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暗殺者の結婚  作者: 萌木野めい
II.結婚と仕事
34/80

34.盗み聞き

 イーサの森が美しく色づく実りの秋が過ぎ、見渡す限りが雪と静寂に覆われる長い冬が訪れた。


 サザは冬の好きなところが何一つ無かった。

 冬は手がかじかんでナイフ投げが失敗しやすくなるし、組織で外に出されるような罰を与えられたときはとにかく辛かったからだ。

 そんなサザはイスパハルの中でも特に雪深いイーサで過ごす冬がとかく心配であったが、その不安はすぐに払拭された。


 トナカイの毛皮でできた民族衣装の上着は極寒の天候もものともしなかったし、犬ぞりで滑るように雪原を駆けるスピード感はサザの経験したことの無い快感だった。

 他にも、秋に摘んだ木の実で作った果実酒を温めて暖炉の側で飲んだり、澄んだ夜空に宝石の様にきらめく星やオーロラを見たりなど、イーサの人々は先祖から伝わる経験と知恵によって、長い冬を健やかに過ごすための方法を数えきれない程に持っていたのだ。

 サザは生まれて初めてオーロラを見て、そのえも言われぬ幻想的な美しさにびっくりして号泣してしまい、一緒にいたユタカを慌てさせてしまった。

 

 サザは気がつけばそんなイーサの生活の風景が大好きになっていた。


 ―


 そんな中でサザとリエリは、リストにあった五十軒ほどの家を三ヶ月程かけて少しずつ周り、今日遂に最後の家に出かけて話を聞いてきたところだ。 


今日はユタカは近衛兵の追加人員の人選のためにトゥーリとトイヴォに出かけている。今日は泊まりの予定なので、報告は明日になるだろう。

 

 サザは昼前に城に帰ってきて、自室に戻るために城の廊下と歩いていると、どこからか若いメイド達の話し声が耳に入ってきた。


 調理場の隣にある洗濯室で洗濯物を干しながら雑談しているようだ。

 雪深いイーサでは冬は洗濯物が干せなくなるため、室内に洗濯物を干すための暖炉がある広いスペースが作り付けられている。これもイーサ特有の建物の構造だろう。


 少し開いた扉から洗濯室の中を覗くと、部屋の中には洗濯ロープが張り巡らされメイドや近衛兵の宿舎で使われる沢山のシーツが干されている。メイド達の姿は見えない。連なった沢山の真っ白な布のどこかに隠れているのだろう。


 普段ならそれ以上は気にせず通り過ぎてしまうところだが、メイドの会話の中に「サザ様」という単語が聞こえたので、サザは思わず耳をそばだててしまった。


「……でも、サザ様が来てくれて良かったですよねえ。

 結局、あたしまだちゃんとお話したことないですけど、犬小屋の掃除なんて臭いきついしすっごく大変なのにやってるらしいじゃないですか。身分の高い方なのにすごいですよねえ」


(悪口言われて無くて、良かった)


 サザは扉にもたれかけながら、ほっとため息をついた。まさかサザが聞いているとは知らないメイドが話を続ける。


「でも、お嫁さん候補の五十人目って聞きましたよ。領主様、英雄とはいえ酷いですよね」


「ほんとよね。

 でも、領主様って、元々の婚約者の方を戦争で亡くされてるって話しでしょ。

 幼馴染だったそうだし。結婚しないといけない決まりっていうのも酷よね」


(……そうなの? じゃあ私とも本当は結婚したくなかったのかな?)


 サザがそう思った瞬間、自分でも驚くほどに心臓がずきりと痛んだ。まるで怪我でもしたのかと思う程の痛みに、サザは思わず自分の胸を手で押さえた。


(あれ? 私、何で今こんなに胸が痛くなったんだろ)


 大きな痛みを伴って脈打った心臓の鼓動が、少し早くなっている。サザは思わず深呼吸をした。


(……変なの。風邪引いたのかな。とりあえず部屋に戻ろっと)


 ―


「あら奥様、おかえりなさい。今日は早かったんですね」


 出かけたはずのサザがすぐに戻ってきたので、ローラが声をかけた。


「ええ、午後は犬ぞりの練習するつもりだったんだけど。

 何だか、急に胸が痛くなっちゃって。ちょっと休もうかなって思って」


「ま、まあ大変!! 

 最近ずっとお出かけになられていたから疲れが溜まっていたんでしょうね。

 すぐネロ先生を呼んできますから、寝室でお休みになって下さいね!」


「え? あ、先生を呼ぶ程では無いから……」


「いえいえ、酷くなったら大変ですよ!」


 ローラに半ば押し切られる形でサザは寝室に戻され、ベッドに寝かされた。

 程なくしてネロが診察に来てくれたが、取り立てて悪いところは無いそうで、疲れだろうとの診断だった。

 

