。なにしろ最も弱い風魔法にさえ抑え込まれるのだから。そして、このことから敵も味方も弓矢は役に立たない武器と決めつけた。だが……」
「魔術師が消え、魔法が存在しないとなれば話は別だ」
「そして、その状態を我々は知っている。それをおこなった者が誰かということも」
もちろんそれは重厚な防御魔法を突き破り魔術師を一撃で壊滅させた、クアムートの夜のことを示しているのはあきらかだ。
「……あれはすごかった」
その言葉を口にしたのは、あの時点ではまだ攻撃を受ける側にいた男だった。
「あのとき、天から降ってくる火球や氷矢、いや、あれは氷槍だった。それに雷。あの恐怖は忘れられない。私は防御魔法を失った軍がいかに脆いかを知っている。身をもって」
実感が籠ったその言葉を聞き終えた、その攻撃を指示した者である少年の面影を残す男は、攻撃を受けその後の人生を大きく変えたノルディア人に申し訳なさそうに一礼し、それから口が再び開く。
「あの戦いでは防御魔法が消えた後にノルディア軍のもとにやってきたのは攻撃魔法だったが、今回は弓矢を使う」
「なるほど」
「ですが……」
「現在弓矢を扱える者など……」
「それどころか弓矢自体が……」
「それについて心配ない」
弓矢を有効に利用できることは理解した。
だが、それを使うには根本的なことに関わるさらなる問題がある。
ふたりの将軍からから上がったその疑念の声をあっさりと否定したグワラニーの視線の先にいたのは先ほど恐怖体験を口にしたノルディア王国の将軍だった男。
「タルファ将軍。ノルディアではいまだ弓矢は武人の嗜みだと聞いているが、間違いないかな」
「そのとおりです」
「ちなみに、タルファ将軍の腕前は?」
「上から数えたほうがかなり早いと自負しております」
「もうひとつ。多くの者が使用するのであれば、ノルディアには弓矢が豊富にあるでしょうね」
「それはもう売るほどに……」
「それはよかった」
「まさか……」
「そう。そのまさかだ。ペペス将軍」
「我々の中に弓矢の名手がおり、タダ同然で武器を提供してくれる場所があれば利用しない手はないだろう」
こうして、次戦での弓矢を使用することが決まったわけなのだが、実を言えば、この話はその直後に停滞する。
グワラニーが用意していたその計画の破綻。
もちろん元ノルディア軍将軍のもと訓練は順調に進む。
そう。
問題が起こったのは供給に関する方だった。
つまり、グワラニーが弓矢の入手先としてアテにしたノルディア側が供給を渋ったのである。
……さすがに目の前のことにしか注意力が働かないノルディアの為政者でも、その程度の理性はあったか。
心の中で盛大に嫌味を言ったものの、さすがのグワラニーもこればかりはどうにもできず、予定を変更することを頭に過る。
そして、可能性は低かったものの、この時点でマンジューク救援を命じられていれば、弓矢の代わりに魔法による攻撃をおこなうように作戦の台本を大幅に書き変えていたのは間違いないだろう。
だが、ここでグワラニーに良き風が吹く。
例の小麦騒動である。
義理やモラルよりも目の前の食料確保を優先しなければならなくなったノルディアからの申し出を大いに利用したグワラニーは必要な武器を一気に揃えることに成功する。
その際に弓矢とともに手に入れたのが、戦闘工兵たちに供与したクロスボウと、このクロスボウを巨大化した特別な武器だった。
「……砦攻撃用の巨大矢を撃つものに、大量の矢をまとめて撃てるもの。すごいな」
届いたものを見たグワラニーは呻く。
……何かの映画で見たことがあったような気がしたが、まさか実物を見ることになるとは……。
それと同時に、あらたな計略が浮かぶ。
……脳筋の代表のようなウビラタンたちが逃げるというのだ。
……身動きが取れない状態のところでこんなものを突然撃ち込まれたらどうなるのか。その恐怖の度合いは想像がつく。
……そして、これですべての駒が揃ったわけだ。
……あとは弓の練度を上げながら王からの連絡を待つだけだ。
「これだけできれば、いつ開演しても問題ない」
そして、その直後その時がやってくる。




