31.サザの新しい仕事
「……で、今回もまた失敗したと。
しかも近衛兵とユタカを取り間違えて殺そうとしたとは。その上、攻撃すらかわされて。こないだよりずっと酷いな」
ローブの男が、カーモスの軍服の手下に強い口調で言う。場所はカーモスとイスパハルの国境近く、イーサの森の中だ。
「魔術士は始末したんだろうな。そんな奴、生かしておいても仕方ないからな」
「ええ、斬り殺して海に捨てました。しかし死ぬ間際に、妙なことを言っておりまして。
馬車に乗っていたユタカ・アトレイドの妻が、攻撃の直前にドアを蹴破って飛び降り、近衛兵を助けたと」
「近衛兵が妻を助けた、の間違いじゃないのか? あり得ないだろう」
「私達もそう思いましたが、魔術士はそう主張しておりまして。
ただ、実際そうだったところで暗殺に失敗した事には変わりありませんから死んでもらいましたが」
「その女。こないだの暗殺の時にもユタカと一緒にいたな」
「ええ」
「まさかとは思うが、念の為、その女のことを調べておけ。
カーモス出身ならカーモス側にも戸籍が残っているはずだ。それもよく見ておくんだ」
「承知しました」
ローブの男は手下達と別れると、王都トイヴォの方向に向かって馬を走らせた。
―
多くのトラブルに見舞われながらも何とか結婚式と謁見が終わり、ようやくサザの領主の妻としての生活が始まった。
イーサや城のことを十分に知ってからでないと町の人に信用してもらえないだろうというユタカの意向から、サザはローラやトゥーリやヴェシ、リエリを始めとした近衛兵達に一ヶ月ほどかけて仕事の内容を教えてもらうことになった。
しかし、皆サザに気を使ってか、丁寧に説明はしてくれるものの実際に作業をさせてもらうことは殆ど無く、それがサザには酷く物足りなかった。
サザは暗殺者だった時は常に任務かナイフ投げの練習をしていたし、サーリの酒場で働いていたときも一日中立ち仕事だった。身体を動かしていないとどうにも落ち着かない質なのだ。
しかし物足りないからといって走り込みでもしたら流石に怪しまれる。サザは戸惑うローラや近衛兵達に頼み込んで実際の仕事を手伝わせてもらった。
城ではイーサの冬の移動手段として一般的だという犬ぞり用の犬達が飼われている。飼い犬というよりは狼に近いような、身体が大きく鋭い目をした灰色の犬達だ。
サザはどういう訳か、世話を手伝うようになると日を追うごとにどんどん懐かれてしまった。
本当のところは分からないが、犬の飼育係の老人は「犬には心が綺麗な人が分かるんだよ」と言ってくれたのが嬉しかった。
犬達はサザの姿が見えると餌を持っていなくても突撃して押し倒し、サザの顔をべろべろに舐めるようになった。
それを初めて見たユタカがサザが犬に喰われていると勘違いして斬りかかろうとし、慌てた近衛兵と飼育係が全力で止めることになった。
その出来事はしばらくの間イーサの城内で笑い話になり、その話題になるとユタカは恥ずかしそうに笑った。
メイド達と訪れた森では、さまざまな木の実やきのこの見分け方を教わった。それを先祖からの贈り物として必要な分だけ大切に採集する信心深さにサザは深い感銘を受けた。
他にも、イスパハルの中でも雪深いイーサでだけ使われるという、雪の形状を示す様々な方言の不思議な響きをサザは上手く発音できず、密かに練習したりもした。
サザにはどれもがとても新鮮で、毎日が面白い事ばかりだった。
そうこうしている内に、あっという間に一ヶ月が経過した。
ユタカは毎日とても忙しく、町の人達の話を聞いたり、近衛兵の剣術の指導をしたりと、普段は殆ど出かけている。
一緒にいられる時間は多くはなかったが、朝と夕の食事の時間はなるべくサザといるようにしてくれていた。
