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鬼式錬成陣  作者: 行平 yukihira
7/12

18-01 ヤマト 説得

 傷だらけに見えたシュエンの体は見た目よりはずっと軽傷だった。

 切られた右腕も鬼力で止血されて、このまま放っておいても支障がないように思えた。それでも僕はシュエンの体に客格を入れ一気に回復させた。回復といってもシュエンの体で自然の力を吸い込むように呼吸をしただけだ。鬼力を充填させる前に、すうと深呼吸をしただけでシュエンの体は治ってしまった。

 僕はシュエンの体に入ってすぐにシュエンの体が保有している鬼力量が増えていることに驚いた。十八歳を過ぎたシュエンの体では鬼力は殆ど作られないはずだ。それが僕と関わることでシュエンの体に変化が起きているらしい。しかし、シュエンの変化よりも僕は僕自身の進化に驚愕せずにはいられなかった。五感世界を脱した僕は本当に別の何かになってしまったようだ。〈非在〉を自在に使えるようになったこととはまた別に、僕は人間という括りを抜け出したのだ。僕は自然の流れの中の一部だ。それはそのように感じるとなどということではなくて、そのままその通りに僕は自然そのものなのだ。その実感があった。そして、その力がシュエンにも作用している。

「どうなってるの? 体が……」

 ユウキの呟きが聞こえた。

 僕はシュエンの体を見た。体が僅かずつだが成長している。それだけではない。肩から切られて欠損していた右腕が再生していく。肩から腕が生えて来て、今は肘まで復元されている。これは僕が狙ってやったことではない。自然の成り行きでそのようなことが起こってしまった。

 僕は目を閉じて体の変化に集中しながら呟いた。

「僕はもう人間じゃないかもしれない」

「ば、ば、化け物……」

 ユウキに捕らえられていた四門本家の刺客の声が聞こえた。

 僕は目を開けた。刺客の視線はシュエンの右手に注がれていた。僕は右手を見た。そこには種のようなものがあった。そしてそれがぱっくりと開いていた。その中には瞳があった。右腕の肉に埋まった目が刺客のほうを見ていた。

「た、たすけてくれぇ……」

 刺客が叫んだ。

 僕は煩いと思って、〈非在〉の見えない手で刺客の口を塞いだ。

「これくらいのことは今までも見たことあるだろうに」

 僕はそう言った自分の声の冷たさに驚いた。

「いやだぁ。だすげてくれぇ。その目でみないでぐれぇ」

 くぐもった刺客の声が聞こえた。

 刺客は完全に怯えている。この目には何かの力があるらしい。シュエンにまた変なものを押し付けることになったのかもしれない。

 僕はシュエンの体から従格を抜いた。僕が体から抜けるとシュエンの右手の瞳の力も止んだ。刺客の怯えは収まった。

「さっきの何だったの? 私も怖かったわ」

 ユウキが不安そうにこちらを見た。

「僕にもわからない。ただ別の何かになってしまったんだ」

「ヤマトくんが何になってもいいけど、私とずっと一緒にいてね」

 ユウキが真剣な顔で言った。

 僕はその言葉に答えず、従格の入っている傭兵の体を通してじっと自分を観察した。


「俺は死んだんっすか?」

 シュエンが目を覚ましざまに叫んだ。

 倒壊を免れた体育館に集められた子どもたちが振り向いた。ホワイトボードに一生懸命に図を書いて説明していたミマも、身振り手振りで感情論を振りかざしていたユマ少年も、はっとしてシュエンの方へ目を向けた。

