36.ユタカの秘密
「でも、おれはサザに言ってないことがあって。もう言わないつもりだったんだけど。
サザの言葉を聞いて、ちゃんと言ったほうがいいと思ったんだ」
ユタカはベッドに横になるとサザの腰を抱き寄せて隣に寝かせ、毛布を引っ張ってきて二人の身体が入る様にかけ直してくれた。
「何ですか?」
「おれ本当はさ、戦争が終わったら結婚の約束をしてた人がいたんだ」
(洗濯室で聞いた通りだ)
サザが想像より驚かなかったのを不思議に思ったらしいユタカが少し首をかしげたので、サザが慌てて答えた。
「メイドの子がそう、話してるのを聞きました」
「え!? そ、そうか……
どこから仕入れるんだか、メイドの子達って恋愛話は何でも知ってるんだよな。諜報員でもやらせようかな」
ユタカは頬を掻きながら続けた。
「戦争で死んだんだ。おれが十九の時だからもう五年も前だな。孤児院でずっと一緒に育った人で魔術医師でさ、従軍しててカーモスの剣士に斬られたんだ」
「……お辛かったですね」
「辛かったのは確かだけど、気持ち的にはだいぶ整理出来たな。
共通の孤児院の友達が沢山いたから、大分心配してもらったし。
でもさ、おれが一番守らなきゃいけない人だったのに。守れなかったんだ。
だからおれは絶対に、守るべき人をちゃんと守れるようになりたかった。その為だったら自分なんていくら傷ついてもいいと思ったんだ。今も」
サザはユタカの死んだ恋人のことを想像し、一瞬だけ胸が苦しくなった。でも、彼女もまた、ユタカと同じ様にイスパハルを守ろうとして、命を落とした一人なのだ。
しかし、十九才の時というとユタカは剣術学校を出て、戦争に参加したばかりの頃だ。きっとその恋人のことが剣士としてのユタカをこれだけ強くしたんだろう。
「でさ。そんなことがあったから。
おれは本当は一生結婚しないつもりだったんだ。
領主になるのだって、二十五までに結婚しないといけない決まりがあるって分かってたら、引き受けなかったんだけどな。
みんな当たり前に知ってたみたいだけどおれはそんなの無縁で生きてきたから、領主になってから知ったんだ」
ユタカはそう言うと目を伏せた。少しの沈黙の後、深呼吸をすると、真っ直ぐにサザの目を見つめてから口を開いた。
「でも、サザ。おれも、サザのことが好きになってしまってたんだ。
きっともう誰かのことをあんなに好きになったりしないだろうって、思ってたんだけど。
でも、おれはきっと、サザと一緒にいても死んだその人の事を完全に忘れることが出来ないよ。
その人の亡骸を引き取った日と同じような夕焼けを見たり、一緒に馬に乗った道を歩いたりしたら、サザが側にいても思い出すと思う。
それは、嫌だよな。悪いとは思うけど」
「……」
結局ユタカは、こんな時でさえも自分の気持ちよりもサザの気持ちを気遣ってくれているのだ。
どうしてこんなに優しいんだろう、と胸がぎゅうと締め付けられる。
「私は、それでもいいです。
それは当然でしょう。大切な人が死んでしまったのに。
私も、同じようなことはあります。妹みたいな友達の子が目の前で死んでしまって、助けられなかった。
もし彼女が生きていたらって考えることは、沢山あるんです」
サザはひまわりの様なレティシアの笑顔を思い出す。
『大切な人が死んだ』という事実の前には、それが恋人であるか友人であるかなんて関係が無いとサザは思った。
「そっか……サザも辛かったんだな。
でも、サザはいつもおれが言って欲しいことを言ってくれるよな。どうしてだろう」
それは、私が暗殺者だからです、とサザは心の中で呟き、口元だけで微笑んだ。
ユタカは毛布の中でサザにさらに身体を近づけると、腕をサザの身体に回して枕にしてくれた。
「……その人は、おれに会う度にいつも大好きとか楽しいねとか、たくさん言ってくれたんだ。
でも、おれはそうやって素直に自分の気持ちを言うのが本当恥ずかしくてさ。いつも曖昧に返してたんだ」
「そうなんですか?」
今の素直な言葉を真っ直ぐにかけてくれるユタカとかけ離れているのでサザは驚いてしまった。
「そうだよ。
おれ、そういうことを言う時、本当はものすごく恥ずかしいんだからな……」
ユタカは眉を寄せて真面目な顔で言ったのでサザはつい笑ってしまった。
「でもさ、その人が死んでからやっと分かったんだ。生きてる間しか好きって言葉で伝えられないってことに。
その人は多分、そのことがちゃんと分かってて、敢えて言ってくれてたんだ。おれもその人もいつ死ぬか分からない状況だったから。
おれはそのことに気がついて、死ぬほど後悔したんだ。おれもすごく好きだったのに、ちゃんと言ったことなんて殆ど無かった。
だから、それからは恥ずかしくてもちゃんとその時の自分の気持ちを相手に言葉で伝えようって、決めたんだ」
(この人は元から素直な訳ではなかったのか)
