19-02 氏神 親子
私たちは澁谷玄と鈴さんに氏神様の力を思い知らせた後、澁谷が所有するロッジに来ていた。
河からすぐ傍の林の中に作られたロッジは、何かの術で覆われているらしくて、まるで森の奥深くにひっそりと佇んでいるように感じられた。周りの木々の配置にも工夫あって、風が綺麗に流れて、その風をロッジは室内に吸い込み吐き出しているみたいだ。私はロッジが生きて見えることに驚いた。
私たちは右手に花畑、左手に菜園を眺めながら、ロッジまで続く土系舗装道を歩いた。脚の裏に感じる凹凸や、ザッザと鳴る足音が心地よかった。そのまま風と共に吸い込まれるようにしてロッジに入った。
ロッジの室内は広く吹き抜けで、壁にも天井にも木目の紋様が走って、天窓から取り込まれた光りが毛羽立った毛布のみたいに家中散らばっていた。建物が風を呼吸することで、射し込む光りが明るくまろやかになるらしかった。私は木造の家としてこれ以上のものはないと感動した。
だけど、だけどさぁ、それらは澁谷玄の自慢話ですべて台無しになった。
澁谷は自分一人でこのロッジを建てたこと、庭を使い勝手が良いように作ったこと、野菜の育て方のノウハウなどを一通り自慢した。一人語りは林に踏み入った時から始まって、ずいぶんとゆっくりした歩みで、ロッジに入るまで一時間は続いた。ロッジに入ってからも、使用した木の種類、釘を使わない建造方法、光りの取り込み方や反射の計算などなどとにかく長かった。澁谷は退屈している私たちの反応にはお構いなしだった。
ああ、男の独りよがりな自慢話って本当に疲れるわぁ。
こんな人が人を操る術を使うというのはおかしい気がした。むしろ逆に、こういう人だからこそ他人を操るなんてことが平然と出来るのかもしれない。
ロッジに入って一通りの自慢を終えて、澁谷の興奮も収まったのか、やっと私たちに椅子を進めた。
「それにしても実物はとんでもないもんやなぁ」
澁谷玄の声がロッジの中に響いた。無駄に大きな声だった。
「実物ぅ?」
私は澁谷の大声を遮るために左耳を軽く押さえながら訊ねた。自慢から話が切り替わりそうなタイミングだったので、私は必死に興味がある振りをした。
「そうよ。あれはアレやろ、白帯の一族やろ!?」
「白帯? 聞いたことないわよ」
私がそう言うと、澁谷は鈴さんの方を窺った。鈴さんは頷いた。
「白帯ちゃうんかい?」
澁谷玄が誰へともなく問いかけた。
「ハクタイってなによ?」
私の声に澁谷は驚いたような顔で、
「……、世が乱れる時、白帯の一族現れ……、という話があるやん。それ以外にわしを操れる存在がおるとは思えん」
「白帯ねぇ。それにしては氏神様って青っぽくない?」
私がそう言うと、澁谷玄は目玉をぐるんと回すようにして、目だけで上を見た。氏神様の姿を思い出しているらしい。
「そういえば、青味がかっとったような……」
私の意見に澁谷は絶句した。絶句の呟きも大声だった。
——ねえねぇ、氏神様ぁ。氏神様って白帯の一族なの?