 僕は咄嗟にシュエンの右手の瞳に目をやった。瞳が開けばこの場がパニックになると思ったからだ。瞳はシュエンが操る体では開かなかった。子どもたちに怯えた様子もない。

 僕は胸を撫で下ろした。いや、本当は期待していたのかもしれない。恐怖で支配すれば、答えがどちらになるにせよ、ここまで続いている議論の決着は早まったはずだ。

「みんなこっち見て!」

 ミマが再度自分に注目を集めようとしてホワイトボードをマーカーで叩いた。

「そうだぞ。あいつは僕らと同じく漢栄のヤバさに気づいたんだよ」

 ユマ少年も子どもたちの注意を惹きつけようとした。

 僕は小声でシュエンに、

「助かったんだよ。思ったほどの傷でもなかったよ。ただし……」

「あの出来事は全部本当だったんですか? 神がラプトリアン百体を殺して、ドラゴリアンの親玉と決着をつけたって」

 シュエンがまた大声を出した。子どもたちが再度シュエンに注目した。シュエンは夢と現実がごちゃ混ぜになっているようだ。

 僕は子どもたちに軽く手を挙げて大丈夫だと合図しながらシュエンに、

「それは違うな。ラプトリアンは二十体しかいなかったよ。ドラゴリアンも三体だけだ。それは皆殺しにしてしまったよ」

「二十体……。それでも、そんなことが可能ですか……」

 シュエンは急に自分の思考に沈んだ。

「それはそうとシュエン。お前の右手に新しいことが起きてしまったよ」

 そう言われたシュエンははっと意識をこちらの世界に戻して自分の右手を見た。

「なんすかこれ? 切られた腕が伸びてる!!」

「いやいや、そこじゃないんだ」

「そこじゃないって、腕が伸びるなんてことが普通なんですか!?」

「いやぁ、それもおかしいけどね。とにかく腕の先っぽの割れ目を開いてみてくれ」

 僕がそう言うと、シュエンは自分の右腕の先を覗き込んだ。そして割れ目を見つけて、それを指で押し開いた。

「なんすかこれ……!?」

「たぶん目だな」

「なんで腕に目が……」

「お前の前の腕には種があっただろう。あれが割れて目になったらしい。そしてその目にも何かの力があるようだ。僕が使った時には、ユウキにも影響を与えるほどの恐怖を周りにまき散らしていた」

「種は落ちたはず……」

「種は腕が取れたくらじゃなくならないようだな」

「……、それにユウ姉でも耐えられない?」

「四門の刺客は発狂していたよ」

「四門の刺客って、あの化け物ですか!?」

「ああ。あんな小物ならその目だけで撃退できる」

「小物……」

「そうだ。だけど気をつけなければいけないことがある。その目は鬼力を媒介にしては使うな。自然の力で使うんだ。鬼力で使おうとするとたぶん自分に返って来るぞ。鬼力は代償を必要とする力らしい。その辺の違いを体得しなけりゃならない」

「〈非在〉と同じですか?」

「そうだ。鬼力でも使えるが、強い力ほど鬼力で使うと自分が吹き飛ぶぞ」

 それを聞くと、シュエンは再度自分の思考に落ちた。


「はい。とりあえず最初の希望とるよー。わたしたちについて来たい人は手をあげてー」

 ミマが気が進まないような声で言った。

 いつまで経っても決着が付かない子どもたちの話し合いに僕が提案をした。

 僕はまず子どもたちに、僕らが慈善団体でもなんでもないと言った。君たちが付いて来ても来なくてもどちらでもいいと厳しめに伝えた。それから、漢栄が裏で何をやっているかを大枠でざっくりと教えた。漢栄がしているウングル人への虐殺行為や人身売買、臓器売買、子どもの血を抜いて世界に売りさばいていること、ここの施設の子どもたちもその被害者だということを教えた。そして、もしここに残れば少年兵として利用されるか、人体実験のモルモットになるか、人身売買に利用されるしかないということをそのまま話した。金融や政治的な不正の話は省いた。

 それらの話をして、君らに三回挙手のチャンスを与えると伝えた。

「これから三回挙手のチャンスがある。その間に僕たちに付いて来るか、ここに残るかを決めて欲しい。どちらにするかは自由だよ。自分の人生は自分で決めたらいい。三回の挙手の間にはそれぞれ二十分間の休憩を設ける。そして、三回目の挙手の後、さらにその二十分後には僕らはこの施設から出発する。その時に付いて来たい人だけ付いて来たらいい。三回の挙手をするのは、自分の心の準備と周りの人間の考えを視覚的に知るためだよ。休憩の間は仲間と自由に話してもいい。仲間を誘うのも引き留めるのも自由だ。その他のルールは二つ。騙さないことと強要しないこと。いいね」