サザは意外に思ったが、そんなユタカに今までに無い親しみを感じた。
そして、ユタカが自分の結婚の秘密を話してくれたのだから、サザもどうしてユタカと結婚することになったかを話すべきだと思った。
「あの……私も。結婚の事で言ってないことがあって」
「ん?」
「……カズラとアンゼリカ。結婚式に来てた友達の二人が、私が知らないうちに勝手に領主様に求婚状を出したんです」
「そ、そうだったのか!?」
「ええ……
カズラとアンゼリカはスキルがあるけど、私はさっぱりだから仕事が見つからなくて。私の食い扶持を心配した二人が出したんです。
まさか返事が来ると思わずに出したみたいでしたけど」
「……じゃあ、サザもおれと結婚したい訳じゃなかったのか……」
「ええ、私も一生結婚しないつもりで生きてました」
「そんなこと、あるか……? はは」
「あはは」
二人はおかしくなって、ひとしきり声を上げて笑った。
「お互いそれ位でちょうど良かったんだろうな。
それにしても酷い友達だな! 感謝しないといけないけど」
「本当にそうですね」
サザとユタカはお互いに笑って出た涙を手で拭いながら言った。
「サザは結婚して、おれの事どう思った? 想像通りだったか?」
「そうですね……
沢山の求婚を破断にしていると聞いたので、一体どれだけ理想が高い人なのかな、と。でも結婚した後は思ったより普通の人だなと思いました」
「……酷い言われようだな?」
ユタカは肩を震わせて笑いながら言った。
「いや……英雄なんて言われてる人だと何だか、普通の人間とはかけ離れた存在のような感じがするじゃないですか」
「ああ……そう言われることはあるけど、どう反応して良いか分からないんだよな……
おれはたまたま戦争してる時に生まれて少し剣の才能と運があっただけで、それ以外は完全に凡人だからな。学もないし。
領主様とか英雄だなんて祭り上げられてるけど、そんなの偶然だからな。そこら辺にいる普通の二十四の男だよ。
普通の男だからこうやってベッドにサザと一緒にいるとそういう気分になったりするし」
偶然だと言うが、この人の優しい心に人々が強く惹かれるのは事実だ。
彼が生まれ持った力は領主という人の上に立つ仕事には合っているとサザは感じた。
「……でも、最初に私を抱きしめた夜にも、領主様は私に何もしないでくれましたね」
「あの時は……おれは本当に本当に、サザのことは大切にしないといけないと思ったんだよ。
こんなことがあっても一緒に居てくれるという人は他に居ないと思ったから、絶対に傷つけたくなかった。
でも、ベッドでサザを抱きしめてる時のおれの理性はかなりぎりぎりのところにあったから、おれは自分で自分を褒めたけどな」
「あはは……ありがとうございます。
でも、傷ついて欲しくないのは私も同じなんですよ」
「……そうだな。ごめん」
ユタカは悲しさと愛しさの混ざった表情で、サザの眉を親指でそっと撫で、額にそっと口づけた。
「でもさ、おれは本当に普通の奴だから。
ルーベル大佐みたいな人はいつの時代でも軍人になってそうだけど、おれは違う時代に生まれたら、きっとならなかっただろうな。
剣士になったのは自分の意思だけど、子供が好きだから孤児院で働いても良かったなって思う時があるんだ」
「似合いそうですね」
「そう言われると嬉しいな。サザは今の時代じゃなかったら、他にやりたい事はあったのか?」
「そうですね……私は」
サザは思いを巡らせてみたが、恐らく戦争中であってもなくてもサザが暗殺者組織に飼われていた運命には変わりはないのだ。
サザには生まれた時から暗殺者になる以外の選択肢は無かった気がする。
「ごめん、ちょっと聞いてみただけだ。そんなに真剣に考えなくて良いよ」
サザの表情が翳ったのを見て、ユタカは慌てた様子で言葉を続けた。
「すみません、ありがとうございます」
「……サザ。
それでひとつ、聞きたいんだけど」
「はい」
「……おれがもし、領主でなくなっても。おれと一緒にいてくれる?」
(領主でなくなっても……?
孤児院で働くってこと?)
サザはユタカの質問の意図がよく分からなかったので聞き返そうとしたが、サザの答えを待つユタカのあまりに真剣な表情に思い留まってしまった。
「……ええ。もちろん。
私はあなたの地位や剣士であることに惹かれて結婚したわけじゃありません。
私はあなた自身のことが好きだから、一緒にいたいと思っています」
ユタカはサザの返事を聞くと安心したように溜息をついた。サザに腕枕をしていた身体を捻り、毛布の中でサザの顔の間近に自分の顔を近づけた。
「ありがとうサザ、大好きだよ」
ユタカがサザの目を真っ直ぐに見つめ、笑顔で言った。
「私も。大好きです」
サザも笑顔で応えた。ユタカとサザは笑いながら毛布の中でお互いの身体を強く抱きしめた。