お飾り王妃、密約を結ぶ
いい香り……
夜風に吹かれ、足元に広がる真っ白な花々から甘い香りが立ち上る。
「王妃様、お気に召しましたか?」
「えぇ。とても素敵な花畑ね。闇夜に真っ白な花が浮かび上がって、まるで夢の世界のよう」
「夢の世界ですか……。この花畑で死んだ者は芳しい香りに包まれ、幸せな最期を迎えましたとでも言いたいのでしょうか? 馬鹿馬鹿しい。突然、先の人生を断ち切られた者の無念を考えれば、そんな残酷な事言えませんね」
忌々しげに足元に咲く花を睨むルドラ様からは、憎悪の感情が伝わってくる。やはり、オリビア様の死にはブラックジャスミンが関わっているのだろう。そして、ルドラ様は死の真相を知っている。
「確かにそうね。不謹慎だったわ。ブラックジャスミンによって愛する家族を奪われた者の前で言う言葉ではなかったわね」
「……どう言う意味ですか?」
「どう言う意味って、言葉通りだけど。ルドラ様の母上であるオリビア様は、ブラックジャスミンによって死んだ。違うのかしら?」
ルドラ様に背を向け、足元で咲く花を一輪摘む。夜露に濡れた花弁が、月の光を受けキラキラと輝いている。
こんな可憐な花が人の命を奪う。
振り向き、こちらを鋭い視線で見据える彼に見せつけるかのように、口元へと花を運ぶ。
「あっ! 王妃……」
鋭い視線を寄越していたルドラ様のエメラルド色の瞳が見開かれ、手が伸ばされる。
「大丈夫よ。ブラックジャスミンの花に落ちた夜露を口に含んだところで死なないわ」
伸ばされた手が宙を切り、落ちていく。
「ルドラ様には、残酷でしたわね。嫌な記憶を呼び覚ましてしまったようだわ。顔が真っ青よ」
「貴方様はどこまで、ご存知なのですか?」
唇を噛み視線を逸らしたルドラ様の手は震えていた。
「そうね。知っていると言えば知っているし、知らないと言えば知らない。真実に近づきつつあるようで、確信は持てない。だから、仕掛けさせてもらったわ。ルドラ様は、オリビア様の死の真相を知っているのではなくって?」
「……母は、病死です」
「病死ね。それで納得すると思っているの? どうして、わたくしが人払いしてまで、貴方と二人きりになったと思っているの。殺される可能性すらあるのに」
「ご冗談を。そこまで私も馬鹿ではありませんよ。王妃様の事は嫌いですが、何処に見張りが隠れているか分からない状況で、貴方を殺そうと思うほど愚かではない」
流石に気づいてはいるか。
陛下直属の護衛が、王妃とルドラを二人きりにする筈がない。常時陛下の護衛についている近衛騎士二人が別邸へと派遣された時点で本当の意味での自由はないと思っていたが、正解だった。
ルドラも何度か二人を撒こうとしていたが、きっちり後をついて来た。この場所から確認は出来ないが、木の陰に隠れ様子を伺っている事だろう。
「ふふふ、怖い方。でも、この距離からはわたくし達の会話までは聴こえないわ。地獄耳でもない限りね」
小高い丘の上に咲くブラックジャスミンの花畑から周りを見回せば、身を隠せる雑木林までは距離がある。護衛が、会話を聞き取る事は不可能だ。
私のように読唇術を身につけているのなら別だが。
「そうですね。この距離では無理だ」
「そうでしょ。だから、密約を結ぶには好都合なのよ」
「密約ですか?」
「えぇ。ルドラ様と秘密の契約を結びたいの。貴方が知っているオリビア様の死の真相を話す代わりに、アリシア様が陛下に嫁ぐ手助けをする。どうかしら?」
「ご冗談を。その契約に何のメリットがあると言うのです。アリシアが陛下へ嫁ぐのは、決定事項です。王妃様の助けなど不用です」
「あら? そうかしら? アリシア様は、陛下との結婚を望んではいないわよ」
「何故、断言出来るのですか?」
「だって、アリシア様ご自身がそう言っていたのよ。間違いないわ」
「そんな訳ない。……アリシアは、陛下との結婚を望んでいる」
「では、なぜアリシア様はこんな手紙寄越したのかしらね?」
青い便箋をルドラ様へと見せる。
「それは、まさか……」
「えぇ。ルドラ様も噂くらいはご存知なのではなくって。王妃の間に届けられる青い便箋の意味を」
「それをアリシアが出したと」
「そうなるわね。中を見れば分かるのではなくって。身内の筆跡くらい把握されてますでしょ」
怪訝な顔をして、手渡された青い便箋を睨むルドラ様が内容を確かめる。
「確かに、アリシアの筆跡で間違いない」
「これで信じて頂けました? アリシア様は、陛下の側妃になる事を望んではいない。それは、ルドラ様の存在があるからよ」
「私の存在ですか? 意味がわからない」
「本当は、分かっているのではありませんの? アリシア様の想いと、陛下との結婚を拒否しなければならない理由を。ルドラ様は、オリビア様の連れ子よね?」
こちらを見つめるルドラ様の表情が一瞬曇る。
「王妃様は、何処までご存知なのか? まるで、弱者を貪る獣のようだ」
「ほめ言葉として貰っておくわ」
何かを吹っ切るように笑い出したルドラ様をジッと見つめる。
「くくく、本当に強かでらっしゃる……、そうです。私は母であるオリビアの連れ子だった。父であるバレンシア公爵との血の繋がりはありません」
