動き出す戦局 Ⅰ
マンジュークへ続くふたつの入り口。
それぞれの入口からマンジューク銀山を目指して山岳地帯に侵入したアリターナ、フランベーニュ両軍。
だが、両者ともその侵攻スピードは一向に上がらなかった。
開始から三年が経った現在、アリターナがベンティーユから進んだ距離は十五アクト程。
一方のフランベーニュはそれよりは進み、それでももうすぐ二十五アクトの前進といったところであった。
ちなみに、アクトという単位であるが、もちろんこの世界の距離の単位であり、別の世界での百メートルとほぼ同じ長さとなる。
つまり、アリターナ、フランベーニュ両軍が三年間で渓谷内を進んだ距離である十五アクト、二十五アクトとは、それぞれ千五百メートル、二千五百メートルとなる。
ついでに言っておけば、この世界には別の世界での千メートルに当たるキロメートルに準ずる単位は存在しない。
その代わりとして十キロメートルにあたるものを一アケトと呼んでいる。
つまり、百アクトが一アケトとなる。
さて、両軍の進んだその距離であるが、絶対的距離ということであれば、もちろんそれなりの長さとなるわけなのだが、問題はこの距離を進むのに要した時間である。
そう。
三年間もかけてフランベーニュは三キロ弱、アリターナに至っては二キロも進んでいなかったのである。
そして、それが何を示しているかといえば、もちろん魔族側の抵抗の激しさとなる。
もちろん流れた血の多さがそこに加わる。
「この渓谷は一ジュバ進むのにひとりの命が必要である」
これはフランベーニュの准将軍アナトール・ティビアの言葉。
そして、こちらはアリターナの有名な騎士バンドヴィーノ・トーチェが死に際に残した言葉である。
「たった一アクト進むために一万人分の血を代価に望むとはなんと強欲な神が住む場所なのだ。この渓谷は」
ほぼ同一の意味を持つ両者のこの言葉の驚くべきところは、実を言えばこれはまったく大袈裟なものではなかったところだ。
それどころか、実数から考えればまったく少ないとさえいえる。
なぜなら、アリターナはこの狭い場所での戦いで、二十万人以上の死者とその数倍の負傷者を出し、フランベーニュはさらに多い百九十万人の死傷者を出していたのだから。
だが、たとえ微々たるものであっても、アリターナもフランベーニュも前進していたのは事実。
このままいけば、いつかはマンジュークに辿り着くことはできるだろう。
どれほど血が流れようがやめるわけにはいかない。
いや。
これだけの被害が出ているのだ。
やめるわけにはいかない。
これからさらにどれだけの血が流れようとも。
どんなことをしてでもマンジュークに辿り着く。
フランベーニュ、アリターナ両軍首脳及び為政者たちは心にそう誓い、今日も兵を差し向ける。
もちろん彼らは国全体の利益を考える立場の者。
こう考えるのは当然のことであるのだろうが、彼らの耳には絶対に届かないこのような声があるのも事実である。
「我々をここに送り込んだ者たちも戦いに参加すべきだ」
「国のために奉仕せよ。すばらしい言葉だ。だが、他人に犠牲を強いる者が率先して自らの身を国家のために捧げたことはない。逆に国家を食い物にするときには真っ先に動く」
「絶対に必要というのなら、他人の子供を死地に向かわせる前に自分の子供を戦場に送れ」
「自分が絶対に死なない安全な場所にいれば、マンジュークが命を懸けても手に入れる場所と言えるだろう。だが、そういう奴に限っていざ自分がその場に立ったらすぐに戦いをやめる算段をする」
辛辣な言葉ではあるが、ある世界での現実を見れば真実を語っているともいえる。
しかも、興味深いことにこの名もなき者の言葉は人間側には存在するが、魔族側にほとんど存在しない。
もちろん攻め手と守り手という差はあるだろう。
だが、そうなるためのもっと大きな理由が存在する。
人間側には存在するが、魔族側には存在しないもの。
言うまでもない。
あれである。