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第3話 リカルドの事情

9年前、アランと妻ライザの待望の第1子として、リカルドはこの世に生を受けた。


 分娩室の隣で待機していたアランは、か細い産声に不安を覚えつつも、待ち望んでいた誕生に涙を流して喜んだ。


 だが、その不安は現実となった。


 リカルドは産まれた時の体重が平均を大きく下回り、さらに、その小さな体の内臓には長ったらしい難病の名前がつけられた。


 アランもライザも、この事実を信じることができなかった。


 なぜなら、リカルドは母体にいる10ヶ月間の定期健診でも問題はなかったし、ライザのお腹の中からは生命力を感じる強い蹴りを披露してくれた。

それなのに、産まれてきた途端に狭い保育器の中に閉じ込められて様々な検査を受けさせられるなんて、誰が想像できただろうか。


 医師曰く、医療が進んでいる大国の精密検査では、あるいは早期発見できたかもしれないらしい。

しかし、その場合、どちらにせよ両親には辛い選択が待っていたはずだとも言われた。

まずは無事に産まれてきてくれたことを感謝しましょう、と締めくくって医師との最初の面談を終えた。


 それから、その日が今日か明日かとびくびくしながら、アランとライザはリカルドとの1日1日を慎重に過ごした。


 息子の1歳の誕生日は病院内で迎え、2歳の誕生日は自宅に戻って家族3人で祝うことができた。

3歳を越えた頃には、医師がそれこそ目をまん丸にして、リカルドの生命力を称えてくれた。


 今では、もちろん油断はできないし、平均よりも小さい身体に多くの制約を抱えた生活をしなければならないが、今日明日の生命の危機はとりあえずないと言っても過言ではない。


 9歳となった今では、立派にインターネットを使いこなしている。


 アランは息子の成長に感動する一方、新たな危険があることを覚えた。


 リカルドが産まれて難病指定を受けると、どこからどう広まったのか、怪しい人々が次々と訪ねてきた。


 彼らはまず見舞いの振りをしてリカルドの病状を確認したあと、アランとライザに様々なものを売りつけようとしてきた。


毎日一口飲むだけでどんな病気も治す清水という名の、ただの水。

部屋に置くだけでどんな病気も吸い取ってくれる名器という名の、ただの壺。

枕の下に置くだけでどんな病気も白紙に戻してくれるお守りという名の、ただの紙。


 藁にもすがりたい2人の気持ちにつけこもうとする奴らは、目玉が飛び出るほどの金額を提示して売りつけようとしてきた。


 9年経った今でも、隙あらばつけこもうと狙っている輩は山ほどいる。


 これまでは怪しい人物だったり怪しい品物は目の前で確認できていたけれど、テクノロジーの進歩によってインターネットを介して目に見えない場所からくることは盲点だった。


 それに、今まではアランとライザが様々な危険をリカルドの身に及ぶ前に食い止めていたが、もう息子は1人で歩くこともできなかった乳児ではない。

これからは自分で判断しなければならない場面も出てくるだろう。

アラン自身、もっとインターネットのことを勉強しなければならないと改めて思った。


 ネットの危険性については、今晩夕食の席の会話で楽しく話をするとしよう。

妻のライザにも一緒に聞いてもらわなければならない。

電子レンジの使い方ひとつにも苦労する彼女には耳が痛い話だろうが。


 アランが新たな不安を募らせていることなど気付かない様子のリカルドは、友達を父親に紹介できて嬉しそうにしていた。


 体調が良いときだけ学校に通っているリカルドには、近所に多くの友達がいる。


 しかし、数カ月前に再びドクターストップがかかり、大好きだった学校に通うことを制限されて以来、放課後遊びに来ていた同級生が1人また1人と顔を見せなくなった。


 心根の優しいリカルドは両親に心配を掛けまいと悲しむ顔を見せなかったが、外から聞こえる笑い声を窓から眺める息子の背中を見ていると、涙を見せない息子の代わりにアランの目から涙がこぼれた。


 両親の審査によって厳選した家庭教師とは家の中で楽しそうに遊ぶ姿を見せるが、年の差もあるせいか、どこか遠慮したように笑っているように見える。

家庭教師を金で雇うことはできるが、真の友達を作るには金は無力だ。

そして、リカルドの心の奥底から笑う顔を見る機会は、この数カ月ないに等しかった。


 そんな彼が、いま父親の目の前で頬を軽く上気させて、本当の笑顔を見せている。


 そうだ、リカルドが笑うと頬にえくぼのような細い線が出るんだった。

息子の笑顔は見ていたはずなのに、長らくこの愛らしい線は見ていなかったことに今さらながら気付いた。


 こんな時にインターネットの危険性について、なんて重い話をするのは野暮だ。


 それに、なによりもリカルドの本当の笑顔をもっと見ていたい。


「父さんが子どものころは、友達と言ったら家を行き来したり、公園に一緒に行くのが当たり前だったんだが、今はリカルドのような友達の作り方もあるんだな」


「そうだよ、もし僕が父さんの時代に産まれていてインターネットがなかったら、僕は誰とも遊ぶことができずに、ずっと家で一人で過ごしていただろうね。ネットがあって僕はラッキーだよ」


 リカルドは幸せな気持ちを抑えきれずにぴょんぴょんと部屋の中を飛び回った。


 筋力のないリカルドのジャンプはとても頼りない。

骨と皮に申し訳程度についている肉だけの細い脚が、見ているだけで痛々しい。

少し筋トレをするだけですぐに筋力がつく自分の脚とは大違いだ。

何度、自分の身体とリカルドの体を交換できたらと思っただろう。


 アランが両腕を広げると、リカルドは跳ねながら父の腕の中に飛び込んできた。


「リカルド、身体の調子はどうだ」


 息子の背中を両手でさする。


 アランは、毎日、息子の身体が体温を持って自由に動いていることに、この上ない喜びを感じていた。


「すごくいいよ。ドクターも定期検診は1カ月後で大丈夫だろうって。

だから、父さん、海外に仕事に行っているときも僕のことは心配しないでよ」


 アランは、ごめんな、という言葉を喉の奥で飲み込んだ。


 父親としてどんなに寄り添ったって、リカルドの辛さを体感することはできない。 

ましてやアランは、病気知らずの健康体で年齢を重ねてきた。

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