49.疑いと信頼
サザは青くなってベッドから立ち上がり、身体を捻って自分のスカートの後ろを見た。裾に、縦に切れ目が入っている。
恐らく、剣士のナイフが気づかない内にサザに触れていたのだ。
カズラとアンゼリカは返り血に気が行っていたし、棒立ちの状態でサザの服を確認したので、スカートのひだに隠れた切れ目に気が付かなかったのだ。
(迂闊だった)
「……それ、刃物だよな?
何で友達と墓参りしに行ってそんなことになるんだ?
そのことを、リエリに話に行ったのか?」
「……」
普段なら、仲の良いリエリのところへサザが何か話をしに行ってもユタカは大して注意を払わないだろうが、サザのスカートが明らかにおかしいので、不審に思ったのだろう。
(どうしよう……)
サザはユタカの質問に対しての答えが見つからず、黙り込んだ。
「サザ。教えてくれ。おれはサザが本当に心配なんだ。何があったんだ?
どうして、おれには言えないんだ?」
「……」
サザは口を開こうにも、答えが何も見つからない。
今日のことを話すということは、サザが暗殺者だとユタカに告げるということだ。
汗がこめかみを伝う感覚が驚くほど鮮明に感じられる。
ユタカは黙りこくったサザにしびれを切らしたようで、表情を険しくして言った。
「サザが教えてくれないんだったら、リエリに直接聞きに行くけど」
「え……」
リエリは上司のユタカに問い詰められたら、真実を話さないわけにいかないだろう。そうしたらサザの秘密を隠していた罪を受けてしまう。
何も罪のないリエリにそんなことは絶対にさせられない。
「待って。それは止めて」
「どうしてだ?」
「私が、口止めしたから。リエリは何も悪くない」
「口止め……?」
ユタカは眉を寄せ、表情を険しくした。
「口止めって……
じゃあやっぱり何かおれに隠してることがあるんだな?」
「……うん」
「でも、わざわざリエリに相談してるのは何でだ?
あれからずっとリエリが昇進を断ってる事にも関係あるのか?
お願いだから、話してくれないか?
おれは本当に心配なんだよ」
「……」
(話せない)
サザは、暗殺者であることを全部ユタカに話してしまえば、自分の心がどれだけ楽になるかと考えたことは幾度となくあった。
でも、本当にそれを実行してしまえば、サザは今のユタカとリヒトとの幸せな生活を全部失って死ぬことになるのだ。
サザはそれを諦めることが、どうしてもできない。
サザが暗殺者であることはやはり、絶対に、絶対に、ユタカには言えないのだ。
ユタカは純粋にサザを心配してくれているだけなのに、応えられない。
そんな自分が堪らなく不甲斐無く、情けなかった。
サザの瞳から涙がこぼれて、床の絨毯に落ちた。静かな部屋にひた、ひたと涙の滴る音が響く。
「……」
立ったまま急に泣きだしたサザにユタカは大きくため息をついて、ベッドに座って膝に頬杖をつき、黙ってそれを見つめた。
そのまま、かなり長い時間が過ぎた。
「……サザ」
ユタカは目線を絨毯の上のサザの涙の染みに落としたまま、ぽつりと口を開いた。
サザは黙って、頬を流れ落ちていく涙をそのままに答えた。
「おれは、本当にサザのことを信じてるし、分かり合えてるって、思ったんだ。
でも。サザはそうじゃなかったんだな。
おれのこと信じてくれないのか」
ユタカが諦めたような表情で、小さな声で言った。
「ち……違うの! そうじゃない!」
「じゃあ、何なんだ?」
ユタカは半ば吐き捨てる様に言うと、目線を落としたまま、泣きそうな顔をした。
こんなに悲しそうな顔のユタカを見たのは初めてだ。
サザはそれを見て、自分が秘密を持ったままユタカと一緒にいることが如何に酷いことかを、雷に打たれたように思い知った。
(私はユタカを、自分の秘密のせいで傷つけているんだ)
ユタカはサザのことを心から心配してくれているだけなのに、サザの秘密が、ユタカを深く悲しませることになってしまったのだ。
サザの嗚咽だけが響いている部屋で、しばらくの沈黙ののち、ユタカは口を開いた。
ユタカはサザへと顔を向け、もう一度小さくため息をつくと、立ったままのサザの手を引いて自分の隣に座らせた。
「どうしても、どうしてもおれに話せないのなら、もうそれでいいよ。
でもお願いだから、それが危険じゃないかだけは、教えてくれないか?
危険なら、サザに護衛を付けるとか、何か対策するから」
「……危険じゃないよ」
サザは嘘をついた。
「なら良かった」
ユタカは心底安堵した様子で、少しだけ広角を上げた。
本当は、危険だ。
でも、ここで危険だと言ったら暗殺者であることがユタカにばれやすくなってしまう。
ユタカは隣に座っているサザの髪に触れるとサザの瞳を真っ直ぐに見つめた。いつもサザに優しく微笑んでくれるユタカの真っ黒い瞳は今は悲しさで満ちている。
「おれはサザが何か隠しているとしても、サザのことだけは、絶対に信じてるよ。
本当に大切な人だから。それだけは覚えていて」
「……うん」
サザは、ユタカの深い優しさに応えられない自分が、心の底から憎く感じた。
(結局全ては、私が暗殺者だったせいだ。
暗殺者じゃなければ、こんな風にユタカを傷つけなくて済んだのに)
何処まで行ってもサザは結局、暗殺者であった過去に囚われ続けるしかないのだ。
涙の止め方が分からないサザがベッドに座ったままぽろぽろと泣いていると、いつも通りにユタカがサザの細い身体を抱き寄せ、髪を優しく撫でてくれた。




