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鬼式錬成陣  作者: 行平 yukihira
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17-03 ダリア 絡み合う植物たち

「誰かにつけられていたらしい」

 私がホテルの部屋に戻ると、扉を開けざまにミハイロが言った。

 ミハイロは落ち着かない様子で自分の前髪を触った。何かがおかしい。

 私はミハイロの瞳を覗き込んだ。ミハイロは瞳孔の動きを抑えた。私はそこに訓練の後をかぎつけた。

 これは本物のミハイロじゃない……。たぶん別のミハイロだ。

 私は何気なさを装って、

「どういうこと? デボスタのところの?」

 そう聞かれたミハイロは一瞬考えてから、

「いや、違うな。デボスタのところの方は事務所に入った時点で尾行を止めているはずだ。その後もとなると違う組織だろう。男女二人組らしい」

 私はデボスタの事務所に潜入する前に見かけた男女二人組のことが頭に浮かんだ。ホテルの廊下で寄り添いあう二人組が目についてはいた。

 あの二人かしら。あれは異常な繋がりを共有しているような二人だった。

 私は直感的にあの二人が敵になれば厄介だろうと考えた。

「アジア系の二人じゃない?」

「知っているのか?」

「なんだか気になる二人を見かけたのよ」

「心当たりがあるなら捜索に協力してくれ」

 本物のミハイロならこんな言い方はしない。私は随分とミハイロのことを知って、見分けるのも容易になってきたのだと思った。

「どこか当てはあるの?」

「とりあえず周辺の監視カメラにはアクセスできる。どんな二人かが分かればなんとかなるだろう」

「怖いわねぇ。まるで漢栄みたいだわ」

 私は冗談ぽっく笑って見せた。

 ミハイロはこっちを見もしないで有機ポリマーデバイスを弄りだした。


 私たちは監視カメラの映像データを受け取った。

 車のフロントガラスに有機ポリマーデバイスが薄く伸びて張り付くことでモニターになり、そこに街を行きかう人々の映像が映し出された。

 アジア系の二人の男女が楽しそうに微笑み合って駆けていく。人ごみに混じると、速度を緩めて早足で行く。その間も目を合わせて笑い合っている。人生最高の時を過ごしている恋人同士にしか見えない。

 確かにこの二人だ。私が見たのはこの二人だし、映像に映っている怪しい人物もこの二人しかない。

 でも……。この二人が危険な橋を渡って、人を監視してる最中とはとても思えない。

「この二人で間違いないな?」

 ミハイロも半信半疑だ。

「そうだと思うけど……。こんな態度でいられるかしら?」

「人間はどんなものにでもなれる。それこそが人間の本当の姿だ」

 偽ミハイロはそうは言うのだけれど、言葉の意味と態度とがかみ合わない。偽ミハイロもこの二人が尾行者だとは思えないようだ。

 私はこの二人に興味を覚えた。後をつけてみたい気がした。でも、今一緒にいる偽のミハイロに私の能力を知らせるわけにはいかない。

 私は〈鬼式錬成陣〉というより〈分子干渉〉と勝手に呼んでいる力で、消えることができる。でも、それ以外にも力がある。周りの空間に干渉することで相手の感情や意識を方向づけることもできる。私がそこにいるのはわかってはいても、私の存在を記憶に残さない、なんてことが出来るのだ。私はこの力を〈方向づける〉と名付けることにした。この力を使えば、相手をなんとなく誘導することが出来る。命令ほどの強制力はないけれど、ふと気付くとその方向の行動をしてしまっているという程度の影響を与えられる。

 私は〈方向づける〉を偽のミハイロに使った。彼にはトイレにいてもらう。何か出そうだなぁという気持ちや、トイレにいたいなぁという気持ちを抱かせるのだ。私は男子トイレに入れないのだから、一緒にいるわけにはいかない。つまり単独で行動が出来る。

 私は偽ミハイロをトイレに釘付けにさせて、この興味深い男女二人を追うことにした。有機ポリマーデバイスの情報によると、二人は公園にいるはずだった。


 私は久しぶりに誰からの監視の目もなく公園を歩いた。

 昼を過ぎて日差しは強いが、広い公園を風が抜けて清々しい。陽光で温まった土、木陰の下を通った涼しい風、春と夏とが入り混じったにおいがする。空が夏に向かって高くなっていく。広く開放されていく気配が感じられる。

 ああ、ミハイロと過ごしたかった。あのアジア系の男女みたいに幸せそうな顔でこの空気の中を歩きたかった。

 私がそんなことを考えていると、はっと目の前にあの二人を見つけた。

 こんもりと生い茂った草木の陰に人々から隠れた場所がある。そこに二人はすっぽりと収まるようにして座っていた。女の方は男の腕をしっかりと掴んで、それは信頼というより同化のように見えた。掴んだ手が男の腕に埋まっているような錯覚を持たせた。男の方でもその女の手に必死にぶら下がっていた。男の体は女に積極的に触れてはいないが、心がそのように動いているのがありありと見て取れた。動作よりも態度がそれを示していた。そこには一つの人間になりたい二人がいた。

