レオン陛下視点
執務室へと続く廊下を歩きつつ、先ほどティナと交わした会話を思い出していた。
王妃に新しい恋人だと!?
そんな存在、認められるはずがない。ティアナは俺の妻だぞ。
身勝手な事を思っている自覚はある。ティアナの立場を悪くした原因も自分だと分かっている。
言い訳したところで、何を今さらと言われても仕方がないと言う事も分かっている。ただ、どうしてもティアナを手離す事だけは出来ない。
昔から笑わない子供だった。楽しいことや嬉しいことがあっても表情筋ひとつ動かない。悲しみに襲われることがあっても涙ひとつ出ない。母が亡くなった時ですら悲しみで心は荒れ狂っているのに、涙が出ることも、顔が悲しみで歪む事もなかった。
そんな俺を見て、父である王は言った。
『為政者たる者、感情を他者に悟られてはならぬ』
確かに、他者の上に立つ者は、常に冷静であらねばならぬだろう。いちいち感情を表に出していては、他者につけ入る隙を与え、混乱を招く危険すらある。
しかし、母を亡くしたばかりの幼い俺にとって、父王の言葉は残酷に響いた。
亡くなった母は、優しい人だった。
上手く感情を表に出せない俺を抱きしめ、毎日諭してくれたのだ。
『いつか貴方も自然に笑えるようになる』と。
そんな母の優しい言葉すら否定され、俺の心は壊れてしまった。
母が亡くなって以来、感情すら動かなくなった。
喜怒哀楽が抜け落ち、感情の波が一切立たなくなった心は、次期王となる身としては好都合だった。
感情が動かない分、冷静な判断が下せる。幼いながらも成果を上げていった俺は、いつしか神童と呼ばれるようになっていた。
周りの期待は膨らみ、舞い込む案件も政治の根幹に関わる物が増えて行く中、聞かされた辺境の地への視察話。
隣国との小競り合いが続いていた当時、国境を守る辺境伯領への視察は重要な任務を秘めていた。
海に面する我が国は、両側を高い山に囲まれているため、他国からの侵入はほぼ出来ない、難しい地形となっている。ただ、一ヶ所だけルザンヌ侯爵領のみ隣国と広大な森を挟んだ平地で繋がっていた。
まさにルザンヌ侯爵領は、国の防衛の要。軽視出来る場所ではない。そのため、ルザンヌ侯爵家には高い地位を与え、隣国に寝返る事がないよう王家が監視を続ける必要があった。
あの視察話も、娘を持つルザンヌ侯爵家に王太子である私が出向く事に意味があり、結婚を見据えた顔合わせだと認識させるための派遣である事も理解していた。
たとえ、ルザンヌ侯爵家と姻戚関係を結ぶ意思が王家側になかったとしても、王太子が出向く事でのメリットは大きい。
勝手に勘違いをして、隣国の防衛に徹してくれればそれで良い顔合わせだった。
ただ、ルザンヌ侯爵領で運命の出会いを果たすなどその時は考えもしなかったが。
木から降って来た少女に恋をした。
従者に抱かれ恥ずかしそうに俯いていた少女が立ち上がり、泥だらけのスカートをつまみ、見事なカーテシーをとった時、動く事のなかった感情の波が立った。
泥だらけのスカートに、顔も汚れている少女。どう見ても、美しいとはいえない格好をして礼をとる彼女を単純に美しいと思った。
そして、可愛らしいと感じる感情のまま笑みがこぼれていた。
『いつか貴方も自然に笑えるようになる』
母の言葉が脳裏を過ぎる。
ティアナは俺の運命なのだ。手離せる筈がない。
「陛下、お早いお戻りで。確か、午前中いっぱいは例の侍女との密会でしたよね」
「おい! 変な言い方をするな。まぁ、密会だがやましい事は一切ない」
「そりゃぁ、そうでしょうね。陛下は王妃様、一筋ですもんね」
「うるさい!」
軽口をたたく、近衛騎士団長のアルバートを睨み椅子に座る。
「それで、上手く行きそうなんですか? 例の侍女、ティナでしたっけ。王妃様の動向を探れそうですか?」
「いや、それが中々に手強くてな。あの様子では、簡単にティアナの様子をこちら側に流してくれるとは思えない」
「しかし、今後の事を考えると王妃様付き侍女の協力は不可欠ですよ。うるさい連中の我慢も限界のようですし、無理矢理次の夜会をねじ込んで来るあたり、本気で側妃を娶らせようと画策してくる筈です。そうなれば、今以上に王妃様の立場は危うくなります」
「そうであるな。このままでは、ティアナの命も危険か」
「はい。今は、夜会で令嬢達の相手をするだけで、側妃を選ばない陛下への不満は何とか収まっていますが、そろそろ限界です。このまま、のらりくらり交わしているだけでは、その内強行手段に出る者も現れるでしょう。ティアナ様の命を狙うバカもチラホラ出始めております」
「それは誠か!?」
「王妃の間の警備は厳重にしていますし、そんな幼稚な考えしか出来ない輩の刺客など、大した事有りませんがね。ただ、頭の切れる奴らが動くと面倒です。そろそろ策を講じませんと手遅れになります」
「策かぁ……」
「こんな状況になるまで放置した陛下が悪いんですよ。好きな人を前にすると緊張して顔が強張るって、どういう神経しているんですか」
「知るか! 俺だって、改善する努力はして来たさ。毎日鏡の前に立ち笑顔の練習をしてみたり、ティアナとの公務の時も話しかける努力もした。ただ、どうしても、ティアナを前にすると心臓が破裂しそうで、冷静ではいられなくなる」
「本当、大の大人が何を言っているんだか。思春期のガキじゃあるまいし。陛下の努力は認めますよ。毎日の練習の甲斐あって、ティアナ様以外のどうでもいい令嬢には、似非スマイルが出来るようになりましたし、女性の扱いも頻繁に行われる夜会で見事なスキルアップを果たしましたしね。ただ、どうしてそれを愛する女性に出来ないのか。本当に残念としか言いようがない」
「…………」
「ただ、もうそんな事、言ってられませんからね。陛下が動かなければ、本当に取り返しのつかない事になる。ティアナ様の心が、別の男に向かっても文句言えませんからね」
ティアナが男の手を取り駆け落ちするシーンが脳裏をかすめ、嫉妬の炎が燃え上がる。
「そんなこと……」
許せるはずがない。
「アルバート。社交界に噂を流してくれ」
数週間後。
社交界はある噂で持ちきりとなる。
『レオン陛下が、側妃選びを始めると』