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お飾り王妃、偽りの笑みをうかべる


 気持ちいい……


 額に感じた心地よい冷たさに意識が浮上する。閉じた瞳に感じる暖かな光にゆっくりと目を開ければ、視界に映った光景に、反射的に身体が跳ねた。


「痛ったぁぁ……」


 額に置かれた手を押し退け起き上がった私の頭は、運悪く私の顔を覗き込んでいたタッカーの頭にクリーンヒットしたらしい。痛みに頭を抑え、耐えているタッカーの顔が見える。瞳に薄ら涙まで浮かんでいる。


 後頭部に感じる心地よい弾力に、状況を飲み込み始めた私の脳が、混乱の極地へと達するのは早かった。


 まずい……。私、タッカーに膝枕されているのか。どうやら、気を失っていたらしい。


「あっ、あっ、あっ……、タッカー様」


「……起き上がらないで。このままで」


 このままと言われても……


 起きあがろうとした私の体を元の位置へと押し戻したタッカーは、まだ額を手で抑えている。当たりどころが悪かったのか、痛みに顔をしかめている彼を見ると、起き上がるに起き上がれない。


「タッカー様、大丈夫ですか?」


「えぇ。大丈夫です」


 痛みに耐え、無理に笑顔を作ろうとする彼を見ると、何とも居た堪れない。前方を確認せず起き上がった私が悪いのかもしれないが、まさか膝枕されているなど思わないだろう。しかも気を失っていたのだ。気を失って――


 唐突に思い出した気を失う前の出来事に、またも飛び起きてしまった。


 『ゴッン……』という音とともに、再度頭を抱えることになったのは言うまでもない。





「タッカー様、申し訳ありませんでした。二度も打つけてしまい」


 近くの小川で濡らしてきたタオルを額に押し当て、私の膝の上へと頭を預け横たわるタッカーを見下ろし、こっそりとため息をこぼす。二度目は完全に私が悪い。タオルの下の赤く腫れ上がった額を思い出し、気が重くなる。しかし、同じように、二度ぶつけている私の頭は何ともない。今は痛みすらない現状が、さらに私を追い詰める。


「いいえ、謝らねばならないのは私の方です。そもそも、このような結果になったのは私の責任と言いますか、自業自得ですから」


「はぁ、まぁ……」


 確かに元はと言えば、タッカーが変な事を言い出したからというか……


 唐突に思い出した言葉に、見る見る頬に熱がこもっていく。意識が、あちらの世界へと飛びかけていてはっきり覚えていないが、何やら告白めいた事を言われた記憶だけが薄ら残っている。私をずっと見てきただとか、奪って逃げたいだとか。


「想いが暴走しました。まさか、気を失ってしまうとは考えもせず。それ程までに、ショックでしたか?」


「えっと、そのぉ」


 ショックだったかと言われれば、衝撃だったと言わざる負えないだろう。何しろ、嫌われていると思っていた人間から、突然『愛』を叫ばれれば誰しも驚くに決まっている。ただ、気を失ったのは、決して告白に驚いたからではない。感情に飲み込まれ、私を抱く腕を思い切り締めたタッカーの馬鹿力のせいだ。本当に締め殺されるところだったのだ。気を失うだけで済んでよかったと思う。流石に、タッカーが殺人者になってしまうのは、目覚めが悪い。


「確かに、私はティアナから避けられていましたし、そうさせるだけの罪を犯した過去もある。そんな男から好きだと言われれば、ショックを受けて当然ですね。ただ、今の現状に腹を立てているのは事実です。お飾り王妃という立場に追い込んだ陛下の事はもちろんですが、そんな貴方を助けることも出来ない自分自身にもです。ティアナ、私にもう一度チャンスをくれませんか?」


「……チャンス?」


「えぇ、そうです。今は、まだ心に陛下がいるのだと思います。ただ、貴方への今までの仕打ちを思い出してください。貴方以外の女性とは、微笑み、手を重ね、ダンスすら厭わない男が、ティアナとは、言葉すら交わすこともしない。そんな男に、立てる操などないと思いませんか?」


 目も合わず、会話も交わすこともなく、蔑ろにされ続けた結婚生活。そして、王妃としての存在価値すら奪われた日々。幸せな過去にすがり、自身の存在を殺した。


 陛下への『愛』とは、いったい……


「……陛下への愛など幻想に過ぎないのかしらね」


 ただの執着だったのか。

 幼き日々の淡い想いが、ガラガラと崩れていく。


「私なら貴方を悲しませない。どうか、私の手をとって欲しい」


 見下ろした彼の顔が滲む。パタパタと落ちる雫の雨を止めようと伸ばした指先を、そっと包まれ引き寄せられた。


 唇に感じた熱が、甘い毒となり、全身を駆け巡っていく。


「もう、解放されてもいいのかな? この想いから……」


「えぇ。もう辛い想いを抱えて生きることはない。今は、私の手を取ることは出来ないかもしれない。ただ、忘れないでほしい。貴方を愛する『私』という存在が此処にいるということを」


 彼の言葉が、脳を甘く痺れさせる。


「私は、王妃ではなく、ただの『ティアナ』として生きる未来を選んでもいいの?」


「えぇ、もちろんです。貴方が一人の女性として、ティアナらしく生きる未来を潰す権利は誰にもありません。たとえ、陛下であってもです。だから――」


 強い力で抱き寄せられ、耳元で囁かれた言葉に息を呑む。


『貴方を幸せにするチャンスを私にください。必ず、貴方を陛下から奪ってみせる』


 王妃という呪縛から解き放たれ、幸せになる未来。それを選ぶ権利は誰にも奪えない。たとえ陛下であっても。


「タッカー様、どうかお願いです。私を奪ってください」


 苦しみから解放されるためだけに、彼の恋心を利用する私はひどい女なのだろう。


 ただ、もう限界だった。


 見上げた先のタッカーの笑みを見つめ、偽りの笑みを浮かべる。


 軋み痛みを訴える心を無視して。

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