 私は嫉妬心からなのか、二人に〈方向づける〉を使った。

 信頼し合っている人間の姿が見たいし、それを見ているだけの自分を見たくない。こんな気持ちが湧くのが人間なのだと自覚させられた。

 〈方向づける〉は私のイメージの中では粉を飛ばす感じだ。見えない七色の粉が彼らの周りを取り囲んで、やんわりとした指令、いやぼんやりとした私の願いを伝える。そうすると、初めはなんの影響も受けずにいた二人もそれぞれに少しずつ私の願いに応えて行動を変えていく。二人だけの世界で互いの内部を覗き合っていた二人が、私の望みに応え始める。

 男女二人はそれぞれ分かれようとした。男の腕に触れていた女の手が同化を維持できなくなりベリベリと剥がれた。分離した。女の方が立ち上がり近くのベンチに向かいそうだった。男の方は立ち上がった女に背を向けて、静かに体育座りをした。

 私は願い通りに事が運んだのを喜んだ。しかし、二人はすぐにそれをやめた。また合流して、くっつき合った。女は移動を止めて男の元に戻ったのだし、男も体育座りを止めて両手を広げた。戻って来た互いを抱きしめた。

 二人は私に操られていながら、初めの体勢よりもより密着した。操られている今の方が二人の距離は近くなった。

 私は負けたような気がした。仕方がないので、二人が私に背を向けるように並ばせた。背後から近づいて話しかけた。

「あなた達は誰? 何の目的があるの?」

 私が話しかけると、二人はびくりとした。体は動かないが、二人の意識が異常な動きを見せた気がした。

「私たち、捕まったの……?」

 女が呟くように言った。

「私は黒煙発症しているの。私だけがそうなの。私を連れていけばいい。私だけを……。この人は何の関係もないの。私が操っていただけなのよ!」

 女は絶叫していた。私の力を破りそうな勢いだった。

「それは違う。この女は黒煙発症なんかしていない。俺が嘘を吹き込んだんだ。そうやってこいつから金をせしめたんだよ。こいつはバカで哀れな女だ。ただそれだけだ。用があるとしたら俺の方だろう。俺はネット内ならありとあらゆるところに忍び込める。この腕をどうとでも使えばいい。いくらでも稼げるぞ」

 男が言った。しかし、男の動かない体は女を庇う気配を醸し出していた。

 この二人は自分の想いがどれだけ外に漏れ出しているかを全然理解していない。

 この二人を見ていると厭になる。

 ミハイロは私にこんな風にしてくれるだろうか。私はミハイロに危険が迫った時こんな風にするだろうか。

 私は馬鹿らしくなった。

「私はあなた達に危害を加えるつもりはないわ。むしろ助けてもいい。ただし、正直に話してくれたらね。本当にそのほうがいいのよ。そうしないと、私たちの仲間があなたたちを殺してしまうかもしれないわ」

 私は出来るだけ誠意が伝わるように真っすぐ正直に言った。

 私の声を聞いて二人はしばらく黙っていた。

 それから男が口を開いた。

「あんたの仲間ってのは、あの同じ顔の三人組か?」

「……、多分そうだと思うわ」

「あれは殺し屋だろ。軍人だが、軍人の中でも危ない連中だ」

「危ないのは三人のうちの二人なのよ」

 私は本当のところはわかっていないけれど、本物のミハイロを信じたかった。この二人の前でミハイロを信じていない自分ではいられなかった。

「……、つまりあんたはその二人を裏切って俺らを助けるってことなのか?」

「裏切るかはわからない。いいえ、本当のことを言うと裏切れるのかがわからないの。でも、あなたたちを悪いようにはしないつもりよ」

 私はそう言いながら、自分に何の力も権限もないのがわかった。私の言っていることには何の意味も価値もない。自分でもなんでこんな話をしているだろうと思い始めた。

「あなたの顔を見せて、目を見て話したいわ」

 女の方が言った。

「やめろ。顔を見たら終わりだ。顔を知らないほうがいいんだ」

 男が女を止めた。

「私、もう死んでもいいの。あなたと本当の約束が出来たから、この世でやり残したこともないわ。それに私が死ぬときはあなたを道連れにするのよ。それが今でも私はいいの」

 女が言った。私はその言葉を最初はブラフかと思った。また自分だけが犠牲になる流れを作ろうとしているのか、それとも私の動揺を誘っているのか。

 でも、女の声には一つの嘘も含まれていないことが分かった。

 女は今ここで二人で死んでもいいと思っている。

 そして、きっと男を殺す相手の顔をちゃんと見ようとしている。ただそれだけだ。私はぞっとした。絶対的に優位な立場の私の方が追い詰められているかのような錯覚に陥った。

「俺もそうかもしれない。お前と死ねればいいのかもしれない。やってやりたいことはたくさんあった。でも、今終わりでもいいのかもしれない。俺の失敗にお前を道連れにして死ぬ。それもいいかもしれないな」