ある日の朝食の席でユタカが言った。
「サザ、最近何やってるんだ?」
「な、何というのは……
領主様のご指示の通りに城の皆さんに仕事を教えてもらってますが」
ユタカの自明すぎる質問にサザがむっとした口調で答えたので、ユタカは慌てて付け加えた。
「いや、ごめん。聞き方が悪かったな。
城のみんながさ、サザがあれやってくれたとか、これやってくれたとか。次はこれをお見せしようとかって。サザのことばっかり嬉しそうに話すんだ」
「ああ……皆さんが色々と親切にしてくださるんです」
領主夫人として、また、イーサの住民としての生活は知らない事だらけだったのでサザは逐一質問ばかりしていた。
サザは暗殺者だった時、自分が知らないことに出くわしたら、それが暗殺に無関係でも、意識的にちゃんと調べたり、勉強するように習慣づけていた。
常に予期しない状況と隣り合わせの暗殺の仕事では、その地方特有の慣習の小さな知識の一つによって窮地を免れた経験が多くあったからだ。もちろんサザはもう暗殺者ではないのだが、一回ついてしまった癖が抜けないのだ。
しかし、地元への愛が強く親切なイーサの人々に、その態度は非常に気に入られたらしい。その内にサザが聞いていなくても、細かな方言の発音から木の実の美味しい調理法、イーサ特有の動植物の名前、近衛兵とメイドは誰が付き合っているかなんてことまで、沢山の事を教えてくれた。
「それに昨日、通りがかりにちらっと見たけど、犬小屋の掃除してただろ。
あれ結構な重労働だからそこまでやらなくていいよ」
「いえ、お気になさらず。犬が可愛いのでやりたかったのです」
(そうでもしてないと身体が鈍ってしょうがないからとは、言えないな……)
サザは本音を隠しつつ、ぎこちなくないように意識した笑みを浮かべて応えた。
「そうか……? まあ、やりたいんだったら止めないけど。
でも、みんなサザは働き者だって言ってる。十分働いてもらってるよ。
でも、ここでの生活も少しは慣れてきたか?
そろそろサザに仕事を頼みたいと思っているんだけど」
「ええ、貧しい方にお話を聞いてくること、ですね?」
「そうだ。
近衛兵の警備の傍らに、特に貧しそうな暮らしをしている家を探して表にしてもらった。この中から協力してくれそうな人に話を聞いてきて欲しいんだ」
ユタカは軍服の内ポケットから一枚の紙を取り出してサザに渡した。
紙には、家のある地域と家主の名前と家族構成が書かれている。五十軒分くらいはあるだろうか。
「きっと警戒されると思うから、最初は上手くいかないのは覚悟して欲しい。気長に頼むよ」
「頑張ってみます」
「サザの馬をいつも用意しておくよ。雪が降る様になった犬ぞりを使うといい。
犬が懐いてさえいれば馬よりずっと簡単だから、サザならすぐ乗れる様になるよ。
でも、出かける時は必ず、護衛に近衛兵を付けさせてくれるか?
狙われてるのはおれだから危険ではないと思うけど、何かあってからだと困るから」
「分かりました。ご心配頂いてありがとうございます」
(近衛兵か。それなら……)
「護衛には、リエリをつけてもらいたいのですが良いでしょうか?」
サザの正体を知っているリエリとなら、一緒に行動するのは楽だ。
それに、近衛兵の訓練場を見学した時に、たまたまリエリが剣を振るっているところを覗いたが、逞しい体付きの男性の近衛兵と戦って難なく倒していた。かなりの腕前だ。
自分の身に危険が起こるとは思わないが、いてもらえれば安心でもある。
「ああ、リエリならおれも安心だな。この後訓練場に行くから話しておくよ」
朝食の後、ユタカが話をしに行ってくれると、リエリは申し出に快く応えてくれた。しかも、今日はすぐに都合が付くという。
早速サザは、リエリと一緒に馬で出かけることにした。