私は心の声で訊ねた。
——そんなの知らないなぁ。
氏神様の興味なさげな声が頭に響いた。
「なんだか、本人もわかんないみたいよ」
「……、そんならこの世はわけわからんことになっとるぞ。影の一族、音の一族、白帯の一族、それに鬼火を操る女ども。それ以外に未知の存在が現れたっちゅうことになる。世界の秩序が変わってしまうわい」
「そんなこと言ったって、鬼も宇宙人もいるじゃない。それに妖怪まで実在してるらしいわよ」
鈴さんが腕組みをして言った。テーブルの上に斜めに落ちている影がゆらゆらと動いた。
「妖怪!? そんなんがおるんかい?」
「ええ、その妖怪も氏神様には勝てないらしいけどね」
鈴さんはそう言うと私に目で合図を送って来た。
「ええ、天狗がいるわ。大天狗はかなりの力を持ってる。氏神様にいい様に利用されちゃったけどさ」
——利用なんてしないぞ
氏神様の声が頭の中で聞こえたけれど、私は無視した。
「とにかくね、前にも言ったけど、漢栄軍を操るって話よ」
鈴さんが話を変えて、澁谷玄に向かって言った。
「わしの力で軍を操るのは無理やと思っとったが、あの力なら可能だわなぁ。しかし、……」
澁谷玄は言葉を切って鈴さんを見た。
「漢栄兵を操って、西ユーラシアの金融関係を攻撃するんはええがなぁ。闇の支配者たちと漢栄の関係は切れる寸前まで行って、潰れる漢栄に協力する組織もなくなるやろ。それはええ。それはええんやがなぁ。お前の本当の狙いがわしにはわからん」
澁谷玄が鈴さんに向かってそう言うと、場の空気がビリビリと震えた。
鈴さんが反応して、テーブルの上の影がぐにゃりと形を変えた。
「ちょっとちょっとぅ。またやろうっての? 氏神様が黙ってないわよ!」
私が咄嗟に二人を止めた。
二人ともはっとして私を見た。そして今は姿を現していない氏神様を空中に探した。
私は机をトントンと人差し指で叩いた。立ち上がっていた二人に対して、座れ、という合図だった。二人とも睨み合ったまま私の言葉に素直に従った。
澁谷玄が先に目を逸らして、
「我が子ながら、こいつの考えていることがわしにはわからんでなぁ」
「わ、わが子……!?」
私はあまりに驚いて声が漏れた。
「なんや、知らんかったんかい」
「だって……、だってぇ、影の一族と音の一族とで違うんじゃないの?」
「親子っていっても血は繋がってないのよ。全然似てないでしょう」
鈴さんが手首を擦りながら答えた。
「こいつの親が影の一族の使用人でな。家長から手がついて子どもが出来た。それがわかって追い出された。跡目争いにならんようにな。追い出した後で、影の一族の一部の者がこいつを裏で殺そうとしおった。だからわしが引き取って音列術式を仕込もうとしたんじゃが、こいつは白震術式でも音列術式でもなく、黒影術式と印式術式を独学で学んだんや。それだけならまだしも、影の一族の男と結婚しおった。しかも分家の中でも最下位の第三分家の男とのぅ。すべてを隠してそこまでやってしまいおったんや」
澁谷玄の言葉を聞く鈴さんの顔はつんと澄まして、言葉はその皮膚の上を何の効果もなく流れ落ちるかのようだった。
「復讐でもするつもりかいや? そのためなら命も投げ捨てるっちゅうんか?」
澁谷玄が責めるようにして言った。
「最初はね。でも、今は子どもを守りたいだけよ」
鈴さんは腕を組んで窓の外を見ていた。テーブルに落ちる影が微かに揺れていた。
「それならわしの気持ちもわかるじゃろう」
「私は子どもじゃないも……」
「子どもじゃッ!」
澁谷玄は鈴さんの言葉を遮った。そこには有無を言わせないものがあった。鈴さんも黙った。
私はなんだか馬鹿らしくなって、鼻から息をふむぅと吹いた。
「親が近くにいるだけいいわねぇ」
私の小さな呟きが澁谷玄だけに聞こえたようで、澁谷がこちらをちらりと見た。
「とにかくさ。これで駒は揃ったってわけね」
そう言う私を二人はそっくりな目つきで見てきた。そして二人はまた同時に氏神様を空中に探した。
少しの沈黙があった。