 僕は淡々とそう言った。僕の横でユマ少年とミマは不安そうな顔をしていた。

 ユマはついさっきまで、もっと時間が欲しい、と僕に訴えていた。時間をくれれば説得できると。でも僕は漢栄の部隊が駆けつけるかもしれないからと突っぱねた。本当は漢栄の部隊が来ようと何が来ようと今の僕には問題にもならない。僕にとって一番の問題は子どもの説得だ。時間を掛けて終わるものではない。子どもも自分で選択するしかないのだ。

 情報がないまま選択していくのがこの世界なのだし、自分の感情をコントロールできないままに分かれ道を駆け抜けていくのが人生だ。

 時間が一時間しかないとわかるのもいいだろう。

 それにこの方法なら、どの子がどんな顔でどのタイミングで手を挙げるのかが僕にもよくわかる。その様子やタイミングで、その子への今後の対応が決められる。

「さあ、一回目の挙手をしようか」

 僕がそういうとその場に緊張が走った。


 一回目で挙手したのは九人だった。その他の子ども達は我関せずという態度だったり、挙手した子たちをニヤニヤと見ている者など色々だった。

 それを目の当たりにしてミマの顔が歪んだ。今にも泣き出しそうだった。

 施設に残っていた子どもたちは全部で七十一人。予想していたよりもずっと少ない数だ。僕らが施設から脱出した後に、大半の子どもたちは移動させられたらしい。動きがあまりに迅速なので、クエズ運河の事件との関連もあるのかもしれない。

 僕としては人数が減っていてよかったと思った。何百人もの人間を漢栄の領土から脱出させるのはほぼ不可能だっただろう。

 とにかく、今手を挙げた九人はまだ見込みがある。この九人の顔つきを見ても、ふざけて手を挙げている子はいない。


 二回目の挙手でも人数はほとんど変わらなかった。最初に手を挙げた九人に加えて五人が手を挙げた。つまり全部で十四人が手を挙げたのだ。しかし、二回目で手を挙げた子たちはニヤついた顔で辺りを窺っていた。面白半分で手を挙げただけだった。

 一回目の挙手の後の二十分の休憩で、自発的に話し合いをするような子どもたちはいなかった。そして二回目の挙手が終わったあとにも、子どもたちはダラけた様子で詰まらなそうにしていた。これでは何の意味もないと思った僕は、ちょっと仕掛けを変えてみることにした。

「さあ、次が最後の挙手のタイミングだね。そういえば、言い忘れていたことがあるよ。今回の三回の挙手で、一度も手を挙げていない人は連れて行かないことにするよ。三回の挙手のタイミングで決断ができない人間は連れて行っても仕方がないからね。つまりは、まだ手を挙げていない五十七人は、次の回で手を挙げない場合はここに残る選択をしたとみなすよ。それを踏まえたうえで、この二十分を活用してね」

 僕は新しいルールを付け加えた。

「そんなの卑怯じぇねぇーか!」

 一人の男の子が怒鳴った。この子の他にも不満に感じている子どもたちが多くいるのを感じた。

「卑怯も何もないよ。人生はルールが途中で変わることもあるんだよ。それに最初に言ったように僕たちは慈善団体ではないんだ。手を挙げても連れて行きたくない子は連れて行かないことも出来る。君みたいな子をね」

 僕がそう言うと、男の子はぎくりとして目を見開いた。それから僕を睨んで平静を装った。

「それにまだ一回チャンスがあるよ。人生の唐突さよりもずっと優しいだろう」

 僕はそう言った後に、自分はこんな人間だったかと驚いた。こんな考えを元々持ってはいた。しかし、それを人に伝えたり実行に移したりすることはなかったように思う。

「お願い、助けてあげて!」

 ミマが潤んだ目で見上げてきた。

 僕はため息をついて、

「助けられて当然だと思っている人間は助けられないんだよ。自分で考えて何とかしようと思っている人間にしか、本当の意味で手を差し伸べられないんだ」

 僕の言葉を聞いて子どもたちに動揺が走った。子どもたちの間で少しずつ会話が起こり始めた。

 僕はそれを見て、もし三回目で挙手をして最後にここを出て行く決断をした者がいたとしても、その人間は役に立たないだろうなと思った。いや、まだ挙手をしてない子どもたちの中にも数人は覚悟をした顔の子もいる。その子たちと最初の九人だけがギリギリ意味のある救出になる。その他の子たちは連れていく僕たちにも、連れていかれる子どもたちにも何の益もないだろう。

