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お飾り王妃、敵陣に乗りこむ


 ガタガタと揺れる馬車内から、のどかな田園風景を眺め、ふと思う。


 確かに、ブラックジャスミンを見たいと陛下に言った。それは間違いない。ただそれは、侍女ティナの時の私であって、王妃ティアナではない。


 数日前に王妃の間に届いた書簡には、想像外の事が書かれていた。


『ノートン伯爵領への訪問が決まりました。正式な公務となります』


 正式な公務という事は、陛下と一緒にノートン伯爵領へ赴くという事だ。


 意味が分からない。


 まぁ、王妃の存在などどうでもいいのだろう。陛下にとっては、親しい侍女ティナの願いを叶えるため、王妃を利用したに過ぎない。遠回しに、ノートン伯爵領に王妃を連れて行ってやるから、どうにかしてついて来いと言っているに違いない。


 王妃としての公務は憂鬱でしかない。


 無表情鉄仮面がデフォルトの陛下と勝手も分からない他領地の視察だなんて、嫌過ぎる。しかも、ノートン伯爵家は、バレンシア公爵家と縁戚関係だ。孫娘アリシア様の敵となる王妃が領地に来るとなれば、煙たがられるに決まっている。


 これは絶対、侍女ティナをダシにした王妃ティアナに対する新手の嫌がらせに違いない。きっと、ノートン伯爵家やバレンシア公爵家の皆様からの攻撃を受けて、ボロボロになった私を見て満足したいだけだ。


 どうかノートン伯爵家の皆様に多少の常識と良心がありますように。


 そんな小さな願いも、ノートン伯爵家へと到着して早々に砕け散った。案内された先は、豪奢な本宅のはるか彼方にひっそりと佇む小さな別邸だった。


 今回の訪問は公務と言えども、実質はアリシア様と陛下の逢瀬を兼ねたお忍び訪問の意味合いが強い。邪魔者である王妃の扱いなどこんなものだろう。


 広大な敷地に建つ別邸からは、本宅の屋根が小さくチラッと見える程度には、距離感がある。その内、王妃が滞在している事など忘れるだろう。


 滞在期間は、一週間。


 この立地を生かし自由に行動出来るではないか。誰にも邪魔されず、ブラックジャスミンを探す事が出来る。幸いにも、この別邸にも最低限の使用人は配置してくれている。上手く情報を収集して……


「ティ、ティアナ様! 大変でございます。陛下が、此方にお越しになってます!」


 ノックをするのも惜しかったのか、慌てた様子のルアンナが飛び込んで来る。


「はっ!? どうして、また?」


「分かりませんが、すでに、エントランスから此方へ向かっているようで」


「失礼する」


「……陛下」


 ルアンナの背後から扉を開け入って来た人物を見て慌てて立ち上がると、カーテシーを取る。


「陛下におかれましては――」


「挨拶はよい。それよりも長旅で疲れておろう。楽な姿勢で居てくれて構わない」


「はい……」


 いったい陛下は何をしに王妃の元へと来たのだろう?


 立っている訳にもいかず、陛下をソファへと誘導し、自らはサイドテーブルに置かれたティセットへと向かった。


「お口に合うか分かりませんがどうぞ」


「ティアナ、手ずから入れてくれたのか?」


「えぇ。味の保証は出来ませんが、もしよろしければ。こちらには少数精鋭の侍女しか連れて来ていません。彼女達も忙しいですし、自身で出来る事は致しませんとね」


「そうか。昔からティアナは、出来る事は何でも自身でやっていたな。確か、婚約が発表されてルザンヌ侯爵領に訪れた時もそうだった。愛馬の世話を自らしていた。大抵の貴族令嬢は、馬の世話など嫌がってしないものだろう?」


 数年前の事が思い出される。


 陛下との婚約が決まり、本格的な妃教育が行われるまでの束の間の休息に、私は実家へと帰る事にしたのだ。王都にあるタウンハウスでの厳しい淑女教育もひと段落ついた所だった。


