33.やりがい
ヘルミと名乗った女性は、サザとリエリに椅子を推め、温かいお茶を入れてくれた。背中におぶった子はもうすぐ二歳の男の子だそうだ。
家の中は片付けも掃除も追いつかない様で、かなり乱雑になっている。部屋の隅のごみに羽虫が舞い、衛生的に不安を覚える匂いが漂う。
リエリは不安な表情を隠し切れないでいる。こういう環境に慣れていないのだろう。
ヘルミはカーモスで漁師の夫の手伝いをして暮らしていたそうだが、夫は戦争で死んだという。今はイスパハルで移民に与えられた空き家に住み、出来る範囲で畑仕事をしているらしい。
しかし、冬が長く厳しいイーサでは農業が出来る期間は長くない。
子どもがいれば何かと入り用も増えるし、働ける時間は限られる。収入は厳しいだろう。
「カーモスで私達の住んでいた村のすぐ近くで戦闘があって、勝利して帰還しようとしているイスパハルの軍に連れ帰られたんです。
捕虜にされるのかと思いましたが、意向を聞かれて、そのままイスパハルで生活を建て直させてくれました。
この方法でイスパハルに来たカーモスの人間は、国全体で百人ほどいるそうですよ。イーサの城下町にも何人かいます」
「へえ……初めて聞きました」
サザ達は戦争とは関係なく独自にカーモスを脱したので知らなかったのだ。
「カーモスの圧政に一般市民が非常に苦しめられていることを、イスパハルの国王陛下はとてもよく理解して下さっています。それに、イスパハルの人達は陛下を筆頭に移民に非常に理解して下さってます。
もちろん、私達を快く思わない方だっていらっしゃいます。心ない言葉を聞くことが全くない訳ではありませんが……生活はカーモスにいた時よりはずっとずっと良くなりました。
イスパハルに住み始めた頃は、ここは天国なんじゃないかと目覚めるたびに思っていました」
「分かります!私も全く同じことを思いました。人間に善意があるって、イスパハルに来るまで信じられなかったです。イスパハルの人はみんな、本当にいい人ばっかりで……」
「サザ様、ヘルミさんも……本当にお辛かったんですね。でも、イスパハルのことを好きになって下さって嬉しいです」
リエリがサザとヘルミの顔を交互に見て、涙ぐんだ優しい目で言った。
「それに私は、領主様に直接、命を助けて頂いたのです」
「直接? そのお話を伺ってもいいですか?」
「ええ。領主様は、カーモスの国民でも、戦争に関係の無い一般人であれば斬らずに、可能な限り助けてくれました。
後で聞いた話ですが、帰還するイスパハル陣営から移送して移民にもらうように、直接国王に打診してくれていたそうです」
(そんなことまでしてたのか)
サザは心底驚いた。
「リエリ、知っていた?」
「存じ上げませんでした……
私も従軍していましたが、守るのはイスパハルの国民だけで精一杯でした。自分の命を気にしていたらそんな余裕はとてもありませんでした」
「いや、それが普通だよね」
敵国の人間を殺すのが戦争なのだから、戦場でカーモスの人間に出会えば老若男女問わずに斬り殺すのが普通だ。自国だけでなく敵国の民まで助けていたら、身体がいくつあっても足りない。
ユタカがあれだけ強いのにこんなにも傷だらけなのは、きっと、そのせいだ。
(……その優しさのせいで、今までどれだけ傷ついてきたんだろう)
ユタカは、その心の優しさだけを見れば、剣士に向いていないだろう。
優しさのせいで負わなくていい傷まで負ってしまうからだ。
サザはユタカの深い優しさとその傷の関係に、胸が苦しくなった。
(どうしたら、あの人は傷付かずに済むんだろう。
……私に出来ることってあるのかな)
カーモスの移民同士ということで心を開いてくれたヘルミは、その後も生活についての話を聞かせてくれた。
夫が戦争で死んだ家庭はどこも生活が厳しいことや、海洋国のカーモスは森林国のイスパハルと必要とされる仕事が全く違うので職探しが難しいことなど。
「今まで、そんなご苦労をされていたんですね。全然分かっていませんでした。すみません」
「いえ。こちらこそ、サザ様のようなご身分の方にお話を聞いて頂けるとは思いませんでしたので。
もし、他の人に話を聞くのに苦労されているようでしたら、私も手伝います」
「ほ、本当ですか?お察しの通り、かなり苦労してて」
「ええ。私が直接説明すれば、きっと警戒も解けるでしょう。一緒に行きましょう」
ヘルミは微笑んだ。
—
翌日からは、ヘルミがサザ達と他の家へ一緒に来て説明してくれたので、貧しい人たちから少しずつ、話しを聞き出せるようになった。
調子が出てきたこともあり、元々身体を動かして働くのが好きなサザはリエリと一緒に来る日も来る日も、街の人達に話を聞きに行った。
リエリも最初こそ不安がっている様子だったが、サザがお世辞にも綺麗とは言えない家に躊躇なく入り、何で出来ているのかよく分からない料理を喜んで口にする様子に感化されたのか、最終的にはサザと同じ様に何も気にしなくなった。
サザ達は食事をごちそうになったり、時には泊めてもらったりしながらよく話を聞いた。
自ら馬に乗って、雪が降っていても犬ぞりに乗って、話を真摯に聴きに来てくれる領主夫人は次第に評判になり、町に出ると、皆が嬉しそうに声をかけてくれるようになった。
イーサの人達は親身になってくれるサザのことを慕って、心から喜んでくれた。
暗殺以外では自分は何も出来ることが無いと思っていたサザは、それが何よりも嬉しかった。




