44.悪意
「時間がかかって、申し訳ありませんでした。サザ・アトレイドのイスパハル入国時の調書を調べました」
ローブの男に、カーモスの軍服の男が言う。場所は、品位のある家具の揃う、王宮の執務室のようだ。
「あれから半年近く経つぞ。どういうことだ?」
「カーモス側の戸籍も調べたのですが、いくら調べても、サザ・アトレイド、旧姓はアールトですが……は、登録されていないのです。
念の為、カーモスの国中の戸籍を照会したので、時間をくってしまいまして。
おそらく、人身売買でどこかから連れてこられたので、登録されていなかったのでしょう」
「人身売買?
ユタカはよくそんなゴミみたいな女と結婚したな」
「ええ。
イスパハル側の国境の河原に他の三人、カズラ・ウツミとアンゼリカ・ピックフォード、レティシア・オルカと一緒に倒れていたところを、警備中のイスパハルの兵士が発見して保護したそうです。
怪我をしている上に気を失っていて、なにより、若い女なので危険性がないとみなされたようです。ただ、レティシア・オルカはその場で死亡が確認されています。
そのまま三人の証言を元に、イスパハルに難民として申請が出され、受理されていますね」
「集団移民じゃないのか? そんなはずないだろう。
イスパハルとの国境のカーモス側には、イスパハルへ逃げようとする市民を確実に殺すために暗殺者が配備されているんだ。
腕の立つ暗殺者の助けを借りなければ、若い娘が越境するのは不可能だろう」
「脱走を助けた者が他にいるのではないでしょうか。ただ、その者が何故一緒に越境していないのは分かりませんが」
「暗殺者の助けか。カーモスに暗殺者組織がいくつかあるな」
「ええ。
しかし、金を握らせてカーモスの暗殺者組織をすべて当たりましたが、サザ・アトレイド達の脱走の補助の依頼を受けた者は見つかりませんでした。
ただ、ちょうど脱走の同時期にカーモスで最も勢力のあると言われる暗殺者組織が壊滅したそうで、そこにいた者だったのかと思われます」
「何で壊滅したんだ?」
「扱いに不満を持った暗殺者数名が、幹部を皆殺しにして脱走したと。
その反逆者達は未だに居所が分からないそうで、わずかに残った組織の残党は、血眼になってその者達を探し続けていると言っていました」
「反逆者か。どんな奴なんだ」
「四人の女だそうです。信じられませんが」
「四人の、女……?」
ローブの男は顎に手を当てて、しばし沈黙した。
「……そうか」
「どうされましたか?」
「サザ・アトレイドがイスパハルに入国した日と、暗殺組織が壊滅した日を確認しろ。同じ日のはずだ。
サザ・アトレイドと仲間は、自分達が腕の立つ暗殺者だったから、カーモスから逃げるための助けなど、必要なかったんだ。
……作戦を変えよう。それだけ腕の立つ暗殺者なら、使わない手はない。
ついでにユタカにも教えてやるか。知らないだろうからな」
―
森や謁見の時の襲撃以来、ユタカは特に襲われることはなく日々は過ぎていった。
警戒自体は緩めていないが、警戒していること自体に慣れてきて、あの時のようなぴりぴりとした雰囲気は無くなってきた。
カズラとアンゼリカもユタカの暗殺の依頼者については独自に調べてくれ、一月に一度ほど手紙で報告をしてくれていたが、依然、正体はつかめなかった。
このまま、相手が諦めてくれ、何も無く終わることを祈るしかなかった。
リヒトが来てから毎日はあっという間に流れた。その間にイーサの厳しく長い冬が終わり、瑞々しい若葉の芽吹く春が過ぎて、初夏が訪れた。
サザがユタカと結婚してからもうすぐ一年になる。
リヒトは城から町の学校に通うようになり、新しい友達も沢山できたようだ。
リヒトは時折、城に連れてきた友達を巻き込んで、近衛兵のための炊き出しの鍋に大量に胡椒を入れたり、干してある洗濯物のポケットに片っ端からカエルを入れてメイド達を驚かせたりといった酷いいたずらを仕掛けた。
ユタカやサザにこっぴどく叱られることは度々あったが、二人によく懐き、信頼してくれた。
三人での家族としての生活にも慣れ、絵に描いたような幸せという言葉がぴったりくるような毎日だった。
サザはその幸せの中で時折、暗殺者だったことを忘れかけている自分がいることに気がついた。
困っているイーサの人に話を聞きに行き、一緒に解決方法を考える仕事はサザに大きなやりがいを与えてくれた。
サザは、結婚するまで暗殺以外に出来ることなんて何もない思っていた。
でも、リエリやヘルミ、沢山の街の人、特に同じくらいの年の女の人達に話を聞くことで、サザが出来るかもしれないことはそれ以外に無限にある事を知ったのだ。
もちろん、サザが暗殺者であったことは消すことが出来ない事実であり、真実の誓いもある。
暗殺者であった過去はサザに一生付き纏うだろう。
それでもサザは、やっと、自分に自信を持って生きていけるような気がしたのだ。
ユタカが命を狙われている事には変わりなく、その事はまだ生活に影を落としてはいたが、サザはこれからのユタカとリヒトとの生活が本当に楽しみだった。
—
いつも通りのユタカとリヒトとの三人での朝食の後、お茶を飲みながら談笑していたところに、慌てた様子のローラがユタカのところへ来た。
「領主様、ご来客がありまして」
「来客? 誰? 特に聞いてないけど」
「ヴァリス・ルーベル大佐です」
「え!? 大佐が……?」
まさかルーベル大佐が来るとは思っていなかったので、三人共普段着だ。この服装で応対するのはさすがにまずい。しかし、一体何の用事だろう。
「ローラ。応接室に先にお通ししてくれるか?
サザとリヒトも急いでちゃんとした服に着替えてきて。おれもすぐ軍服着てくるから」
「わ……分かった!」
リヒトとサザは慌てて二階に上がり、服を準備した。