お飾り王妃、貴婦人の秘密を知る
「奥様、そろそろお時間でございます」
「あら? まぁ、そんな時間なのね。子供達と遊んでいるのが楽しくて、気づかなかったわ」
膝に子供を乗せ手遊びをしていたミーシャ様が、エルサの声にこちらを見る。
やはり違和感しかない。ただ、今目の前にいる彼女こそが本当のミーシャ様なのではないかと直感が告げている。
案外、子供という生き物は本能で生きている。たとえ取り繕っていても、自身に向けられる敵意には敏感なものだ。あの姿が偽りであるなら、子供達は無意識的にミーシャ様を避けるだろう。しかも、あんな自然に笑うミーシャ様を初めて見たのだ。
あの姿が本当の姿だとするならば、なぜ彼女はあんな毒婦の振りを続けているのだろうか?
その答えが此処にある。
エルサの案内で教会の奥へ奥へと進んで行くミーシャ様の背後を少し間を開けついて行く。
中庭を横目に長い回廊を進み、礼拝堂を過ぎ、教会の最深部に、その部屋はあった。
「奥様、こちらでございます」
焦茶色の扉の前で止まったエルサが振り返り、深々と頭を下げる。
「シスター、彼は……彼は、まだ生きて」
「病状は比較的安定しています。奥様からの寄付とお薬のお陰かと」
「そう……、今日は、少し話せるのかしら?」
「そうですね。長居は出来ませんが、短時間であれば問題ないかと」
「そうなのね。本当にありがとうございます。どうか、どうかこれからも診てやってくださいね」
「問題ございません。貴方様の善意が続く限りは」
「もちろんよ! どんな手段を使おうとも……」
深々とエルサに向かい頭を下げるミーシャ様の最後の言葉の不穏さに、彼女の決意の程が透けて見える。果たして、ミーシャ様を毒婦へと駆り立てる存在とは?
閉ざされた扉の向こう側にいる存在こそが、彼女の弱み。
エルサが扉の前から退くと、扉へと歩み寄ったミーシャ様は、扉を開け中へと消えていった。
「それで、この扉の中にいる人物は誰?」
「ふふふ、ここで待っていればすぐ分かるわよ」
こちらへと近づいてきたエルサがクスクスと笑う。
いったい何が起こると言うのだ?
半刻ほど過ぎたあたりだろうか、静かだった廊下に響き渡った扉に何かがぶつかる音と共に、何かが割れる音も聞こえてくる。
「えええっ、エルサ……この中……」
「ふふふ、始まったようだわ」
叫び声まで聞こえている部屋の中はどうなっている? これは、突入しないとまずい案件なんじゃないのか……
オロオロとする私とは対照的に、エルサは何も動じていない。ちょっとそこにいると危ないからという言葉と共に手をひかれ、扉から少し離れた場所へと避難させられる。
待って、待って、部屋の中で起こっている大惨事的な何かは日常茶飯事なのか?
そんな疑問が脳裏をクルクルと回っている中、扉がバタっン!と大きな音を鳴らし開け放たれ、髪を振り乱したミーシャ様が駆け出して来た。
どどどどど、どうしちゃったのぉぉぉ……
目の前の光景に混乱するばかりの私とは違い、この状況を予想していたであろうエルサが素早く動き、倒れるように膝をついたミーシャ様に駆け寄る。
「奥様!! 大丈夫でございますか!」
「ご、ごめんなさい……」
「あぁぁ、お髪も崩れ……。まぁ、大変、頬に傷が。すぐに手当て致しましょう」
泣き崩れるミーシャ様を支え歩き出したエルサがこちらに目配せをする。横を見れば彼女が飛び出してきた扉は、まだ開け放たれたままだ。つまりは、私に中に入れと言っているのだエルサは。
こんなチャンス、もうないだろう。王都を離れて半月になる。これ以上王宮を不在にすれば、いくら私に興味がないとは言え、陛下や他の重鎮貴族の目を誤魔化す事は難しい。ミーシャ様の弱みを握るチャンスは今しかない。
決意を胸に、開け離れた扉へと向かい歩いていく。
「失礼致します」
「まだ居たのか!! さっさと帰れ!」
ベッドへ腰掛け、手に持った本を振りかぶり、今にもこちらへと投げようとしている痩せた男と目が合う。本が宙を舞いベッド横の床へと落下する。叫びそうになった声をかろうじて飲み込み、呼吸を整える。
「すまない。てっきりミーシャが戻ってきたかと思ってな。シスターだったのか」
「失礼ですが、先ほど部屋を飛び出して行ったご婦人がミーシャ様でらっしゃいますか?」
目の前の男とミーシャ様の関係がはっきりしない以上、知らない振りをするのが得策だ。
「そうだ。もう此処には来るなと何度も言っているが、聞かないんでな」
「そうは申しましても、力の弱い女性に対して手当たり次第に物を投げつけるなど、おかしいいです。どんな事情があるにせよです」
割れた花瓶に、散乱した紙類、テーブルの上で転がっている水差しからは、ポタポタと水が床へと落ちている。この部屋で何が起こったか知らない人が見たら、物取りに荒らされたのではと思う程の荒れようだ。この部屋に散らばっている物がすべてミーシャ様に向けられて投げられたのだとしたら、常軌を逸している。実際に彼女は頬に怪我をしていたのだから
「赤の他人のお前には関係ない事だろう。さっさと片付けて出て行ってくれ!」
こちらの話を聞く気はないのか、ベッドへ潜ると頭までシーツを被り背を向けふて寝を決め込むようだ。吐き捨てるように言われた言葉にも腹が立つが、不貞腐れた子供が取るような態度に呆れてしまう。
お前は、子供か!!
ツカツカとベッドまで近づくと、シーツを掴みひっぺがす。
「何するんだ!!」
「何するんだじゃありません。貴方は癇癪を起こした子供と一緒です。何があったかは知りませんし、貴方が言うように私は赤の他人です。ただ、先程の女性は貴方のせいで怪我をしていました。それを見て見ぬふりをして、ここの部屋の掃除だけして出ていくなんて出来ません!」
「えっ!? ミーシャが怪我をしたのか?」
ベッド脇にいた私の腕を掴み、焦ったような声を発した男と目が合う。心配するように歪められた目に、違和感が増していく。
「ミーシャは……、ミーシャは大丈夫なのか?」
「貴方、わざと暴れたの?」
痛いくらいに私の腕を掴んでいた手が離れ、力なく膝へと落ちる。
「あぁ。俺のせいで。俺のせいで……、ミーシャは幸せになれない」