 男は呟くように言った。男の声にも嘘がなかった。

 私は腹が立ってきた。

「普通は愛する相手を助けるんじゃないの? あなたたちも最初はそうしようとしたじゃない? なんですぐに諦めるの? 私に協力して相手を助けるか、二人で助かる方法を探さないの?」

「二人で助かれば一番いい。相手を助けるのもいい。でも、二人で死ぬのもいい。俺たちには区別がなくなってしまったよ。ついさっき誓ったんだ。お互いがお互いを喰い尽くすって」

男が言った。

「あんたはそれでいいの!?」

 私は女に聞いた。

「ええ。私には死ぬとかどうとかあまり問題じゃなくなったの。この人と私がどう思うかが大事なのよ」

 私は何を言っていいかわからなくなった。

 しばらく無言のあとに、

「じゃ、じゃあ、第二希望はないの?」

 我ながら変な質問をしたと思った。こういう交渉事はどうしても必要なものを前提にして行うんじゃないかしら。私は第二希望を尋ねる生殺与奪者になったのだ。これは我ながら可笑しいと思う。でも、こんな二人が相手だと仕方ないのだ。

「第二希望はこいつの黒煙発症を治すことだ」

 私があまりにおかしなことを言うので、男も本当のことを言ってしまったらしい。そういう雰囲気を感じた。男のあっという声が聞こえるかのようだった。

「やっぱり黒煙発症してるのね!? で、黒煙発症って何?」

 私はもう素直押しで話すことにした。相手の動揺が窺える。命を人質に取って話すより、素直が一番効くなんて、我ながらおかしな交渉だ。

「……、黒煙発症は鬼式錬成陣師ではない人間が鬼式錬成陣が使えるようになる特異事例だ。感情が極限にまで達すると発症することがあるらしい。お前の仲間が日本人の血と関係があると言っていたよ」

「そう。それならあなたたちに情報を提供できる可能性はあるわね。で、どうするの? 私に協力するの?」

 私はもうどうにでもなれという感じで、決め文句を言ったつもりだ。これで断られたら、このまま逃がせばいい。偽ミハイロには見つからなかったと言えばいい。

「黒煙発症の情報をくれるなら、俺はどんな協力でもする」

 男ははっきりとそう言った。それを聞いて女も深く同意するのがわかった。

 私はその様子になんだかイライラした。

 私は〈方向づける〉の七色の粉を二人から取り除いた。

「じゃあ、交渉しましょうか」

 私は二人に話しかけた。これで私の本当の声も聞こえたはずだ。

 二人がこちらを振り向けば顔も見られる。どんな人間がおかしな能力を持っているか知られてしまう。もう後戻りはできない。

「やっぱりね」

 女が振り返って言った。

「イケダユウコさん。あなたね」

 まだこちらに背を向けている男がビクリとした。

 私も女が突然私の名前を言ったので驚いた。

 私は女を見つめた。その間に男も振り返った。男の顔は凍り付いていた。

「どういうこと?」

 私は呟いた。

「あなたは漢栄の研究施設から抜け出したイケダユウコさんでしょう?」

 女は落ち着いていたが、瞳の奥にほんのりと憎悪の炎が見えるような気もした。

「今はダリアというのよ……」

 私はそう言うのが精一杯だった。

 私はまた咄嗟に〈方向づける〉を使おうとした。するとそれを制するようにして男が、

「とにかく言っておかなければならないことがある。もし俺らが用済みになったら、」

「俺らを一緒に殺してくれ」

「私たちを一緒に殺して」

 最後の言葉を二人は同時に言った。

 私は気味が悪かった。

 私を知っていることも、二人の人間が本心からまったく同じ考えを持っていることも。それに、そう言われたことで、私はこの二人をもうどうこうできないと思ったことも……。

 私を誘導するために二人が言っているわけではないのが不快だった。

 私は操る力を使って、二人に逆に操られたかのようだった。操る意図もない二人に。

 私の望みは子どもたちを助けることだ。それだけだ。この二人のように生きることではない。

 私は自分にそう言い聞かせた。

 いつの間にか大地を押さえつけるような雲が空に広がっていた。

 雨が降りそうだった。


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