その沈黙をテーブルの上でぶるぶる震える影が破った。奇妙な振動の波がそこに表れていた。
「ちょっと待って……」
鈴さんが甲高い声を上げた。
「羽山健敬からだわ……」
その声に澁谷玄の目が見開いた。
「……、バルデンがラフガナスタンから兵を撤退させているらしいわ……」
「何故、健敬からお前に連絡が!?」
「わからない。こんなこと今までないもの」
私はテーブルの上の影が奇妙な波形を作っていくのを眺めた。私には何が起きているかはわからないが、そこには何らかの規則性が読み取れた。
私はじいちゃんとテツヲ氏に目配せした。二人の顔にも緊張と驚きとが表れていた。
「何かをさせたがっとるな……」
澁谷玄が壁の木目を睨みながら呟いた。
「どうやってかは知らないけど、私たちが会っていることも、何をしたがっているのかも筒抜けなのかもしれない」
「そんなことがあるかいなっ!?」
「あの人ならあり得るのよ」
澁谷玄の疑問の声に鈴さんが静かに答えた。
「つまりはラフガナスタンに行けってこと? それとも関わるなってこと?」
私はじれったくなって口を挟んだ。
「それはわからない……」
「それならわしが行ってくるわ。わしが氏神様? と一緒に行って見てくるわい。わしらが揃えば誰が相手でも負けはないやろ。健敬にも勝っちまうかもしれんぞぃ」
澁谷玄が笑いながら言った。しかし、その目の奥には冷たいものが流れていた。
「ちょっとちょっとぅ。何で氏神様も一緒なのよ。私たちは漢栄を潰すんでしょうが。ラフガナスタンなんか関係ないでしょ」
「嬢ちゃん。ラフガナスタンには漢栄も関わっとるんよ。むしろラフガナスタンで漢栄兵を操って資源や麻薬の利権を滅茶苦茶にしてやれば、漢栄の立場は確実に悪くなる。ラフガナスタンに米共和国民の税金を湯水のように投入させて、それを吸い取って来たニオコンとも揉めさせられるんや。闇の支配者と漢栄が結託して金儲けをしとったのを、漢栄側が突然裏切ってぶち壊すんやからなぁ」
「それでは金融界隈への直接の攻撃にはならないだろう」
話を聞いていたテツヲ氏が口を挟んだ。話しかけられた澁谷玄はテツヲ氏の方を向いて、
「確かにのぅ。そんならラフガナスタンで大暴れの後に、金本位制に戻すと宣言させればええやろ。そんでオフショア地帯を攻撃すればええ。スニスは勿論やが、イタニアの本拠地をやるんや。ラフガナスタンでの活動は、その前触れとして注目を集めるためのものとする。どうや?」
「タックスヘブンを攻撃? 死ぬつもりか!?」
「漢栄兵がやれば死ぬのはわしではないわぃ」
澁谷玄は悪い顔で笑った。
——漢栄が金本位制に戻すと言ったって、世界からは相手にされないだろうよ。
私の頭の中で氏神様が呟いた。
「あのね、氏神様がさ、漢栄が金本位制にしても相手にされないって言ってるわよ」
——へネディが殺されたのはドルを金本位制にしようとしたからだ。ドルを好き放題に刷ることを禁止しようとしたからだ。通貨価値の低い漢栄がそれをやってもどうでもいいだろうよ。
「通貨の価値が低い漢栄でやっても駄目だってさ」
「タックスヘブンへの攻撃は意味があるやろ?」
——それは意味がある。最後には金融支配から脱しなければならないからな。しかし、その前に人間の意識を変える必要がある。そうしないと、金という概念や媒介が人を支配する体制は変わらないだろう。
「なんかよくわかんないけど、人間の考え方を変えるべきだってさ」
——漢栄は勿論潰す。というよりも潰れるだろう。しかし、漢栄の中から英雄を作って、漢栄を闇の支配者たちと戦う最初の国にしなければならないかもしれない。国が倒れる時こそ英雄が作りやすいからな。
「漢栄の中から英雄を作るって言ってるわ。けど……、それ本気ぃ!?」
私は氏神様の答えをみんなに伝えながら、思わず氏神様に質問し返した。
「英雄を作る? しかも、漢栄からかぃ?」
澁谷玄がはっとした顔で私の背後の空間を凝視した。
「国が滅びる瞬間には英雄が作りやすいからってさ」