 そもそもが、子どもたちは不満の態度や反抗の態度を見せながらも、結局は僕が出した提案やルールに従っている。その範囲内で動いている。そのことに疑問を持たない時点で、すでにこの子たちに未来はない。これからも人に与えらえたものを判断するだけの人生を送るだろう。自分の人生の当事者にはならないだろう。せいぜいが批判者や批評者になるだけだ。それで自分が何か正しいことをしていると勘違いしたまま人生を終える。そんな人間を助けることに何の意味があるだろうか。そんな人間は既存の社会システムによってほどほどに助けられればいいのだ。僕がわざわざ助ける必要はない。

 これからの二十分間は僕にとっては無駄でしかない。そして、この子どもたちにとっても意味ありげなだけで、実際には何の意味もない二十分だろう。

 僕は瞑想に集中して子どもたちの声を僕の世界から排除した。


 三回目の挙手ではほぼすべての子どもが手を挙げた。しかし、子どもたちの顔にはこの施設からの脱出を決意したような色はない。二十分後の出発についていく権利を一応確保しただけのことだ。選択肢が増えることを自由の拡張だとでも思っているのだろう。この子らは自由と不自由を取り違えて、不自由という棒で殴り合う人生へ沈んで行くのだ。

 子どもも大人も関係ない。自分で本当に考え、どんな価値基準で生きるかが大事なのだ。

 さっき文句を言った男の子が急に立ち上がった。

「これで俺はついて行く権利はあるな」

 男の子が僕に向かって言った。

「あんたが連れていく気がなくても俺には権利があるはずだ!」

 男の子は不安そうに、しかし一方で尊大な態度で僕を睨んだ。

 権利や主張だけは一人前で、自分だけはルールを破る漢栄労働党の教育そのままだなと僕は思った。そして漢栄の操り人形だった日本メディアに毒されたかつての日本人もこんな感じだった……。

 僕は男の子に対して何も答えなかった。答えても意味がない。

 僕は黙って、最後の二十分が過ぎるのを待った。


「さあ、脱出をきめた人は外にいこう」

 ミマが嬉しそうに声を弾ませた。脱出を選択した子どもは七十一人中六十八人だった。つまり三人以外は脱出を選択した。ちなみに文句を言って来た男の子も脱出を選択した。

 僕はこの結果に不満だった。当初の予定では大人数を連れていくつもりはなかった。そもそもこんな人数をどうやって移送するのだろうか。ギリギリ可能だろうけれど、子どもたちの態度を見ていると僕には意欲的に脱出させようという気が起こってはこない。

 僕ははっと閃いて、外格をシュエンの体に入れた。シュエンの体に僕の自然エネルギーをわずかに分けた形になった。それでシュエンの右腕の先の瞳がゆっくりと開いた。肉の間から眠たそうな目が出た。瞳が開くと辺りの空気が震えた。何かよからぬ気配が漂った。子どもたちの間に動揺が走り、その目は宙を彷徨った。それからすべての子どもたちの視線がシュエンに集まった。シュエンを見た子どもたちの顔は歪んだ。一部の子どもは理解の追い付かないまま涙を流していた。理性より本能で泣いていた。

 僕は外格を通じてシュエンに語りかけた。

「今からふるいに掛けるよ」

「神っスか? 俺は神と話せるようになったんスか?」

「ああ、お前も進歩しているってことだな。とにかく、この瞳の力で子どもたちを選別する。覚悟のあるものだけ連れていくよ。そうじゃないものは、漢栄の工作員である可能性もあるからね」

