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暗殺者の結婚  作者: 萌木野めい
II.結婚と仕事
35/80

35.孤独と優しさ

(そういえば……ヘルミの話、結局領主様には聞いていなかった)


 ユタカが戦争中にカーモスの一般市民を助けてイスパハルで移民になるように国王に打診していたという話だ。サザは、もう少しユタカの口からも聞いてみたかった。


「町の人から気になることを聞いたのですが」


「何だ?」


「カーモスからの移民の方に会いまして。その人が領主様に直接命を助けてもらったと。とても感謝していると言っていました」


「ああ、そういうこともあったな」


「それで……どうしてそんなことまでされているのか、気になって」


「……そんなことまで?」


 ユタカはサザの言葉に険しく眉を寄せた。ユタカの見たことのない表情にサザは少したじろいだ。


「罪もないのに苦しんでいる人がいたら、助ける以外にあるか?

 別にイスパハルの国民でも、カーモスの国民でも関係ないだろ?」


「……いえ。確かに、そうなのですが」


 ユタカの語気が少し強まったのを感じ、サザは思わず、手元に目をそらした。


(出過ぎたことを言ったかな……でも、私も言いたいことがあるんだ)


 サザはもう一度ユタカの目を見て言った。


「それを聞いて、私は、あなたの身体がそんなにも傷だらけなのは、そのせいなのではないかと思ったんです」


「……」


 ユタカはサザの言葉にしばしの沈黙が流れた。


「どういう意味で言ってる? そういう人を助けるのは止めろと?」


「人々の命を助けるのは、何にも代えがたい素晴らしいことです。

 もちろん、それを否定している訳ではありません。でもそれで、あなたはどんどん傷ついてしまう」


 普通の剣士だったら、自分が傷つきそうになったら戦うのを止めたり撤退したりする。死にかけてまで誰かの命を助けたりしない。

 しかし、この人は誰かを守るために、自分が傷つくことを厭わない。

 それを贖えてしまうくらいの圧倒的な剣の腕前と、深い優しさが、そうさせないからだ。

 しかし、そのせいで、負わなくていい傷を負い、逃げられないくらいの恐怖に苛まれているのだ。サザはそれを思うと得も言われぬ悲しい気持ちになるのだ。


「サザ」


 ユタカはいつにない強い口調でサザの名前を呼んだ。眉は険しく寄せられたままだ。


「……はい」


「おれは、虚栄心で剣を握っている訳じゃない。英雄と呼ばれることにも、おれは興味はないんだ」


「……」


「おれは孤児だし、戦争では虐げられている人も数え切れないくらい、沢山見た。実際のところ、おれが助けられたのはその中のほんの一握りだ。

 おれは、辛い思いをしている人を助けるために剣士になったんだ。おれが傷つくこともその仕事の責務の内だ。

 おれは、その覚悟を持って戦っているんだ。それに口を出さないでくれないか?」


 ユタカは怒りをはっきりと帯びた険しい表情でサザを見つめている。


(……怒らせてしまった)


 結婚してから四ヶ月余り経つが、サザはユタカが怒ったところを今まで一度も見たことがなかった。

 いつも優しく微笑んでいる人が怒るのだから、サザは余程のことを言っているのだ。


 しかし、それでもサザは、ユタカに言いたいことがあった。


「それでは、あなたは剣士である限り、酷く傷つき続けることになってしまいます」


「それは自明のことだ。それがおれの仕事だし、やるべきことなんだ」


「そんな……」


(……本当に、仕方ないのかな?

 私はもうこの人に傷ついて欲しくないのに)


 しかし、サザはユタカに急にこんなことを言ってしまった自分の気持ちがよく分からなかった。

 優しいこの人を怒らせてまで、これを言おうと思ったのは何故だろう。

 サザを見つめるユタカから一度目を伏せると、もう一度自分の気持をよく考えてみた。


 サザはユタカの例えようもない深い優しさと孤独に、強く共感している。

 そして、ユタカの傷の深さを想い、その辛さを少しでも引き受けたいとも思った。

 この人の力になりたいと、自然に思ったのだ。

 そう考えて、サザは自分の気持ちにはっとした。


(私が、領主様のことを好きになってきているせいだ……)


 だから、婚約相手の話を聞いた時に胸がこんなに痛かったのだ。

 サザはもう一度ユタカの目を真っ直ぐに見ると、小さく一呼吸してから言った。


「仕方ないでは、終わらせたくないのです。

 それは、私が。あなたに傷ついて欲しくないからです。

 あなたのことが好きなので」


「……」


 ユタカは目を見開いてこちらを見つめた。


 サザは、こんなに素直に自分の想いを言えてしまったのが自分でも信じられなかった。しかし、それはいつも素直なユタカの言葉に感化されたからだ。


「……ごめん」


 ユタカはサザの言葉に目を伏せて俯いた。しばし押し黙った後、後悔を滲ませた顔を上げて口を開いた。


「おれは自分のことしか考えてないな」


「いえ。違います。

 領主様は、周りの人のことしか考えていないんです」


 ユタカは自問するように、もう一度沈黙して唇を噛んだ。ユタカの真っ黒な瞳が、透き通った輝きを讃えている。


「おれはどうしても、辛い思いをしている人を見捨てることが出来ないんだ。

 でも、そのことがサザを悲しませるとしたら、おれはどうしたら良いのか分からない」


「……」


 確かに、その二つは相反している。両立できる術なんてあるんだろうか。答えが見つかるかは分からないが、見つからないものは探すしか無い。


「これから、一緒に考えませんか。時間はたくさんありますから」


「……そうだな。ありがとう」


 ユタカはそう言って、ベッドの上のサザを抱きしめた。


 神、イスパハルで言うなら森の乙女達は、どうしてユタカに、類い稀な剣の腕と比類ないほどの優しい心の両方を一緒に授けてしまったのだろう。

 そのことがユタカ自身を酷く苦しめることくらい、神なら簡単に分かるだろう。


 正に神に見放されたような育ちをしてきたサザは、決して信心深くは無い。

 それでも、そう思わずにはいられなかった。


(いつか、その優しさと強さがこの人の命取りにならないように。祈ろう)


 しかし、サザはユタカと気持ちを分かち合えた温かさの中に、溶けない氷のような悲しみが小さく残ったままだということに気がついた。

 これは何だろう。サザは自分の気持を反芻した。


(そうだ。真実の誓いだ)


 真実の誓いがある限り、サザには暗殺者であるという、絶対に隠し通さないといけない秘密がある。

 ばれたらサザは死刑になる。そうなればこの人とはもう一緒にいられないのだ。


 謁見で国王と交わした言葉の、圧倒的な重みが蘇ってくる。


(私は重大な秘密を一生隠しながら、この人と一緒にいなきゃいけない……

 知れたら全部が終わっちゃう。

 それでも私は、本当にこの人と幸せに生きていけるのかな?)


 自分を抱きしめるユタカに気づかれないように、サザはほんの小さくため息をついた。

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