お飾り王妃、気づく
やはりそうだったのか……
ミーシャ様へと結婚話が告げられた時、二人の関係は終わるはずだった。ただ、最期に体の関係を持つ選択をするのには十分な理由が二人にはあったのだ。当時、ターナーの病状は深刻さを増していたという。日常生活を送るにも困難で、一日の大半をベッドの上で過ごしている有り様だったと。いつ発作が起き死んでもおかしくない状況の中、死期が近い事も悟っていた彼は、ミーシャ様に乞われるまま一度だけ身体の関係を結んだという。それで二人の関係は終わるはずだった。しかし運命の悪戯か、そこで途切れるはずだった二人の関係は、数ヶ月後にオリビア様がターナーの元へ訪れた事で急展開を迎える事となる。十分な治療が受けられる施設へと移され、ミーシャ様とも再開を果たした。それからは彼女に言われるがまま施設を転々とし、最終的にノーリントン教会へと移った。
ターナーは一晩の行為でまさかミーシャ様が身籠るとは考えてもいなかったのだろう。
たった一晩の過ちが、様々な人の運命を狂わせた。もし若い二人の間に体の関係がなければ、身分違いの恋という綺麗な悲恋で事は済んだのかもしれない。ミーシャ様は、ノートン伯爵家と釣り合いの取れる貴族家へ嫁ぎ幸せに暮らしていたかもしれない。もし、アンドレ様を身籠らなければ、ミーシャ様はオリビア様を亡き者にしようとは考えなかっただろうし、今とは違う道を選ぶことだって出来たかもしれない。そして、アリシア様とルドラ様は、今もバレンシア公爵家で幸せな時をオリビア様と共に過ごしていたのかもしれない。兄と妹として――
『もし』を考えたところで仕方がない事だとわかっている。ただ、いくつもの偶然が重ならなければ、バレンシア公爵家の闇はここまで深くはならなかっただろう。
オリビア様とバレンシア公爵との間にどのような取引があり、彼女が公爵家に嫁ぐことになったかはわからない。ただ、ノートン伯爵家の隠し部屋で見つけた絵の中のオリビア様とサーシャ様はとても幸せそうに見えた。きっと二人は、とても仲が良かったのだろう。体の弱かったサーシャ様が、兄の子を身篭り、その子を産むことで自身の命が尽きるとわかっていたら、生まれてくる子を最も信頼出来るオリビア様に託したとしても不思議ではない。そして、その事実をミーシャ様が知らない筈がないのだ。ミーシャ様とオリビア様もまた、とても仲が良い姉妹だったのだから。
愛する人と、血を分けた子を守るため毒婦へと落ちたミーシャ様。愛は人を狂わせる――
中庭で子供たちと遊び、穏やかな笑みを浮かべていた彼女を思い出し胸が締め付けられる。
どうにかして、この二人を助けられないだろうか?
オリビア様を死に追いやった罪が消えることはない。ただ、情状酌量の余地があるのではないだろうか。
しかし、ミーシャ様を見逃せば、母を失い今まで辛い思いをし、生きてきたあの兄妹の想いは報われない。
いったい私はどうすれば――
「――頼む。俺はどうなっても構わない。どうか……どうか、ミーシャとアンドレを……ゴホッ……ゴホゴホッ……」
「ターナーさん! どうしました!?」
急に激しく咳き込み出した彼に駆け寄り、背中をさするが一向に落ち着かない。ゼーゼーと鳴る息遣いに焦りだけが募っていく。
これが、彼の言っていた発作なのだろうか?