「このガキどもが工作員? そんな話は聞いたことがないっすけど……」

「ありえるだろう。でも、本当は好き嫌いの問題さ。覚悟のないものとは関わらないほうがいい。周りにそういう人間がいると、自分もそういう人間になってしまうからね」

 僕がシュエンの頭の中で言うと、シュエンは少し黙った。そして、自分の頬を左手で打った。

「そうですね。神との旅ですからね」

 シュエンは少し考えて、

「でも残ったガキどもはどうしますか? こいつらも一応鬼式錬成陣が使えますよ。漢栄に利用されたら厄介だし、鬼石を作り出すこともできます」

「残った子どもは米共和国に引き渡すよ。恩を売っておかないとね。北ユーラシアだけが鬼式錬成陣を使える少年兵を接収したとなると対立問題に発展するだろう。その小さな火種を利用されることになるし」

「対立問題? 国際問題じゃないんですか?」

「漢栄は自分の軍施設がこんなに簡単に攻撃されて、何十人もの鬼式錬成陣が使える少年兵が連れ去られたとは公表できないだろう。表立っての問題にはならないよ。宇宙人の部隊も殺されているし、そんな怖い奴らと真っ向からの対立もしたくないだろうよ」

「そんなもんスかね。でも何らかのイチャモンはつけるでしょうね」

「まあなぁ。でも漢栄はいつも口に実力が追い付いていないからね」

「それにしても、まともなガキだけを連れて、役に立たないか工作員のガキは米共和国にですか。怖いですね」

「いや、米共和国で少年兵が問題を起こして、対応できないようであれば、結局僕とユウキが出向くことになるよ。米共和国に協力している四門最弱の分家じゃ対応できないだろうからね」

「わかりました。で、俺はどうしたらいいんスか?」

「そのままでいい。ただ僕がどうやってこの瞳を使うかを学ぶんだ」

「……、神と同じように使えるとは思えませんけど、勉強させてもらいます」

 僕はシュエンの返事を聞いてから、シュエンの体を操作して深く息を吸った。周りのエネルギーを取り込んだ。光りの粒が体に入って来るのを感じた。その力を瞳に集中させる。そのことによってそれまでぼんやり眠たそうだった瞳が大きく見開いた。瞳孔がぎゅっと締まって薄緑に光り出した。

 その瞳の力を感じて傍にいたユウキがはっとこちらを見た。僕は瞳の力が強くなり過ぎたのだと思って、数ミリ瞼を閉じさせた。光りが弱まった。ユウキがこちらを見て頷いた。ユウキは僕がやろうとしていることを察したようだ。

 僕はシュエンの体に入っている外格で瞳の力を調節しながら、従格の入っている黒衣の漢栄兵でシュエンを指差して、

「さあ、行こうか。このお兄さんがこの部屋の出口に立っているから、覚悟のある子はこの部屋を出るんだよ。行きたくない子はこの部屋に残るといい。後から迎えが来るからね」

 出来るだけ優しい声を出した。

 僕がそう言うのを聞いて、集められた子どもたちだけでなく、ユマ少年とミマの顔も引きつっていた。

「ユマもミマも、もし行きたくなければ残ってもいい。助けは来るからね」

 僕はどこかで自分の考えのおかしさに気づいていた。ここにいる子どもたちは漢栄に誘拐されたり、親に売られたりした子ばかりだ。自分の意志でここに来た子どもはいないはずだ。その子どもたちが少年兵にされたり、鬼石を採集されるだけの道具になっているのだから、普通であれば無条件に助けるのが人道だろう。しかし、僕はそういう普通の考えから脱している。そもそもが普通の考えとは何だろうか。普通の考えはどこで作られたものなのか。

 僕は僕の基準で考える。それが普通と違っていてもいい。しかし、僕は普遍を壊そうとは思ってはいない。メディアが扇動しているものを超えた普遍というものがあるだろう。人間として生きていて、外せないような普遍があるのだ。それを歪めさせるためにメディアが利用されているのを感じる。そういう動きに流されないようにしないといけない。

 僕の頭にはまた疑問が浮かんだ。

 ここの子どもたちはこの施設でどんな人間にされたのだろうか。もし漢栄労働党の支配が完璧に及んでいれば、意見を言えるような子どもにはなっていないはずだ。ユマ少年もミマも仲間を助けようなどとは考えなかっただろう。漢栄の洗脳が完了していれば、僕の意見に反論できるような子どももいなかっただろう。そう考えるとこの施設の支配は緩んでいる。そもそも漢栄労働党の強固な支配体制を敷くことが出来ていたのなら、ここに宇宙人がいるはずがない。つまり、この施設には漢栄以外の力も加わっていると考えたほうがいい。

