32.初めての仕事
「私はイスパハルの一般的な中流階級の生まれなんです。
父は南の領地リモワの近衛兵の長で、母は貴族の娘のドレス専門のお針子です。
兄は国軍で剣士をしてます。弟は今年剣士学校に入りました」
サザと馬を並走させながら、リエリは自分の生まれのことを教えてくれた。
「へえ……リエリのご兄弟はみんな剣士なんだ。かっこいいね」
「ありがとうございます。ただ、父は強い剣士ですが昔気質で、女の私が剣士になることは大反対でしたけどね。兄と母が応援してくれました。
ただ、私はそういった比較的恵まれた環境で育ったので、貧しい暮らしをしている方と交流を持ったことは無いんです。その点が心配ではあるのですが」
「心配ないよ。リエリは私の気持ちを察してよく分かってくれたもの。
自分の考えを押し通さずに相手の気持ちをよく聞こうと思っていれば大丈夫だよ」
サザはリエリと表にある家々に一つずつ回ってみたものの、結果は散々だった。
皆、領主夫人のサザがいきなり現れたことに驚愕し、そんな身分の高い人とはこんな貧乏人は話せないと言って、家から出てきてくれずに頑なに引き下がってしまう。
ある程度予想はしていたが、思った以上だ。
サザは先日ユタカが買ってくれたシンプルな白いブラウスと茶色のスカートで、リエリにも出かける前に軍服から普段着に着替えてもらっている。
リエリは背が高いせいか、おそらく男物の黒いズボンと白いシャツにベストを着ている。リエリの凛とした雰囲気によく似合っていた。
護衛のために帯剣はしてもらっているが、普段着なら、対峙した一般の人が受ける圧はだいぶ減るだろうと思っていた。しかし、この様子から察するに、あまり関係は無かったかもしれない。
表にある五十軒のうち、断わられ続けて三十軒目まできた所で、日が暮れ始めた。
「リエリ……ごめんね。疲れたでしょ」
「いえ、私のことはお気になさらず。それにしても、ここまで上手くいかないと、挫けそうになりますね……」
「次のお宅は、あそこだね。今日はこれで最後にしよう」
サザは田畑の中にある一軒の家を指差しながら言った。
家の前では、小さな子どもをおぶった女性が洗濯物を干している。もう夕方なのに干し始めるということは昼間はよほど忙しくて時間がなかったのだろう。
森林国のイスパハルでは一般的な昔ながらの作りの木造の住宅は、あまり手入れがされていないのか、だいぶ傷んできているようだ。
サザとリエリは少し離れた木に馬を繋ぐと、歩いて家まで行って、女性に声をかけた。
「こんにちは。少しお話しを聞いてもいいですか?」
洗濯物をたらいに入れて屈んでいた女性は、急に現れたサザに仰天してこちらを見た。
「あなたは……サザ様!?」
「驚かせてごめんなさい。知って頂いているんですか? 嬉しいです」
「ええ、お姿を結婚式で拝見しました。何故こんな所へ?」
「この辺りの方の暮らしのお役に立てることがないか領主様が気遣われてます。お話を伺えればと思って来ました」
「そんな。うちはとても、領主夫人をおもてなしできるような家ではありません。どうぞ、お引取り下さい」
女性が洗濯物をたらいの中に入れたまま、スカートの裾が地面につくのも構わずに跪くようにしてサザに頭を下げた。背中の赤ん坊は眠っている。
「いえ、もてなす必要はありません。
私は元々カーモスの出の孤児で、ひどい暮らしをしていたので。お気になさらないで大丈夫です」
サザはなるべく怖がらせない様に、目線を合わせるためにしゃがみ込んで女性に話しかけた。
「カーモスの……?」
女性はたらいから水を汲もうとしたバケツを置いて、はっとした表情でこちらを見直した。
「私も、カーモスからの移民です。この子も」
「そ、そうなんですか!?」
王都にいたときはカズラとアンゼリカ以外にカーモスからの移民に会ったことが無かったサザは驚いてしまった。
「カーモスの人間同士なら。何も無い家ですが、それでよければ。お入りください」
「本当に!? どうもありがとう」
サザとリエリは顔を見合わせて、
(やった!)という感情を密かに共有した。
二人は女性に促されるまま、家の中へ入れてもらった。