「人を呼んでくるので待っていてください!!」
「……いい……く、薬……箱……」
指さされた方へと目を向ければ、テーブルの上に花模様の箱が置かれていた。慌ててテーブルへと駆け寄り、箱を掴み彼の元へと取って返す。そして、転がった水差しに残っていた水をコップへと移し、手渡した。箱の中から目当ての薬を見つけ出し、それを飲みほしたターナーの症状が徐々に落ち着いてくる。
「大丈夫ですか? 少し横になった方がいいです」
「あぁ……助かった……」
床へと散らばった薬を拾い上げ、箱へと戻す。
――コレって。
「ターナーさん、この薬見てもいいですか?」
「あぁ、見ても良いが……、シスターはこの薬を知っているのか?」
「知っているというか、ターナーさんの病気と私の母の病気は、たぶん同じなんだと思います。昔、母がこれに似た薬を服用しているのを見ました」
母が毎日服用していた薬と似ているようで、全く別物の薬を見つめ眉間にシワがよる。この薬の中には一番重要な植物が含まれていない。鮮やかな青色の花を乾燥させた粉末が含まれていないのだ。この独特の香りは、母が飲んでいた薬からも香っていた。ただ、この薬の見た目は全く異なる。
「ターナーさん、この薬は発作を起こした時とは別に、毎日飲むように指示されている薬ですか?」
「あぁ、この薬を飲むことで徐々に病気が良くなると言われている」
当時、母が言っていた。『この青い粉が病気を治してくれるのよ』と。その言葉通り、病弱だった母は、すでに病気が治り、健康そのものだ。
この薬が、母が服用していた薬と何が違うのかはわからない。もしかすると、あの青い粉がなくともターナーの病気を治すことは可能なのかもしれない。ただ、ノーリントン教会とルザンヌ侯爵領は目と鼻の先だ。同種の病気を治す薬が変わるとは考えにくい。
「この薬を飲むように言われたのは、この教会に来てからですか?」
「そうだ。ここに来るまでは薬さえ与えられなかったからな。何度か死にかけたが、ここに来てからは発作が出た時に飲む薬に治す薬と、ありがたい事だ。飲み始めて三年くらいか」
三年も飲み続けて治るどころか、発作を完全に抑えることも出来ていない薬など眉唾ものだ。どう考えても、ミルガン商会は、ターナーさんの病気を治すつもりはないようだ。奴らにとっては、彼の病気が完治してしまえば、金ズルを失うことになるのだから。ただ、母の病気とターナーの病気が同じならば、治る見込みはある。上手く、この教会からターナーを連れ出し、ルザンヌ侯爵領に連れていくことが出来れば、母と同じ薬を使うことが出来る。
ルザンヌ侯爵領は辺境過ぎてあまり知られていないが、隣国との国境にある森を介して採れる薬草や鉱物を使った薬学と、隣国との諍いから学んだ医学が混ざり合い、医薬の知識が独自の発展を遂げた経緯がある。王宮の侍医も真っ青な医薬的知識を有する博士がたくさんいる。彼らだったらターナーの病気を治すことが出来るのではないか。母のように――
期待が確信へと変わっていく。
「ターナーさん、この薬一つもらってもいいですか?」
「えっ!? すまんがこれは貴重な薬で……」
「確かに貴方にとってこの薬は大変貴重なものでしょう。ただ、この薬では貴方の病気は治りません。死ぬことはないかもしれませんが、治る可能性は限りなくゼロに近い」
「なぜ、シスターにそんな事言えるんだ? 現に、この発作止めはよく効いている」
「その発作止めは症状を緩和するだけで、病気そのものを治す薬ではありません。私が言っているのは、毎日飲んでいるこちらの薬のことです。この薬には、病気を治すのに必要な薬が含まれていない。先ほど、私の母の病気とターナーさんの病気は同じではないかと話しましたよね。母は、この薬に似た薬を飲み続け、すでに病気が完治しています。なのに、貴方はすでに三年もその薬を飲み続けて、いまだに発作すら完全には抑えられていない。その意味がわかりますか?」
「何が言いたい?」
「つまり薬を渡している者達にとって、貴方の病気が完治してしまっては、困ると言うことですよ。金ズルがいなくなりますからね。死なない程度に生きていて貰えればそれで良い。そんな人達の元にまだいますか? それとも突然現れた女を信じて身を任せますか? 私は貴方の意思を尊重します」
これは賭けだ。ここで、ターナーに拒否されてしまえば私の計画は狂う。ターナーの病気が治るかはわからない。ただ、ここから連れ出しルザンヌ侯爵領に連れていくことが出来れば、今のようにミーシャ様が搾取されることは無くなる。母が飲んでいた薬は、ルザンヌ侯爵領では高価な薬ではない。平民でも比較的手に入れやすい薬だ。ミーシャ様のターナーへの想いの深さを考えると、彼女がこちらの交渉に乗ってくる可能性は高い。ミーシャ様さえ抑えることが出来れば、バレンシア公爵と妹君サーシャ様との秘密は守られる。そして、バレンシア公爵との交渉も成功し、ルドラ様が次期当主となる。アリシア様はめでたく陛下と結婚――
『ティアナを娶るため、アリシアと手を組んだ』
はぁぁ、なぜ今思い出すのだ。陛下とのことは忘れるのよ。彼が私自身を求めていたなんて有り得ないのだから。
「俺が、貴方の言う通りにすればミーシャは幸せになれるのか?」
「ミーシャ様の幸せは、ターナーさんの病気が治り、共に人生を歩むことなのではありませんか? 邪険にされてもなお、此処を訪れる彼女の気持ち、痛いほど分かっているのは、貴方自身でしょう」
「――シスター、貴方に俺の命預けます」
夕焼け色に染まった草原を見つめる彼の横顔は、泣いているようにも見えた。




