29.謁見
サザは、メイドが「朝食をお持ちしました」とドアをノックする声で目を覚ました。
隣でまだぐっすり寝ているユタカをあわててゆすり起こす。
サザは昨日の晩、結局ユタカがいつ部屋に帰ってきたのか分からなかった。
きっと夜遅くまで戻れなかったのだろう。もう少し寝かせてあげたいが仕方ない。
メイドがワゴンで食事を持ってきてくれたのでとりあえず部屋の前に置いてもらい、サザはさっと身支度をしてからワゴンを部屋に入れると、ようやく起きてきたユタカと一緒に食べた。
「昨日、遅くまで大変でしたね。国王陛下のご用事は何でしたか?」
サザはユタカのティーカップに紅茶を注ぎながら尋ねた。目の下のくまが酷い。
「いや、大した話じゃなかったよ。今日の流れの確認だな」
ユタカは小さくため息をついて言った。サザの淹れた紅茶に小さく会釈してゆっくりと啜る。紅茶の湯気のあたるユタカの顔を近くで見ると、少し目が腫れているようだった。よほど寝ていないのだろう。
しかし、そんなに段取りを気にする国王の前で粗相をしないでいられるだろうか。サザは一層心配になってきた。
朝食を食べ終わると、サザの身支度を手伝うためのメイドが来てくれた。てきぱきと髪を結い、ドレスを着付けて化粧をしてくれる。
ユタカは軍服に着替え、椅子に座って膝に頬杖を付いている。目線はサザの方にあるが、心ここにあらずといった感じだ。
(相当疲れてそうだな……)
程なくして、従者が時間だと二人を呼びに来た。サザとユタカは部屋を出て従者に先導されて城の廊下を歩く。
ここまで準備が整うと、流石にユタカも無理矢理気を引き締めたようだ。くまがある以外はいつも通りの雰囲気に戻った。
同じ建物の中とは思えない程長い廊下を歩いて、やっと王の間の前まで着くと、ユタカはサザに言った。
「おれと同じにしていれば大丈夫だから。
陛下は怖そうな感じはするけど、見た目だけだから気にしなくていいよ」
「……分かりました」
とても気にしないでいる余裕はなさそうだったが、とにかく行くしかない。
目の前にした王の間への扉は見上げるほど大きかった。
扉には手を繋いで森を駆ける三人の女性と、それに続く森の動物達を現した凝ったレリーフが施されている。これは確か、イスパハルで信仰されている『森の乙女』と呼ばれる女性の神々だ。
森の乙女たちは三姉妹で、それぞれが現代、過去、未来を司っていると聞いたことがある。
ドアの前の従者が二人がかりでゆっくりと扉を開ける。
二人の足元から玉座までは赤いカーペットが敷かれ、その両脇には王国の宰相や大臣、身分の高い貴族などが集まっており、全員がこちらを見ている。
部屋の奥に玉座が2つあり、その左で国王が待ち構えているのが見えた。
(ひ……!)
