諸悪の根源
翌日、再度ノートン伯爵邸を訪ねた私は、衛兵の案内でルドラ様との再会を果たした。あの書類を彼に見せることを悩まなかった訳ではない。しかし、ルドラ様には知る権利がある。
バレンシア公爵の狂気とも呼べる妹への執着が起こした悲劇、そして母オリビア様の謀略とサーシャ様との愛。二人を深く愛し、姉を崇拝していたからこそ悪妻を演じることを拒否できなったミーシャ様。
バレンシア公爵家にまつわる闇の歴史を、ルドラ様が知り、どう判断するかはわからない。しかし、すべてを受け入れ、前へと進まねばアリシア様を本当の意味で救うことは出来ない。
なぜなら、アリシア様を救えるのは、ルドラ様だけなのだから……
「ルドラ様、あなたの見解をお聞きしてもよろしいかしら?」
「えぇ、あの書類をすべて信じることは出来ませんが、過去の記憶と照らし合わせて納得できる部分もある。ミーシャの私たち、兄妹にしてきた行いが母の思惑だったという推察は納得出来ない。ただ、そうせざる負えなかった事情がミーシャにもあったことは理解できる。許す、許さないは別問題だが、王妃殿下が言うように、今後、一切私たちに関わらないのであれば、報復を考えようとは思わない」
どこかスッキリとした顔で、手元の書類をテーブルの上へと置くルドラ様を見つめ、ホッと胸を撫で下ろす。これで、一番の懸念が払拭された。
ブラックジャスミンの毒に侵されたミーシャ様だったが、私と同様、適切な処置がなされ目醒めたと聞いた。今は、ルザンヌ侯爵領で静養している。父からの手紙には、先に侯爵領入りしていたターナーさんと無事に再会し、二人穏やかに過ごしていると書かれていた。
今後、ミーシャ様はバレンシア公爵と離縁し、アンドレ様と共に平民へ降ることが決まっている。公爵も異論を唱えることはなく、離縁の書状に署名をし、王城でのすべての職を辞した後、外部との接触を一切絶ち、侯爵邸にこもり姿をみせていないそうだ。
公爵の意志は変わらないのね。
彼もまた、己の代でバレンシア公爵家をたたむつもりなのだ。
本当、勝手な男……
アルザス王国に二つしかない公爵家の当主としての責任も、ルドラ様、アリシア様の父親としての責任も、すべてを放棄して、夢の世界の住人になることを選んだ男。
その男のせいで、人生を狂わされたアリシア様とルドラ様。
さぁ、今こそ夢の世界をぶち壊す時だ。
「ルドラ様、すべての元凶に対峙する覚悟はおあり?」
「義父のことですね……」
「えぇ、そうです」
「……あの男に、なにを言っても無駄ですよ。私がバレンシア公爵家の養子になってから数十年、一度たりとも父親らしいことをしたことはなかった。それだけではない。ミーシャに虐げられていたのを、あの男は知っていた。それなのに、見て見ぬふり、興味すらなかった。実の子が、死ぬかもしれないというのに、あの男には他人ごと。きっと、今も、あの部屋に閉じこもっている」
「それは、サーシャ様との思い出の部屋?」
「えぇ、あの部屋は常軌を逸している。愚かな男だ!」
嫌悪も露わにルドラ様が吐き捨てる。
アリシア様も言っていた。『父は夢の世界の住人なのだ』と。しかし、その愚かな男を夢の世界から引きずり出し、己の愚かさを自覚させなければ、バレンシア公爵家の闇は晴れない。
ルドラ様がアリシア様を救う唯一であるのと同じように、バレンシア公爵もまた、アリシア様の心の闇を祓う唯一であるのだから。
「では、その愚かな男の夢の世界をぶち壊しにいきましょうか」
「えっ……」
怪訝な顔を向けるルドラ様へと、満面の笑みを浮かべて言う。
「時間がありません。今から、バレンシア公爵邸へと向かいます!」
♢
馬車で駆けること数時間。バレンシア公爵家へと着いた私は、ルドラ様の案内で公爵邸の最深部にある当主の居室へと来ていた。
重厚な扉を前にため息をつく。
この分だと、先触れの手紙も届いているか、わからないわね。
ルドラ様に案内されながら邸内を歩いて感じた違和感。先触れの手紙を出しているはずなのに、執事の出迎えもなければ、使用人が働いている気配すらない。夜会の日よりも、そらに静けさを増したバレンシア公爵邸内に嫌な予感すらする。
まさか、死んでないわよね?
おそるおそる扉をノックしても反応はない。ただ、ここで躊躇していても仕方がないのも事実だった。
ドアノブに手をかけひねれば、簡単に扉は開いた。
「ルドラ様は、こちらでお待ちになって」
私に続き入室しようとしたルドラ様に声をかける。物言いたげな彼の言葉を遮り、早口で続ける。
「物事にはタイミングが大切ですの。ルドラ様には『ここぞ!』というタイミングで登場してもらいますわ」
「しかし……」
「大丈夫です。バレンシア公爵が、わたくしをどうこうすることはないでしょう。ただ、大きな音がしたら、その時は躊躇なく入って来て、助けてくださいね、ルドラ様」
一つ、ウィンクをすればルドラ様が嫌そうに顔をしかめ、片手で顔を覆う。
「あらっ……、失礼な方ね」
「それは、こちらのセリフですよ。本当、これでお飾りと言われているなんて、我々はとんだ節穴揃いだ」
「ふふふ、おほめに預かり光栄だわ。まぁ、なにかあった時は助けてくださいませね」
そんなことには、絶対にならないけど……
影のように付き従う護衛の者たち。
ルドラ様は気づいていないが、わずかな気配を感じる。
きっと陛下直属の隠密部隊だ。
私を守りながら、自由な行動を許してくださる陛下の温情がありがたい。
レオン様の愛を今の私が疑うことはない。
だからこそ、失敗は許されない。
未だに顔を伏せ脱力しているルドラ様を横目に扉を閉め前を向き、姿勢を正す。
さて、諸悪の根源はどこにいるかしら?