 あの時は、王位を継がれたばかりの陛下がお忍びでルザンヌ侯爵領を訪れるなんて、知らされていなかった。そして、息抜きに馬屋を掃除している所を見られてしまったのだ。きっと、あの時に幻滅されたのだろう。あの姿は貴族令嬢として終わっていた。


 陛下は、あの時の事を持ち出し、自分でお茶を入れるなど王妃として有るまじき行動だと蔑みたいのだろう。


「そうでございますね。あの時は、まさか陛下がルザンヌ侯爵領を訪れるなど知りませんでしたし、油断しておりましたのよ。さぞかし、幻滅されましたでしょ?」


「幻滅? いや、それはない。ただ、驚いただけだ。ティアナは、自領では乗馬もしていただろう。馬を良く知る人間であれば、馬との信頼関係を築くため、愛馬の世話を自ら行うが、大抵の貴族は調教も含め、全ての世話を馬丁に任せる者達がほとんどだ。それほど、馬の世話は体力も精神力も根気も必要になる。そんな重労働を高位貴族の令嬢であったティアナがしていた事に単純に驚いた。本当に、馬が好きであったのだろう?」


「……」


 陛下の言う通りである。


 私は、本当に馬が大好きだった。


 確かに、馬の世話は重労働である。ただ、手を掛ければ掛けるほど、馬から返ってくる愛情も深くなる。徐々に信頼関係が深まっていく、あの関係が好きだった。だからこそ、馬の世話を重労働だなんて思った事など一度もなかった。


「……えぇ。馬が大好きでした」


「そうか。いつか、二人で遠駆けに行きたい。ティアナは、俺と行くのは嫌か?」


「えっ!?」


 陛下は、今何と言ったの?


 強い視線に晒され、時間が止まる。


 このままでは、囚われる。


 得体の知れない恐怖に突き動かされ立ち上がると、ヨロヨロとサイドテーブルへと逃げる。


 バクバクと鳴り続ける心臓の鼓動と背後から聴こえる靴音に、頭の中で警鐘が鳴り響く。


 逃げなきゃ、掴まる。


「ティアナ、逃げないでくれ」


 掴まれた腕が引き寄せられ、背中に狂おしい程の熱を感じたとき、私の頭はショートした。


「ティアナ! 危ない!!」


 突き動かされた衝動のまま暴れ、前へと逃げ出した瞬間バランスを崩し倒れ込むが、訪れるはずの痛みが一向に来ない。僅かに伝わった衝撃に目を開けると、力強い腕に抱き締められていた。


「……陛下…ご、ごめんなさい」


 陛下を下敷きにしている状況に、色々な意味で目眩がする。このまま、気を失えたらどんなに幸せだろうか。


「ティアナ、怪我はないか?」


「申し訳ありません。取り乱しました」


「いや、俺が悪い」


 とにかく、陛下を下敷きにしている状況から脱しなければならない。万が一、陛下に怪我などさせていたら、それこそ大事だ。


「陛下、申し訳ありません。出来れば、腕を少し緩めて頂けると」


「あぁ。すまない」


 わずかに緩んだ腕に上体を起こそうと試みるが、動かない。手を突っ張り必死に身体を離そうとするが、一向に離れない体に焦りだけが募っていく。最早プチパニック状態である。


「えっと、陛下……あの……」


「……ふふ…ふふふ……」


「……陛下?」


 頭上から聴こえる忍び笑いに思わず、見上げるとこちらを見つめ、優しい笑みを浮かべた陛下と目が合った。


 心臓が止まりそうな程の衝撃が全身を巡る。


 あぁ、あの時の笑顔……


「すまない。あまりにも必死なティアナが愛しくて」


「へっ?」


「あぁ、気にするな」


 まだクスクスと笑う陛下の笑顔を見つめ、時が止まればいいのにと本気で思っていた。

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