「確かにあんな滅茶苦茶な漢栄という国には漢栄労働党に反対する英雄が現れてもおかしくない」
テツヲ氏が同意した。
「そうか、そうかもしれん。漢栄兵を使って、ラフガナスタンで暴れる。その理由は漢栄の腐敗した支配を打破するためで、しかも闇の勢力とも戦う決意をしているということにするんやな。目的は金本位制からの脱出だと宣伝すればええ」
——初めはあくまでも、漢栄労働党の指示によってラフガナスタンで暴れたことにする。そして、闇の支配者たちが漢栄を攻撃し始めたら、漢栄労働党を排除して、英雄を作り出す。その手順を間違えると厄介なことになるぞ。
「手順を間違えるなってさ。漢栄労働党と闇の支配者たちをちゃんと敵対させてから英雄を作るんだって」
「そんなうまくいくかしら」
鈴さんは懐疑的だ。
——ラフガナスタンだけで活動するのでは無理だろう。軍人の訓練や麻薬の密売はポキスタンも大きな役割を演じているからな。それに漢栄も絡んでいる。あの周辺国まで含めて事を進めないといけない。
「ポキスタンも大事だってさ」
「俺があの〈白虎猿〉になれれば操れないものはないやろ。宇宙人でもアンノウンでも。いっそのことタックスヘブンの貴族どもを操っちまえばええんや」
澁谷玄が自信ありげな笑顔で唇を横に結んだ。
「アンノウンがいるこの世界で、まだあの貴族どもが生き残っているのには何かの理由があるのよ。過信しないことね」
鈴さんが冷たく言い放った。
「なんや? 心配してくれとるんか?」
「そんなんじゃないわよ!」
澁谷玄は鈴さんの反応を見て笑って、
「子どもも、子どもの子どもも、わしはこの世に残した。わしのやることは終わったわぃ。お前の子どもの時代をわしが作ってやるわ」
「時代は自分で作るのよ」
鈴さんの声は冷ややかだった。
「そう思える人間を育てることが時代を作ることや」
澁谷玄は柔らかく微笑んだ。
鈴さんはフンッと横を向いた。話は終わりだという風に、テーブルの上の影に残る微振動を収束させる作業に移った。
澁谷玄は旅の支度をするらしく、どこか奥の方へ引っ込んでいった。
私はなんとなくラフガナスタンに行くことは決まったのだと理解した。話の流れでそうなったらしい。しかし、どうやって漢栄と闇の支配者たちをきっちりと対立させられるのかがわからない。
——氏神様ぁ、結局どうすんの?
私は心の中に問いかけた。
——それはラフガナスタンに行って現地の情報を正確に掴まないとわからないな。米共和国の中央情報部も厭らしく関わっているだろうし、トリバンの方でも偽の情報も流しているだろうからな。
——行かなきゃわかんないってこと?
——そうだな。正確な情報を集めないとわからないことが多い。
氏神様のその答えを聞いて私は溜息が出た。
私みたいなもんが戦地に赴いたら簡単に死んじゃうわよ……。日本国を建て直すどころか、母親にもう一度会うことさえできないかもしれない。
私は心の中で氏神様にも聞こえないように、
——私のことをちゃんと守ってよぅ
と呟いた。誰かに届いたのかどうかわからない。誰にも聞こえていない可能性が、私にまた溜息をつかせた。
——闇の支配者……。対立構造だけで捉えていては変えられないかもしれない。英雄もその場しのぎか……。
氏神様の小さな呟きが聞こえた気がした。
ロッジの中を何度目かの風の波が抜けていった。
呼吸するこのロッジが生暖かい動物の胃の中のように思われてきた。そこへ入り込んだ私は、守られているのか、喰われてしまったのか、どちらだろうかとそんな考えが浮かんだ。
氏神様の〈越権〉という、どんな能力を持った相手に対しても、その相手よりも数段上の力が発揮できるという異常な能力。あれがあれば私たちが負けることはないだろう。それは分かっているのだけれど、私は何か不吉なものを感じていた。
人は負けるはずのない時に負ける気がする。これは普段の私が考える様なことじゃない。だけど、今はそんなことがふと頭に浮かんで来た。
外の景色が妙に遠くにあるような気がしていた。




