お飾り王妃、その手に戸惑う
『レオン陛下の側妃選びが始まった』
夜会用のドレスを侍女総出で着つけてもらいながら、最近、社交界で流れ出した噂を思い出していた。
とうとう陛下も側妃選びに本腰を入れるようだ。
今夜の夜会は、側妃の座をゲットするべく、女の戦いが繰り広げられる事だろう。
ただ、陛下の心には既に決まった女性がいる。その令嬢が、今夜の夜会に現れるかは分からないが、礼拝堂でのレオ様のがんばりを知る身としては、その女性が今夜現れる事を願ってしまう。
これが、雛を送り出す親鳥の気持ちなのだろうか。
ここ数ヶ月で、陛下への気持ちも完全に消え去った私は怖いもの無しだ。あとは、今後の身の振り方を有利にするため暗躍するだけ。
侍女ティナとして陛下に恩を売りまくり、側妃擁立後の人生を好きなように生きる。
陛下も想い人とラブラブ。私も、残りの人生を自由に生きハッピー。
これこそ、Win Winの関係だ。
「ティアナ様、準備が整いました」
「ありがとう。ルアンナ」
鏡の中には、銀髪をきっちりと結い上げ、輝くティアラを身につけた通常運転の王妃が写っている。
お世辞抜きに、鏡に写る自分はそこそこイケていると思う。中の上くらいの立ち位置にいると自負しているのだが、誰にも相手にされない夜会へ着飾って行かねばならない我が身の立場が憎らしい。
王妃でなければ、男性の一人くらいは声をかけそうなほどの出来映えなのになぁ。侍女の皆様、不甲斐ない主人でごめんなさい。
心の中で合掌しつつ、鏡に写る自分を見れば、落胆しているようにも見える。
陛下が意中の人を射止めたあかつきには、私も陛下の事は綺麗さっぱり忘れて新しい恋に走ってもいいのかなぁ。
それくらい許してくれる。きっと……
「ティアナ様、お時間でございます」
「えぇ。分かったわ」
胸に去来する寂しさに蓋をし、舞踏会場に向け歩き出した。
♢
見事に揃った美しい蝶達を眺め、感嘆の声を漏らす。
レオン陛下へ挨拶に訪れる令嬢達は皆、この日のためにあつらえた煌びやかなドレスを身に纏い、豪華なアクセサリーを身につけ、着飾っている。
右を向けば、グラマラスな身体を強調する細身のドレスを着た令嬢が、陛下へ向けあからさまなアピールをしている。逆に、左側を向けば繊細な刺繍が施された美しいドレスを着て、儚げな雰囲気を醸し出すスレンダー美女がシナを作って陛下へ目配せを贈っている。グラマラスから儚げスレンダーまで、色とりどりの蝶が揃いぶみだ。
ただ、未だに陛下の心を揺さぶる令嬢は現れない。
陛下のこぼす小さなため息を聴けば、想い人はまだ現れていないと分かる。
そんな中、場の空気が一瞬で変わる。
「レオン陛下。バレンシア公爵家長女、アリシアでございます」
目の前で、美しいカーテシーをとる線の細い女性。その場が、静まり返るほどの存在感を放ち礼をとる令嬢は、久しく夜会へ参加する事がなかったとは思えない程のオーラを放ち佇んでいた。
「アリシアか……、久しいな」
「ご無沙汰しております。陛下も息災ないようで、安心致しました。愚兄ルドラは、陛下のお役に立っておりますでしょうか?」
「ルドラか。よくやってくれている」
「左様でございますか。安心しました。今後とも、バレンシア公爵家をよろしくお願い致します」
陛下の雰囲気が変わる。
明らかに、今までの令嬢達とは違う扱いに、周りで様子を伺っていた貴族達の様子も変わる。
そんなザワつき始めた場を収めたのは、陛下の合図と共に鳴り響いた音楽隊の音だった。
ダンスの開始を告げる音楽と共に立ち上がった陛下がゆっくりと歩き出す。
その場にいた誰もが、ファーストダンスの相手は、バレンシア公爵家のアリシア様だと思っていた。
しかし、それを裏切るように差し伸べられた手。
ワルツのみが流れ、静まり返る会場内は、異様な雰囲気に包まれていた。
何を血迷ったレオン陛下……
目の前に差し出された手。この手の意味する事は十分に理解していた。何しろ、礼拝堂でレオ様に扮した陛下の練習相手になっていたのは、他ならぬ私自身だったのだから。
私に、この手を取れとでも言うのか?
ありえない。
しかし、ここで陛下の手を拒否する勇気はない。そんなことをしたら、お飾り王妃のくせに何様のつもりだと避難轟々になるのは目に見えている。
「へ、陛下!? 本気でございますか?」
ダメ元で聞いてみた。
「本気とは? 私は、ティアナとダンスを踊りたいのだが」
「左様でございますか」
私の最後の抵抗は、冷たく固い声に遮られてしまった。
本気なのね……
差し伸べられた手に手を重ねた瞬間引き寄せられ、陛下の腕に手を添え歩き出す。
ゆっくりと人垣が割れ、会場の真ん中へと連れ出された私の心情は、大荒れに荒れていた。さしずめ、処刑台に連行される罪人の気持ちと一緒だ。
衆人環視の中、陛下と共に歩くのは結婚式以来だろうか。
好奇の目、嫌悪の目……
様々な目に晒されながら、会場の真ん中へと連れて行かれ、向かい合わせに礼を取り、体勢を整えると同時に流れ出すワルツ。
この曲……
流れ出した曲は、礼拝堂で初めて陛下と踊ったワルツだった。
クルクルクルクル……
始めは目も合わせられなかったのにね。
深い紫色の瞳と視線がかち合う。
練習の時よりぎこちない陛下の動きが、彼の緊張感を伝えてくれる。
繋いだ指先、抱かれた腰、密着した身体……
触れ合った場所が熱を持ち、痺れにも似た感覚が全身を駆け抜け、ステップを踏み間違えてしまう。
それを上手くカバーされ、慌てて見上げた先の陛下の顔も僅かに赤くなっていた。
陛下と踊ったファーストダンスは、散々なものだった。ステップは踏み間違えるは、陛下の足を踏みそうになるわ、ダンスを得意とする私に有るまじき失敗である。
満身創痍で、玉座に帰還した私を見てヒソヒソと悪口を言っている貴族がたくさんいるが、知った事ではない。
先ほどの見せ物のもう一人の主役は、もちろん隣の玉座には居ない。
ファーストダンスを終え早々に、本命であるアリシア様と共に、屋外の庭園へと消えた。
ひとり玉座に座り考える。
あのダンスは、本命であるアリシア様との接点を持つ前の、予行演習だったのだ。少し前まで、目も合わせられなかった陛下の事だ。あの場で、アリシア様をファーストダンスへ誘っていたら、きっとボロが出て、愛するアリシア様に恥をかかせた事だろう。
愛しのアリシア様を貶める行為、あの用意周到な陛下が侵すはずがない。
あれは、完全にアリシア様を守りつつ、にっくき王妃を貶めるために、陛下が仕掛けた罠だった。
きっと、そうなのだ。
でなければ、今も早鐘を打ち続ける心臓の鼓動を抑える事なんて出来そうにない。
陛下は、私に罠を仕掛けただけ……
ただ、それだけよ。
流れ続けるワルツの音が、早鐘を打ち続ける鼓動を僅かに鎮めてくれる。
もう、考えるのはやめよう。
荒れ狂う心に蓋をするように、ゆっくりと目を閉じた。