ゆっくりと薄暗い室内を見まわし眉をひそめる。
悪趣味な部屋だこと。
壁一面に飾られた、おびただしい数の額縁。それら全てに描かれているのは、バレンシア公爵の妹君サーシャ様の肖像画だ。
白金の髪に、アリシア様と同じ藍色の瞳が印象的な女性。肖像画に描かれているサーシャ様の年齢は様々で、幼い時のものもあれば、成熟した女性期を描いたものまである。皆一様に笑みを浮かべているが、絵から受ける印象は、どれも幸せそうには見えない。
ノート伯爵家の秘密の小部屋で観たサーシャ様の肖像画はどれも幸せに満ちた笑み浮かべていた。
どれも暖かみを感じる秘密の小部屋の肖像画とは対照的に、ここに飾られている絵は、とても冷たい。
サーシャ様は、望まぬ子を身籠った。
兄から向けられる狂愛は、彼女の心までをも壊してしまったのではないだろうか。
狂気の部屋に飾られた絵を観ていると、そんな気がしてならない。
「……誰だ」
静けさに包まれた部屋に、鬱々とした暗い声が響く。ドキリっと跳ねた心臓を宥め、一つ息を吸う。
「バレンシア公爵、久しぶりですわね」
「……ティアナ王妃殿下か」
「よく声だけで、お分かりになりましたね」
「はは、これでもアルザス王国の元宰相だ。なめるでないわ」
王妃への敬意をも払わぬ態度に、バレンシア公爵の退廃ぶりがうかがえる。
「それで、王妃が何用で来た? あぁ、アリシアのことでも文句を言いに来たのか。すまなんだな」
バレンシア公爵があえて、神経を逆撫でるような言い回しを取っているのはわかっている。
さっさと怒らせて退散させようとでも考えているのだろうが、その策にのるほど愚かではない。
「あらっ? 珍しいこともあるものですね。てっきり、バレンシア公爵様は我が子に興味がないと思っていましたわ。――、いいえ間違えました。実妹、サーシャ様にしか、興味がないのでしたね」
「はは、サーシャのことも知っている、と。どこまでバレンシア公爵家の闇を暴けば気が済むのだ!」
「そうですわね……、あなたの夢の世界をぶち壊すまでと言えば分かるかしら?」
椅子に座り込み、こちらを見ようともしなかった公爵の雰囲気が一瞬で変わる。
立ち昇る怒気に、背がビリビリと震える。
ただ、こんな怒気で怯む私ではない。
「実の子を恐れ、夢の世界へと逃げた臆病者な公爵でもサーシャ様との関係を探られると怒るのね」
「お前に、なにがわかる!」
ゆらっと立ち上がり、こちらを振り返った公爵の瞳に怒りの炎が見える。
「まったく分からないわ。逃げることを選択した臆病者の頭の中なんて。ただ一つだけ分かるのは、あなたがすべての諸悪の根源だということ」
「諸悪の根源か……、確かに俺は悪でしかない」
背を向け力なく椅子へと落ちる公爵を見つめ、確信を得る。
バレンシア公爵もまた、過ちを犯し後悔をし続けている一人なのではないかと。
「アリシア様の裁判が、明日行われます。今のままでは、極刑は免れないでしょう。しかし、私はアリシア様を救うつもりです」
背を向け座り込むバレンシア公爵の肩がわずかに揺れる。
「……アリシアを救うだと?」
「はい。どんな汚い手を使おうとも、彼女の命を救う」
「はっ……、ははは。アリシアは、お前の命を狙ったのだぞ。命を狙われたのに、なぜ救う。意味がわからない」
「確かに、意味がわからないでしょうね。ただ、アリシア様を救う理由は、善意からではありません。己のエゴを満たすため。それだけです」
「己のエゴ?」
「そうです、己の犯した罪を償うため。アリシア様は言いました。私の存在が憎かったと。彼女を狂気に走らせた原因の一つが私の存在だった。だから、助けるのです。己のエゴを満たすために」
「……自分勝手だな」
「自分勝手で何が悪いのですか。現実と向き合わず、夢の世界に逃げているあなたより、よっぽど健全だと思いますが。バレンシア公爵、あなたはアリシア様が生まれてから一度でも彼女と向き合ったことがあるのですか? そして、赦しをこうたことがありますか?」
バレンシア公爵の身体が小刻みに震え出す。
彼が夢の世界の住人と化した理由。
それは、――――
「バレンシア公爵。あなたは、年々サーシャ様に似てくるアリシア様が怖かったのではありませんか?」
「やめろ……、やめて、くれ……」
ずっと、疑問に思っていた。
どうして、バレンシア公爵は愛する我が子をずっと避け続けてきたのかと。
「サーシャ様を殺したのは、バレンシア公爵、あなたですね」
「やめろぉぉぉ!!!!」
つんざくような叫び声が響く。そして、開け放たれた扉から駆け込んできたルドラ様の悲痛な叫びが公爵の放った叫びに重なり、虚しく響く。
「いったい、どういうことなんです!? 義父上!!」




