お飾り王妃、思い出にひたる
『恋の相談にのって欲しい。会って話が出来ないだろうか?』
短い一文のみ書かれた手紙を見つめ、自身の考えが確信へと変わっていく。
やはり、陛下だったのね。
手紙の署名には、聞いた事もない名が記され、近衛騎士とだけ書かれていた。立場上仕方ないのかもしれないが、一介の侍女に正体を明かすつもりはないらしい。
見習い侍女ティナとしての活動がバレた訳ではなかったと安堵する一方で、陛下にとっての私の存在は取るに足りないものなのだと、改めて突きつけられたようで、胸が苦しくなる。
恋愛相談かぁ……
陛下には愛する人が別にいる。
漠然とそう感じるようになったのは、いつだったか?
あの時は、本当に幸せだった。私の幸せの絶頂はまさにあの時だった。
♢
「コラァァァ、待ちなさい! レディに向かってドロ団子ぶつけるなんて、どういう神経してんのよ!!」
「はははっ! ティナがレディだって? あり得ないね。レディって言うのは、もっとお淑やかで可愛い女の子を言うんだよ。顔にドロつけて、走り回ってるお前みたいな女じゃねぇ」
「言ったわね! エミリオ降りてきなさいよぉ!! 木に登るなんて卑怯よ!!!!」
「はぁ? 卑怯も何も木にも登れないお前が悪いんだろう。悔しかったらお前も登ってみろよ」
木に登り、頭上から高笑いをかます悪友エミリオを見上げ、頭に血がのぼる。
見てなさいよぉ……
闘争心に火が着いた幼き日の私は、あと先考えず木に登り始めたのであった。
始めは順調だった。初めて登るにしてはスルスルと登れるではないか。思いの外、簡単に登れたのがまずかった。
何気に見てしまった下。あまりの高さに動転した私は上にも下にも進めなくなっていた。
「エミリオ!! どどどど、どうしよう。動けない……」
「はっ、はぁぁぁぁ!! ティナ、お、落ち着け。何とかするからなっ! あと少しの辛抱だから!!」
上擦った叫び声を聴き見上げれば、慌てたエミリオが降りて来ようとしている。
「ままま、待って! 降りて来ないでぇ!! 」
徐々に眼前に迫るお尻に、逆にパニックを起こした私は、手を離してしまった。
あぁぁぁぁ、落ちるぅぅ……
はっきり言って万事休すだ。このまま落下して地面に叩きつけられれば、大怪我は免れない。
来たる衝撃にそなえ、身構えたがいっこうに来るはずの痛みが襲って来ない。
「大丈夫ですか? レディ」
張りのある少し高い声に、慌てて目を開け衝撃を受けた。
陽光に輝く黄金色の髪に、アメジストのように美しい紫色の瞳。絵本から飛び出して来た王子様のような少年が、心配そうにこちらを見つめていた。
「私の従者が貴方に気づかなければ危なかった。間に合って良かった。怪我はありませんか? 痛いところは?」
「レオン様。どう致しましょう? ここら辺の町の子でしょうか?」
頭上から響いた野太い声に、慌てて目線をずらせば、屈強な男に抱きかかえられているではないか。
「あっ、あっ、あの! す、すいません。助けて頂いたようで」
叫ぶようにお礼を言う私を見て、目の前の美少年がクスクスと笑っている。
「ふふ……、ふふふ。降ろしてあげて。それだけ、元気なら大丈夫でしょ」
やっと地上へと下ろされた私は、改めて彼らに向き合うと深々と頭を下げた。
「た、助けてもらいありがとうございました。おかげで、大怪我をしなくて済みました」
貴族の令嬢として、最上級の礼をとる。最近、やっと母から合格を貰えた自信作だ。
スカートの裾をつまみカーテシーを取ると、頭を下げ数十秒その姿勢のまま耐え、顔をあげる。
「君は……、貴族の令嬢だったんだね。驚いた」
「えっ!?」
「レオン様、そろそろ」
「あぁ。今、行く。君に、ケガがなくて良かった」
スカートの裾を摘んでいた手を取られ、気づいた時には手の甲にキスを落とされていた。
「すぐに、再会出来そうだ。ティアナ・ルザンヌ侯爵令嬢」
♢
あれが、陛下との初めての出会いだなんて、幼い私が勘違いしても仕方ないと思う。
ルザンヌ侯爵領の田舎暮らしが板についた野性味溢れる令嬢だった私に、王子様スマイルを浮かべ手にキスまでするなんて、恋に落ちない方がおかしい。しかも、数時間後ルザンヌ侯爵邸の貴賓室で再開を果たすというおまけ付きだ。
恋した相手が王太子様で、婚約者候補となる令嬢に会うためだけに、わざわざあんな片田舎にお越しくださっただなんて聞かされれば、勝手に運命を感じてしまっても誰も私を責めないだろう。
ルザンヌ侯爵家は、特殊な貴族家で、隣国との防衛を担う代わりに、二大公爵家に次ぐ地位を与えられていた。
実質、貴族家の中では第三位の立ち位置であり、王家と言えども、蔑ろに出来ない。だからこそ、辺境の地にいながら、王太子の婚約者候補という大役が巡って来た訳だ。
しかし今現在、隣国との関係は良好そのものである。近々、国交を結ぶ計画も進んでいるとか。
昔ならいざ知らず、今やルザンヌ侯爵家の立場は全く重要視されていない。辺境の防衛は、形骸化し今やルザンヌ侯爵領は片田舎の一貴族に過ぎない。
王都からあまりに離れているため、めったに社交の場に現れる事はなく、蔑ろにされているのが現状だった。
本当、馬鹿みたいね……
あんなキラキラの王子様が、片田舎の令嬢を好きになるなんて有り得ないのに。
まぁ、王太子妃になるために、辛い妃教育に耐えた結果、王都の貴族令嬢にも負けない作法を身につける事が出来たけどね。
心に広がったわずかな悲しみにフタをして、手元の手紙を見つめる。
陛下の中に、自分がいない事はわかっている。
相手が相手なだけに、この依頼を断る事は不可能だろう。だったら、利用させてもらう。
陛下の想い人が誰かはわからない。ただ、そんなことはどうでもいい。
この際、陛下の弱味を握るチャンスと考えて、その恋応援してやろうじゃないの。