サザはあまりの場違いさに怯んだが、ユタカは流石に慣れている様子で落ち着いている。
二人でカーペットの上を国王の前までまっすぐ歩いていく。
サザはカーペットの両脇に集まる人々の顔をちらりと見た。サザは誰一人知らないが、この場にいるということは恐らく宰相や大臣、貴族など、イスパハルの中でも非常に高い地位の人達なのだろう。
ゆっくりと歩みを進め、玉座の前までたどり着くとユタカが跪いたので、サザも慌てて同じように膝を折った。
イスパハルの現国王、アスカ・イスパリアがサザの眼の前にいる。
国王は確か五十才過ぎのはずだが、身体を鍛えているようでもう少し若く見える。目尻や頬には皺が刻まれているが、通った鼻筋と彫りの深い顔立ち、オリーブ色の瞳はとても凛々しい。それに座っていても分かるほどの長身だ。
だが、伸びるままに伸ばした様な髭と金髪がせっかくの端正な顔立ちを邪魔しているような気がした。
しかし、国王としては一風変わった風態によって、アスカの国王としての唯一無二さ、威厳はその前に立つ者にそのまま伝わってくる。
国王はユタカが着ているものと色違いの白地に金刺繍の軍服姿で、燕脂の厚手のマントが肩から玉座の周りへと緩やかに広がっている。
国王の右の女王の玉座と、その一段下の王子のものと思しき玉座には、束ねた白い花があしらってある。花の色から推測して、これは喪に服す意味のものだろう。
二人が亡くなってもう二十年以上になるがまだ花があるということは、国王には後妻を迎え入れる意向は無いようだ。
サザは、イスパハル国民なら誰もが知る話として酒場の客に聞いた女王の話を思い出した。
国王の妻でイスパハルの女王だったサクラ・イスパリアは、元々王都トイヴォでは名の知れた商家の娘だった。彼女の家は王宮内で使う大量の食材や物資を卸す業務を一手に引き受けていた。
サクラの父は後継ぎに男子が生まれなかったことに落胆したが、サクラは生まれ持った気丈さと父母の愛情に恵まれた育ちの良さを活かし、その父を唸らせるほどの商才を発揮したという。
サクラは王宮に入れる小麦があまりに安く買い叩かれ、農家が悲鳴をあげていることを恐れもせずにアスカに直談判しに行き、その勇気にアスカが惹かれ、結婚したそうだ。
国民は政略ではなく恋愛によって、国王より五歳も年上で平民のサクラを娶り女王としたアスカを強く支持し、二人を心から祝福した。
しかし、サクラは結婚後なかなか子どもに恵まれなかった。結婚後三年以上経ってからやっと生まれた待望の王子と共にサクラは暗殺されてしまったのだ。
その時の国民とアスカ国王の深い悲しみは想像に難くない。こんなことがあれば暗殺者が忌み嫌われるのも当然だ。
しかし、そうは言ってもこの国の後継者は必ず必要になる。
生きていれば王子はもう国務に着く年齢なので、そろそろ国王は世継ぎとして他国の王子や宰相の子を養子に取るのではという憶測が高まっていると、これも酒場の客から聞いたことがある。
「ユタカ・アトレイドか。
昨日は怪我人が出なくて本当によかったよ。
お前の身に何があっては困るから、イスパハル国軍からも剣士をイーサへ警備に向かわせるし、ルーベルを専任で付けて、暗殺の依頼者の調査も全力でする。
早くことが治まるといいな」
「ありがとうございます」
「イーサはその後どうだ?
お前の評判はよく聞いてるぞ。なかなか頑張ってるな」
「皆が努力してくれているおかげで、元々のイーサの産業である木工業は順調に回復してきています。戦争前の水準まで戻すのが当面の目標です」
「そうか。
イーサの木工芸品は有名だから、それが戻れば外貨も稼げるだろ。まだまだここからだから気を抜くなよ」
「承知しました」
「それで、お前ももう二十四だからな。
やっと嫁を迎えたわけだ」
「はい。サザ・アトレイドです」
サザはユタカに紹介されて慌てて頭を下げた。
「先日報告した森での事件でも、彼女が私を助けてくれました」
「そうか……いい人が来てくれて良かったな。サザ。お前はカーモスからの難民だそうだな。今まで大変な苦労をしただろう。ユタカを助けてくれてありがとう」
「いえ、私は何も」
身分の低い、しかも敵国であるカーモスの出身の女が領主の妻になることを全く貶さず、素直にお礼を言う国王に、サザは国王が「賢王」と呼ばれる所以を感じた。
「困ったことがあればすぐユタカに相談しろよ。
あと、ユタカは優しすぎるところがあるから、よく支えてやってくれ」
「はい……精一杯頑張ります」
国王の言葉は重く、有無を言わせない響きがあったが、言葉じりにふっと笑う時の目尻には、こちらを想う優しさが感じられた。




