お飾り王妃、先生となる
「レオ様! 何度も申し上げていますように、なぜそこで目を逸らすのです。それでは、意中の女性は嫌われていると勘違いしてしまいます」
「いや、しかし。目を合わせてニッコリ笑うなど俺には無理……」
「何をおっしゃいますか! 夜会では、様々な女性を手玉にとって、笑みを振りまいていたくせに」
「はぁ? ティナは、どこかで俺を見た事があるのか⁇」
「えっ!? いやぁ……、そのぉ、アレですよ。レオ様は、顔面偏差値だけは高いから人気があるというか、有名というか。とにかく、侍女仲間から聞いて知っているんです」
目の前で怪訝な顔をするレオ様こと、レオン陛下を見つめ慌てて誤魔化す。
陛下との奇妙な主従関係が始まり、すでに数週間が経とうとしていた。未だに、私の正体はバレていない。陛下も陛下で、正体を明かすつもりはないようで、近衛騎士レオで通すらしい。
そんな嘘調べればすぐバレるのにと、興味本位で近衛騎士名簿を確認してみたが、そこら辺はぬかりはないようで、伯爵家の次男という肩書きと名前がバッチリ記載されていた。
智略に長けた陛下らしいと言えば、陛下らしい。妻に対する扱い以外は、名君と言われるに相応しい念の入れようだ。
「そんな事より、次の夜会でその女性をダンスに誘うのでしょう。でしたら、そんな目を逸らした状態で、手を差し出したところで無理です。その方が高位貴族の令嬢なら、即刻拒否されます」
「そんな事は分かっている。ただ、彼女を前にすると自分でも制御出来ない緊張感に襲われるというか、顔が強張ってしまう。そんな怖い顔を見せるより、逸らした方がまだマシではないのか?」
「何をおっしゃいますか! そんな事では、相手にレオ様の気持ちは一生伝わりませんよ」
「…………」
もう! そこでダンマリするなぁぁ!!
項垂れ、椅子に座り込んでしまった陛下を見つめ、こっそりとため息を吐き出す。
陛下と密約を交わしてからというもの、例の礼拝堂で近衛騎士レオに扮した陛下と密会を重ねるという奇妙な関係が続いていた。
未だに、陛下は想い人が誰かを明かすつもりはないらしい。ただ、彼が話さなくとも、話の端々に散りばめられたヒントを繋ぎ合わせれば、相手の女性が誰であるかは簡単に分かった。
『バレンシア公爵家のアリシア様』
陛下の側近中の側近であるルドラ様を兄に持ち、幼少期は、陛下の遊び相手でもあったと聞く。確か、想い人は昔からの顔馴染みと陛下はおっしゃっていたから、アリシア様が初恋の相手なのだろう。
しかも、彼女は陛下の婚約者候補筆頭だったのだ。あの婚約者発表の夜会をスッポカスまでは。
今考えれば、あの夜会で私の名が発表されたのも、アリシア様が出席されなかったからだ。婚約者候補の次点の位置にいた私に、たまたまそのチャンスが転がりこんだだけ。ただそれだけだった。
それなのに、盲目的に陛下を愛していた私は知らなかった。婚約者になった事に舞い上がり、その裏で陛下に恨まれる事態になっていたとは、知らなかったのだ。
当時社交界では、アリシア様が夜会に現れなかったのは、私の生家であるルザンヌ侯爵家が裏で手を回したからという噂が実しやかに囁かれていた。
もちろんルザンヌ侯爵家が、バレンシア公爵家に手を出す訳がない。いかに、我が家が他の侯爵家より抜きん出た金と権力を有していたとしても、国の重鎮である宰相を当主に持つバレンシア公爵家を敵に回すほどバカではない。そんな事は、子供でも分かりそうなモノだが、そんな根も葉もない噂が社交界では広まった。
それを陛下は鵜呑みにしたのだろう。その結果が、結婚式当日のあの仕打ちだったのだと、今なら理解出来る。
愛する女性、アリシア様との仲を引き裂き、婚約者の座についた卑しい女。それが、陛下の私に対する認識だったのだろう。冷たい瞳で睥睨されるだけで済んで良かったと思うべきなのだ。
「レオ様、貴方様の気持ちも分かります。愛しい女性を前にすれば、誰だって失敗しないようにと緊張もしますし、臆病にもなりましょう。しかし、それでは何も始まりません。勇気を出して一歩を踏み出す事も大切です。さぁ、練習しましょ」
項垂れ黙り込んだ陛下を前に手を差し出す。
「気楽に行きましょう、レオ様」
差し出した手が大きな手に覆われる。ゆっくりと立ち上がった陛下を見上げると美しく輝く紫色の瞳とぶつかり、心臓がトクンと鳴った。
静かな礼拝堂の中、始まったダンスは、心を高揚させて行く。
「ティナは、ダンスも上手いんだな。音もないのに、こんなに踊りやすいのは初めてだ」
「そうですか? 私はただレオ様のリードに身を任せているだけですが」