「だから、ルドラ様は次期公爵とはなれない。この国のダメなところよね。なぜ、世襲制なのかしら。優秀な人材が当主になれないなんて、国の衰退にも繋がるのに」
「王家は、一貴族が身に余る力を持つのを避けたいのではありませんか。世襲制であれば、いかに現当主が優秀であろうと、次期当主となる人物に同じ能力があるとは限らない。その結果、現時点で力があろうと、次世代では没落する。そうして、貴族社会の均衡を保っているのかもしれません」
「その考えも一理あるでしょう。ただ、長い目で見れば国力を削ぐ結果にも繋がる。難しい問題ね。馬鹿な者がのさばり、優秀な者が埋もれてしまう制度は、どちらにしろ廃止すべきよ」
世襲制さえなければ、アリシア様が次期当主の座に固執することもなく、陛下はもっと早くに彼女と結ばれていたかもしれない。
そして、私は今でもあの雄大なルザンヌ侯爵領で馬を走らせていたのかもしれない。
「まぁ、現段階では無理でしょうね。法律を変えるには頭の固い連中を動かさねばならない」
「そうね。ただ、法律を変えるのは無理でも、偽装する事は可能よ。現に、王宮にある貴族便覧には、バレンシア公爵家の長子はルドラ様となっている。公的文書は、すでに偽装されているわ。そして、貴方と公爵との間に血の繋がりがない事を知る人物はごく僅かしかいない。その者達の口を封じてしまいさえすれば、貴方はバレンシア公爵家の次期当主となれる」
「口を封じるだなんて、怖い事をおっしゃる」
「嫌だわ。誰も殺すなんて事言ってないわよ。相手の口の封じ方は色々とあるでしょ」
「では、王妃様に弱味を握られた私は、一生貴方様の言いなりですか?」
「そんな事、望んでないわ。さっきも言ったけど、私の望みはアリシア様が側妃として、陛下に嫁ぐ事。それを叶えるには、ルドラ様に次期バレンシア公爵となって貰うしかない。でなければ、アリシア様は陛下へと嫁ぐ事を了承しないわ。それだけでなく、アリシア様がたとえ側妃になったとしても、生家が衰退すれば、貴族社会での彼女の立場は弱くなる。それを防ぐためにも、ルドラ様が次期当主となる必要がある」
生家の力が弱まれば、陛下の妻になろうと貴族社会での立場は弱くなる。隣国との小競り合いが無くなったお陰で、ルザンヌ侯爵領は平和そのものだが、侯爵家の力は弱くなった。結果として、王妃の立場は弱くなり、お飾りと揶揄されるまでに落ちたのだ。
バレンシア公爵家が衰退すれば、アリシア様も同じ轍を踏む事になる。しかも、側妃という立場上、陛下からの寵愛があったとしても、有力貴族からの圧力は強まり、第二の側妃をとの声に繋がる可能性すらあるのだ。
「アリシアには、王妃様と同じ道を歩ませたくはないですね。側妃という立場上、貴方様の時より悲惨な運命を辿りかねない。ただ、今の話からは、王妃様には何のメリットもない。裏が有るとしか思えませんね」
「私のメリットねぇ……」
その場へとしゃがみ込み、真っ白なブラックジャスミンの花弁を撫でる。
「陛下の恋心を知り応援したくなったのよ」
「はぁ? 何ですか、その意味不明な回答は! 自身の夫の側妃選びを正妃自ら率先して手伝うと言った、その理由が陛下の恋心を知ったからですって。馬鹿にしているのですか!?」
「馬鹿になどしていないわ。これが私の正直な気持ちよ」
「意味がわからない……」
「簡単な話よ。ルドラ様もお飾りと呼ばれている私の立場はご存知よね? その要因の一つが、陛下の態度だった」
「えぇ。あの陛下にしては、いささか幼稚な手段の様にも思えますが」
「そうね、そんな幼稚な手段をとる程に、私の事を憎んでいたのでしょうね」
「それはそうですね。汚い手段を使いアリシアから正妃の座を奪ったのですから、自業自得です」
「ふふ、ルドラ様もそう思うのね。まぁ、貴方に何を言っても信じないだろうし、勝手に私を恨んでいればいいわ。陛下も貴方も」
この方達にとっては、真実など関係ないのだ。たとえ、ルザンヌ侯爵家が正妃選びで裏工作などしていないとしても、関係ない。思い通りに事が運ばなかった事への八つ当たりをしたいだけ。何を言っても無駄な事。だったら、そう思っていればいい。
「もう疲れたの。王妃という立場も、陛下の妻でいる事にも。だから、私の代わりになる女性が必要ってだけよ」
「では、アリシアが側妃となれば、王妃様は……」
「そうね。陛下へ離縁を願い出るつもりよ。散々苦しんだのよ。きっと陛下も許してくださる」
愛するアリシア様さえ、お側にいれば。
「そうですか」
「ルドラ様も、その方が良いのではないの? 私さえ居なければ、アリシア様へと正妃の座は転がり込む。父を宰相に持ち、公爵家のお姫様が正妃になって文句を言う者などいないわ。貴方にとっても悪い話ではないと思うけど」
「確かに。完全に信用は出来ませんが、手を組むメリットはありそうだ。わかりました。王妃様の要求をのみましょう」
かくして、ルドラとの密約は結ばれた。そして、オリビア様の死の真相を知ったのだった。