 身体を温める作用があるとネロに処方された薬草の一束を、ローラが煮立てて薬湯にして持ってきてくれた。

 びっくりするような苦味に目を白黒させさがらも何とか飲むと、急に眠くなってしまい、サザが次に目を覚ますと日はとっぷりと暮れていた。

やはり、少しは疲れが溜まっていたのかもしれない。

 そこで急に寝室の扉が開き、慌てた様子のユタカが部屋に入ってきた。今日は泊まりの予定だったはずだ。


「サザ、大丈夫か!?」


 ユタカはサザが横たわっているベッドの傍らに座って、心配そうにこちらを見つめて、髪を撫でてくれた。サザはベッドから上半身を起こした。


「あ、はい。ありがとうございます。ネロ先生の薬を飲んで寝たらすっごく元気になりました。

 でも領主様は今日は戻られない予定では……?」


「後から来た近衛兵にサザが体調崩して寝てるって聞いたから、心配で帰ってきたんだ……残りは少しだったからトゥーリに代わってもらった」


「そ、そうだったんですか……」


(私のことを心配してくれたのかあ)


 サザはユタカが自分を心配して帰ってきてくれたことが嬉しくて嬉しくて、顔がにやけそうになってしまった。ユタカに気が付かれると恥ずかしいので矢継ぎ早に会話を続けた。


「午前は仕事に出かけて、遂に全部の家を回ったんですよ」


「そうだったのか……

 大したことなくて良かったけど、疲れてたんだろうな。

 でも遂に、全部終わったんだな。

 ありがとう。何か、分かったか?」


「ええ、少しずつ」


 サザは、今までに人々から聞いた状況を説明した。

 貧しい人の多くは、戦争で夫を失った妻と子どもの家庭だ。夫の収入で生計を立てていたので、妻が食い扶持を稼げる仕事を持っていない。仕方なく身売りしている人も多いという。


「彼女達は働きたい意志が強くありますが、その手段が身売りしか無いんです。

 それ以外の仕事が出来るようなスキルの訓練の機会が必要だと思います。

 私も、自分の体験として、そういうものがあれば自信を持って生きられたと思います」


 暗殺の仕事はサザにとってはある意味ではアイデンティティーであり、自信の源だった。自分の一部を失うような、大きな虚無感を伴った。

 そういう、単にお金を稼ぐだけではない、自信の拠り所としての仕事の大切さをサザは貧しい暮らしをしている人たちと話して、改めて実感したのだ。


「身売りしかできないなんて……それは気の毒だ。

 それにイーサはただでさえ人手が足りていないから、働きたくても働けない人は、何とかして労働力になってもらった方が良いな」


 ユタカは手を顎にあてて目を伏せた。


「彼女らが仕事に就くとしたら何が良いと思う?

 子どもがいるなら家で出来る方がいいのか?」


「家で仕事出来るなら助かる人は多いでしょうね。

 でも、小さい子どもを持つ人は常に面倒をみないといけないので満足に仕事はできなそうです。

 リエリに話を聞いたところ、中流階級以上なら就学前の幼子には乳母をつけるのが一般的だそうです。そういう女性はまとまった時間が作れるので、仕事をしている方が多いそうです。

 近衛兵も職務中は、子どもを城の中で預けられるようになっていますよね。

 それは家族の安全を守るための処置ですが、貧しい人も、そういう風に働く間に子どもの面倒をみてくれる場所があった方がいいと思います」


 ヘルミを筆頭に、子どものいる貧しい女性は自分の子以外の人との接点が断絶している人が多かった。子どもの世話を夫もおらず一人きりでやるのは物理的にはぎりぎり乗り越えられても、精神的には大きな苦労を伴う。

 サザには子どもはいないが、そこで助けてやるだけで彼女らの暮らし向きはだいぶ変わるであろうことを強く感じたのだ。


「仕事は、もちろん適正はあるでしょうが、スキルが上がれば報酬が高くなる方がやりがいを持って取り組んでもらえると思います。皆、必死で生きていますから。

 小さな工芸品や宝飾品の加工は、技術を学べば家でも出来るので向いているのではないでしょうか」


 どんなに興味があることでも、技術にきちんと見合う報酬がもらえなければ仕事して続けられない。雇う側も雇われる側も仕事に対して真剣でいてほしいというのは、サザの常々の意見だった。


「なるほどな……

 よく分かったよ。早めに対策しよう。

 技術の訓練や子どもを見てくれる施設に国から助成してもらう方法が無いか、ヴェシに急いで調べてもらうよ。

 あと、工芸品の工房で内職に回せる仕事が無いか、近衛兵に聞いて回ってもらおう。

 いや、思った以上だ。おれや近衛兵だけじゃとてもここまでは調べられなかったよ」


「少しは役に立てて良かったです」


 サザが照れて俯いて言うと、ユタカが少し真剣な表情になった。


「サザ。おれはいつもサザに助けられてる。命すらもだ。もっと自信を持っていいよ」


「あ……ありがとうございます」


 思いがけずユタカに頼まれた調査だったが、サザはこの仕事ができて本当に良かったと思っていた。


 サザが出来ることなんて、暗殺以外何も無いと思いこんでいたのだ。

 この仕事を突き詰めれば、もしかしたらサザは、暗殺者でない自分の存在価値を見いだせるかもしれない。

 そのことはサザにとって、この上なく大きな希望に感じられた。

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