 僕は子どもたちの顔を見渡した。皆頬がまるく光って純粋そうだ。生意気な子どももいるが、それはただ子どもなりの浅薄さが表に表れているだけのことだ。

 僕は考えを改めた。

 本当の問題は、シュエンの恐怖の瞳を掻い潜る覚悟がある工作員を見抜くことだな。鬼式錬成陣が使えて、かつ覚悟のある少年兵が僕の目を逃れて北ユーラシアに潜入すれば何かしらの問題が起こるだろう。もしそれが軍事的なものであればすぐに終わらせられるが、思想的だったり人間の繋がりを構築するようなものであれば、後々厄介になる。そして、その工作員がどこの国や組織の工作員かが分からないのがさらに厄介だ。

 僕の立場からすると、自国の営利のためにバランスを取り過ぎる北ユーラシアからもどこかで脱しないといけないが、それはもう少し先だろう。

 僕はため息をついた。一瞬ここにいる子どもたちすべてを殺してしまおうかとも考えた。今は何かの転換点という気がした。

 鬼式錬成陣があるばっかりに、まだ人間が戦場で戦う羽目になっているんだ。アンノウンという存在がさらに状況を複雑にしている。僕が事態を解決しなければ……。

 僕は特大の〈非在〉の刃を横薙ぎに繰り出した。

 体育館の壁一周が高さ二メートルほどのところですっぱりと切られた。一瞬の間をおいて建物が崩れ始めた。

 子どもたちの悲鳴が上がった。

 僕は崩れかけた建物を〈非在〉で投げ飛ばした。すっぱりと切られた体育館の建物の上部はその形のまま飛んで行った。外の岩場にぶつかって大きな音が鳴り響いた。

 ユウキが唖然とした顔で僕を見た。

 僕はゆっくりと息を吐いた。瞬きをすると睫毛が動くのがぼやけて見えた。自分の考えを落ち着かせた。

 体育館の床には欠片一つ落ちてこなかった。ただ突然に高さ二メートルより上の壁と天井がなくなっただけだ。ただそれだけのことだ。

「さあ、脱出したい子は出口に向かってね」

 僕は優しい声で言った。

 子どもたちはぽかんと口を開けて空を見るばかりだった。何が起こったのか、誰がやったのか気づいている子どもはいない。たった三人を除いては。

 三人内一人は僕の方を必死に見つめている少女。それは八重歯の光るショートカットの女の子だ。ヒップのラインが女の体になりかけているのを知らせている。賢そうな瞳だが、今はその瞳が見開かれて光りを失っている。彼女は自分だけが僕をじっと見ていることに気づいて、すぐに他の子どもたちと同じように空を見上げた。少女の顔には、しまった、と書いてあった。そしてそれをすぐにかき消したようだった。

 一人は子どもたちの陰から覗くように僕を見ていた男の子。この子はショートカットの女の子よりも表面上の隠蔽は上手なようで、一瞬ちらっとこちらを見ただけだった。しかし、つま先が震えて僕の方を向いている。僕に対して最大級の警戒態勢を取っているのが丸わかりだ。ショートカットの少女よりも肝は座っていないようだ。

 最後の一人はむっつりとした顔で空を見上げている女の子。セミロングの髪に一筋の白い髪束が走っている。染めたのではなく、それが地毛のようだ。目立つ子だが目立たない。そうだ。目立つのだがその場に溶け込んでいる。そのような術を使っている気配がある。その術の澱みが僕には感じられた。術を使ったことがかえって徒になっている。しかし、この子が育っていけば厄介になりそうだ。

 僕はうんざりした。見つけたら見つけたでどうにかしなければならない。そして最後の手段は殺すことだ。それはとてもとても面倒なことだ。

 子どもに関わると碌なことがない。

 僕は色々と面倒になって、子どもたちと同じようにぼんやりと空を見上げた。

 月は中天を過ぎ小さく平面な円になっていた。

 星が瞬いてこちらに何か訴えかけていた。

 殺せとか殺すなとか言っているように思えたが、僕は聞こえないふりをした。

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