「いや、そんなことはないと思うぞ。リードに任せると行っても、何の曲を踊っているか分からなければ、ステップは踏めない。王宮で働く侍女は、これくらい出来て当たり前なのか?」
「いやぁ……、そのぉ……、そうかもしれませんね」
王宮の侍女達のダンスレベルがどの程度かは不明だが、音楽なしでステップを踏める人間などほぼいないだろう。これも、幼少期に叩き込まれた妃教育の賜物だと思うと泣けてくる。
「そうですねぇ。確かに王妃様に仕える者達のダンスのレベルは高いと思います。何しろ、王妃様がダンスの名手でいらっしゃいますから」
「王妃かぁ。久しく踊っていないなぁ」
久しくどころか一度も踊っていないが……
すっとぼけた事を言っている陛下を見つめ、フツフツと意地悪心が湧き上がる。
「えっ? レオ様は、王妃様とダンスを踊った事があるのですか?」
「あっ!? いやぁ、あの、そのぉ。昔な昔。まだ、王妃が結婚する前の話だ」
「そうですか」
明後日の方向に視線を逸らし、苦しい言い訳をする陛下に、少し溜飲が下がる。
あまり、イジメ過ぎるのも自分の首を絞めかねない。ここら辺でやめておこう。滅多に見られない陛下の焦る姿も見られた事だし、深入りは避けた方が身のためだ。
「ティナは、王妃付き侍女であったな。王妃は……、彼女は、最近どうしているだろうか?」
「どう? と申されましても、レオ様は王妃様の何をお聞きになりたいのですか?」
「ティナは、王妃の立場が社交界で蔑ろにされているのは知っているだろうか? レオン陛下の態度が、王妃の立場を悪くさせた要因であると俺は思っているのだが、そんな状況を彼女はどう感じているのかと思ってな」
その原因を作った本人がそれを聞くのね。
ステップを踏んでいた足が止まる。
「レオ様が、それを聞いてどうなさるのですか? 一介の近衛騎士如きが、どうこう出来る問題でもありませんよね」
「まぁ、確かにそうではあるな。ただ、王妃とは昔からの顔馴染みというか、彼女の現状をどうにか出来ないものかと思っているのだが……」
なんとも歯切れの悪い物言いに、怒りを通り越してシラけた気持ちになってくる。
陛下にとっては、王妃の現状を確認し、あわよくば王妃付き侍女を仲間に引き入れ、今後起きるであろう変革を優位に進めたいとの裏があるのだろうが、厚顔無恥にもほどがある。
近衛騎士のレオとレオン陛下が同一人物だと始めから知っていると告げ、目の前に立つティナが王妃ティアナだと暴露したら、目の前の彼はどんな反応をするのだろうか。
少しは自身の発言を悔いるのだろうか。
「王妃様の現状ですか? それはもう悲惨の一言に尽きますね。夜会に出ても、挨拶ひとつされない忘れられた存在ですものね。高位貴族の方々も王妃様がいない者として振る舞われていますしね。そうでなければ、王妃様がいらっしゃるのに、レオン陛下へ娘をけしかける事などなさいませんでしょ」
「はぁ、まぁぁそうだな。王妃は、その事に関して何か不満などは言っていなかったのか?」
「不満? それはもう溜まりに溜まった鬱憤はおありでしょうけど、もう諦めていらっしゃるでしょうね」
「諦めているのか?」
「えぇ。それはもう。綺麗さっぱり陛下との関係はないものとお考えだと思いますよ」
「はっ!? 王妃は、陛下を愛していない?」
「そりゃあ、そうでしょう。陛下は王妃様と目を合わす事もなく、言葉をかける事もない。貴族からはお飾り王妃と貶され、あんな扱いを受けていたら誰だって嫌になりますよ。さっさと陛下の事は忘れて、新しい恋に走った方が良いと侍女達でおススメしていますのよ」
「なっ!! それは本当か!? 王妃に新しい恋人がいるのか!」
マズい! 調子に乗って、ついつい口が滑ってしまった。
「えっ!? いえ、いません。いません。冗談で新しい恋人云々のお話をする事はありましたが、今のところ王妃様にその気はありません。お飾り王妃と言われようと、愛される事はないと分かっていても、王妃様はレオン陛下を裏切るような真似は致しませんよ。きっと」
「そうか……」
「まぁまぁ、そんな事は置いておいて、ダンスの練習練習。私をその方と思って目をそらさない! ほらっ、こちらを向いてくださいな」
陛下の両手を掴み、無邪気を装い回り出す。
「当日は、目を逸らしてはダメですよ。せめて、ダンスに誘う時くらいは、きちんと目を見て手を差し出してくださいね」
「あぁ……」
ユラユラと揺れる蝋燭の灯りと天窓から降り注ぐ陽の光。何とも幻想的な空間の中、男女は踊る。
それぞれの想いを胸に。