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お飾り王妃、対峙する


 眼前に聳える重厚な扉は、父の執務室へと続く。


『この中に父がいる』


 そう思うだけで、緊張感だけが増していった。


 数年ぶりの再会に、大きく吐き出した息も心なしか震えている。


 タッカーは、爺やに連れられ客間へと消えた。ここからは誰の助けも得られない。自分で何とかするしかないのだ。父へと取り次いでもらえたものの、話を聞いてくれるかはわからない。『帰れ!』と叱責され、こちらの話すら聞いてくれない可能性もある。ただ、ターナーの件だけは話をつけねばならない。


 門前払いされたら、何時間でも扉前に居座ってやる。そんな強気な事を思いながら、扉を叩いた。



「ご無沙汰しております、お父様」


 執務机で書き物をしていた父は、こちらをチラリと見ただけで、何も言葉を発しない。室内を沈黙が支配し、重苦しい空気に気圧されて身動きが取れず、呼吸すらままらない。


 こんなところで尻込みしている場合ではない。


「お、お父様! お願いがございます。いきなり帰って来て、挨拶もそこそこにお願いなど、不作法者と罵られても仕方ございませんが、どうかお話だけでも聞いてもらえないでしょうか?」


「――お前は自分の立場がわかって物を言っているのか?」


 数分の沈黙を破り、父が発した言葉が刃となり胸に突き刺さる。


 お願いができる立場でない事は十分にわかっている。父にとって私は、故郷を捨てて、逃げた存在。この地に再び足を踏み入れた事自体、許せないだろう。それでも、ここで帰る訳にはいかない。


「わかっております。私は、故郷を捨てた人間です。今更、助けて欲しいと言うのは、お門違いな話です」


「なら、さっさと帰れ」


 こちらを見ようともせず、言い放たれた言葉が、さらに胸の傷を抉っていく。父の怒りは、相当な物だと認識してはいた。ただ、顔も見たくないほどに、見捨てられているとは思っていなっかたのだ。


 昔の優しかった父の記憶が蘇る。甘えていたのだ。心のどこかで、父なら私を赦してくれるのではないかと思っていたのだ。厚かましいにも程がある。いつまで経っても、他人頼みで何も出来ない自分。認識の甘さに、吐き気がする。


 ただ、もう引けない。父の助けを得られるまでは引けないのだ。


「どうか、どうかお願いです。お話だけでも聞いてください。お父様に助けていただく以外、かの者が助かる道はないのです。どうか話だけでも――」


 地面に膝をつき、床に頭を擦りつけ、何度も何度も頭を下げる。


「――かの者とは、誰だ?」


 頭上から降り注いだ硬い声に、身体がビックっと震える。ターナーの話をすると言うことは、もちろんバレンシア公爵家の話にも言及しなければならない。情報を隠したまま、助けてもらうなど出来ないことはわかっている。ただ、今まで知り得た情報を話せば、自分の愚かさが露見する。


 きっと、さらに呆れられる。我がままを通し、陛下へと嫁いだのに、今の自分の立場はお飾り王妃だ。陛下との仲は冷え切り、王妃としての責務すら果たせていない。そんな自分の愚かさを曝け出すのは、身を斬られるように辛い。隣国との臨戦状態が続く国境を守って来た父は、厳格な人だ。国のため、必死で国境を守ってきた父から見たら、嘆くばかりで漫然と時を過ごすだけで何もして来なかった私は、悪でしかない。


 これは罰なのだ。何もして来なかった自分に対する罰なのだ。


 今さら、引くことは出来ない。


 意を決し、父の顔をふり仰げば、鋭い眼光に睨まれ、背を冷や汗が流れていく。もう、逃げない――


「――かの者とは、ノーリントン教会にいるターナーという平民の男のことです」


「はっ? どう言うことだ?」


 予想外の人物の名に、剣呑な空気を吐き出した父に向かい、ルザンヌ侯爵領を出てからの数年間の出来事をポツポツと話し始めた。




「ほぉぉ、それでお前は、王妃でありながら、侍女まがいの事をして、他人のお家事情に首を突っ込み、おせっかいを焼いているわけだ」


 父の辛辣な言葉が、心の傷をさらに抉っていく。しかし、これは受け入れるべき罰なのだ。どんな罵倒も、叱責も受け入れなければならない。私の恥を晒すことで、父の協力を得られるのであれば安いものだ。


「しかも、依頼主のアリシア嬢は、陛下の側妃候補筆頭ではなかったか? 正妃であるお前からしたら、政敵である。そんな令嬢の願いを叶えるためにお前は私に頭を下げているのだぞ。ティアナ、お前はいったい何がしたいのだ? 陛下に蔑ろにされ、貴族共にお飾り王妃と揶揄され、側妃をとの声が上がっている現状なんだぞ。悔しくないのか?」


――悔しくない?


 そんな訳ない。悔しくて仕方ない。


 ただ、自分の愚かさも十分に理解している。陛下に蔑ろにされたのも、お飾り王妃と揶揄されるのも、側妃をと言われるのも、全部自分の弱さが招いた事なのだ。今まで逃げてきたツケが、自分に回ってきた結果だとわかっている。


 だからこそ、自分の想いに決着をつけ、一歩を踏み出そうと決意したのだ。


「悔しくない? ――そんな、訳ないわよ! 悔しいに決まっているじゃない!」


 そう、悔しくて堪らない。自分の不甲斐なさが悔しくて悔しくて、涙が滲み出る。


「我がままを通して、陛下と結婚したのに、彼には既に想い人がいたのよ。そんな事も知らずに浮かれていた。そんな状態で夫婦関係が上手く行く訳ない。案の定、陛下からは無視され、話すら交わす事もない日々を送る事になったわ」


「ほぉ、それで」


「陛下に蔑ろにされた王妃なんて、誰が相手にするのよ。お飾り王妃と呼ばれて当然よね。居ても居なくても関係ない、取るに足りない存在なんだもの」


「それで、お前は拗ねて、その立場に甘んじていた訳か」


「えぇ、そうよ。それの何が悪いって言うのよ。辺境の地から出て来た、社交界の右も左も分からない女に、社交界の魑魅魍魎どもを制する力なんて無いわよ」


「そんな事は、陛下に嫁ぐ前から分かっていた事だと思うがな」


 父の言う通りだ。辺境から出て来たばかりの田舎令嬢に王太子妃など、務まらない事は始めから分かっていた。


 ただ、陛下を好きだった。


 そんな単純な事にも気づかない程には、愛していたのだ。


「分かっているわよ! でも、陛下の事が……、レオン様の事が好きだったのよ。そんな分かりきった事が、分からなくなるほどには」


 地面に突っ伏し、泣きじゃくる。止めどなく流れる涙を止める術など知らない。ひっきりなしに上がる嗚咽が響く。


「そうか……。お前が、まだ陛下の事を愛していると分かって良かったよ」


「えっ!?」

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