この町一番の絵描きは絵を描かない
僕はしがない旅人。チェロを担いで演奏をしながら旅を続けている。
この町は絵描きの町らしい。至る所に落書きとも芸術ともとれない絵が描かれていた。
僕は露店でパンを買うついでに質問をする。
「やぁ。僕はチェロ弾きの旅人なんですけれども、この町は絵描きの町らしいね」
「そうだよ。この町はありとあらゆるものがキャンバスさ。旅人さんも無地の服を着ていると知らないうちに描かれちまうからね。大事な物はしっかり断らなきゃね」
「ありがとう。ところで、この町一番の絵描きは誰なんだい? お土産に絵でも書いてもらおうかと思うんだけど」
「この町には高名な絵描きが数多くいれど、一番って言ったら一人だね。町の外れにいるよ。でも、お土産はあきらめた方がいいねぇ」
「どうして?」
「この町一番の絵描きは絵を描かないんだよ」
「じゃあなんで一番の絵描きなんですか?」
「さぁね。昔は描いてたみたいだけどね。でも、奴がこの町一番の絵描きであることに変わりはないさ」
店主にお礼をし、僕はパンを片手に町の外れにいるというこの町一番の絵描きの家へと向かった。
長い坂と階段を上り、絵描きの町が見渡せるほど小高い丘の上、まるで塔のような家にこの町一番の絵描きは住んでいた。
「ごめんください。この町一番の絵描きはいますか」
「いるが、絵を描いて欲しいってんなら帰んな。何をしようとわしゃあ、絵を描かんぞ」
「知っています。ですので、なぜ貴方が絵を描かないのにこの町一番の絵描きと呼ばれているのか知りたいのです」
「はっ! それこそ知らんね。町の連中が勝手に言ってるだけだよ。とっとと帰ってくれ」
「そうも行きません。ここまで長く歩いてきましたから。しばらく座らせてくれませんか」
「……仕方ない。しかし、茶も何も出す気はないぞ」
この町一番の絵描きは家の裏に置かれた椅子へ僕を案内した。その後はさっさと家に戻ってしまったので、僕はチェロを弾いた。
「……随分と酷い演奏だ。音楽は門外漢だが、それでもはっきりとそれが素人のに毛が生えたレベルだとわかる」
気づくとこの町一番の絵描きは僕の隣にいた。僕の演奏が終わると話しかけてきた。なんだかんだ、僕の演奏を聴いていたらしい。
周りは日が傾いてきた頃だった。この町一番の絵描きはいつの間にか持って来ていた椅子に腰かけると、焚火の日を起こしながら、ポツリポツリと語り始めた。
「もう、何十年も前になるが……この町はただの小さな町だった。旅人も寄らないような、な。わしはその小さな町の絵描きだったのだ。
しかし、当時は今より紙も絵の具も手に入りにくくてな。でも、わしは絵描きじゃから絵が描きたかった。
最初は炭で絵を描いていたんじゃよ。この町の床や壁、しまいには屋根にまで……町の人々は快く許可してくれた。そのうち、絵の具も使えるようになって、わしはこの町のいたるところに絵を描いた。住人の似顔絵も描いたし、風景も描いた。今思うと、下手くそもいいところじゃがな……
すると噂を聞いた絵描きが集まってきてな。いろいろな事を教えてもらったよ……画材の使い方、パースの取り方……わしより上手い絵描きはたくさんおった。
そんな絵描きも次第に消えていき、新しい絵描きがたくさん集まった。絵はどんどん増え、次第にこの町は絵描きの町と呼ばれるようにもなった。わしも、気付いたらこの町一番、などと言われるようになってしまった。決してそんな事はない。わしより上手い絵描きはこの町にごまんとおるのにじゃ」
この町一番の絵描きは大きくため息をついた。
「わしは……怖くなった。この町一番と呼ばれ、絵を描くことが怖くなった。もし、わしが絵を描いて失望されたら? 勝手にかけられた期待に、わしは……その期待を裏切るのが酷く怖くなって……ペンが重くなって……逃げ出したんじゃ。
お前には謝らねばならないな。わしは絵を描かないのではない。描けないのじゃよ」
僕は静かにその話を聞いていた。
「……なるほど。何故貴方がこの町一番の絵描きと言われているのかわかりました」
「は? お前話を聞いていたのか? わしはもう絵描きでは……」
「この町一番最初の絵描きなんですね」
この町一番の絵描きは力が抜けたように笑った。
僕は立ち上がり、絵描きの町を見下ろした。日が傾き、オレンジ色の光が町を照らす。丘からは町の絵がよく見えた。
「そして、この町の風景は貴方がつくりだしたんですね。確かにこの町の一つ一つの絵は他人が描いたものでしょう。しかし、この町の風景をつくりだしたのは間違いなく貴方だ。流石は、この町一番の絵描きですね」
この町一番の絵描きは大きく目を見開き、ゆっくりと嚙み締めるように閉じた。そして立ち上がる。
「……ふん。ものは言いようだな。
来い。もう夜も更ける。一晩だけなら泊めてやる」
「ありがとうございます」
この町一番の絵描きは家へと向かう足を途中でピタリと足を止めた。
「ところで、お前はどうしてチェロを弾いているんだ?」
「ああ、特別な感情はありませんよ。僕は永遠に歩き続けてしまうので、友人が必ず一日一曲はチェロを弾いて休め、とくれたんです」
「……そうか」
翌朝、僕は朝ご飯を食べる間もなくこの町一番の絵描きの家を追い出された。町を一周し終わり、そろそろ次の旅へ行こうと思っていると、ふとお土産用に絵を描いてもらおうかと思ったキャンバスの存在を思い出す。
「……せっかく買ったけど……どうしようかな」
誰かに描いてもらおうか、なんて思いカバンから取り出すと、そこには昨日見た景色が描かれていた。裏には乱暴な文字で『この町一番の絵描き』とサインが入っている。
「旅人さんそれってキャンバス? もしお土産に絵を描いてもらおうと思ってるなら、うちの絵描きに頼んでみない? って、もう描いてあるのか。それにしても、こう……普通の絵というか特になんのひねりもないような絵だなぁ……うちの絵描きの方がもっと良い絵を描くけどどうする?」
「いえ。僕にとってこの絵はこの町一番の絵なので。すみません」
「そうなのか。すまなかったね! それじゃあまたどこかで会えたら! 旅の幸運を祈っているよ!」
「ありがとうございます」
そして僕は次の旅へと歩き始めた。
評価、ブクマ、よろしくお願いします!