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養蜂家の青年は、蜜薬師の花嫁と共に湖を眺める

 今日は特に冷え込んでいる。宿のドアマンが眉尻を下げながら話していた。

 山の暮らしのおかげで、寒いのは慣れっこだ。そう思っていたが、外に出たら寒かった。

 話すたびに、白い息が漂う。

 歩いているうちに、温かくなる。なんて考えていたが、寒いものは寒いまま。


「アニャ、大丈夫、寒くない?」

「こうすれば、寒くないわ」


 そう言って、アニャが身を寄せてきた。

 あまりにも可愛すぎる。

 思わず、天を仰いでしまった。


「じゃあ、行こうか」

「ええ」


 アニャにもっとも見せたかった、ブレッド湖。

 手を引いて、案内する。

 こちらが先導していたはずなのに、湖が見えた途端アニャは走り始めた。


「イヴァン、見えてきたわ! 湖の真ん中に、お城がある!」


 いつの間にかアニャに手を引かれ、全力疾走状態になっていた。

 肩で息をしつつ、ブレッド湖のほとりにたどり着いた。


 この寒さでは水面が凍っているのではないか。なんて心配していたが、杞憂に終わる。

 水面は美しい波紋を立てていた。

 白鳥が、優雅に泳いでいる。

 記憶のままの、美しい湖であった。


「きれい……」


 湖は太陽の光を浴び、水面はキラキラと美しい光を放っている。

 アニャはそれに負けないくらいの輝く瞳で、ブレッド湖を見つめていた。


「湖の真ん中にお城があるなんて、童話みたいだわ」

「あそこ、船で行けるんだ。あっちにある桟橋から船に――んん?」


 指差した方向にあったのは、古い桟橋だった。今は使われていない。

 そこに人がぽつんと立っていたので、驚いたわけである。


修道女シスターかしら? なんだか、絵になるわね」


 湖の桟橋に、佇む修道女。

 見えるのは後ろ姿ばかりで、表情などはうかがえない。

 どこか浮き世離れして見えるのは、なぜなのか。

 アニャと共にぼんやり眺めていたら、修道女は思いがけない行動に出た。


 ふらふらと桟橋を渡り――そのまま湖へ落ちていく。


「は!?」

「なんてことを!!」


 弾かれたように、アニャが走り始める。助けるつもりなのか。

 慌てて、あとを追いかける。

 修道女は足を滑らせて落ちた、という感じではなかった。自ら、湖に落ちていったのだ。

 冬の湖なんかに入ったら、凍死してしまう。

 いや、死ぬつもりで湖に飛び込んだのだろう。身投げ、というやつだ。


 アニャの足は速い。追いつかないと、先にアニャが湖に飛び込んでしまう。


「ちょっ、アニャ、待って! 俺が、俺が助けるから!」


 なんとかアニャを追いつき、引き留める。


「イヴァン、あの人、助けなきゃ!」

「わかったから、ここにいて。俺に任せて」


 素直に頷いてくれたので、ホッと胸をなで下ろす。

 湖を見たが、溺れている修道女の姿はない。力なく、沈んでいったのだろう。

 すぐに、助けなければ。

 上着を脱いで、桟橋まで駆ける。そのまま飛び込んだ。


 バシャン! と大きな音が鳴り、同時に刺すような冷たい水温に全身が驚く。

 湖の視界は、若干悪い。

 けれども、黒衣の修道女の姿はすぐに捉えた。

 手足をばたつかせ、力なく放り出された腕を掴む。

 抵抗されたらどうしようかと思っていたが、そのまま大人しく腕を引かれていた。

 桟橋にかかっていた、古い浮き輪をアニャが投げてくれる。

 浮き輪には縄が結ばれていて、アニャがほとりから引いてくれた。


「げほっ、げほっ……!」


 なんとか陸まで上げることに成功したものの、修道女は意識がなかった。

 おそらく、身投げしたときに気を失ってしまったのだろう。

 体が冷えているので、アニャは上着を脱いで被せてあげていた。


「ど、どうしよう。ひとまず、街の医者を呼びに行けばいい?」

「イヴァン、落ち着いて。大丈夫、私に任せて」


 アニャがそう言って、修道女のベールを取る。顔にかかっていた長い髪を寄せた瞬間、ハッとなる。

 修道女の顔に、見覚えがありすぎた。


「ロ、ロマナ!?」

「ロマナって、あのロマナ?」

「う、うん、あの、ロマナかと」


 見間違えるわけがない。

 彼女は、双子の兄サシャの元妻、ロマナだ。

 痩せ細っていて別人のようだが、間違いないだろう。

 いや、今は彼女がロマナか否か、気にしている場合ではなかった。


「ねえ、大丈夫? 修道女様? ロマナ!」


 肩を叩きながらの声かけに反応はない。

 アニャはどうするのか。見守っていたら、驚きの行動に出る。

 指先で唇をこじ開け、額に手を添える。それから顔を近づけ、ロマナに口づけしたのだ。

 否、ただの口づけではない。呼気を、送り込んでいるように見える。

 一度、二度、ふーっと大きく息を吹き込んだら、胸が上下した。さらに、ロマナの体がビクリと反応を示す。

 咳き込み、水を吐いた。


「イヴァン、彼女の体を横にして!」

「了解」


 吐いた水で呼吸困難にならないよう、体の向きを変えた。

 何度か咳き込むのと同時に、水を吐き出す。


「はあ、はあ、はあ……ううっ!!」


 ロマナの眦がふるりと震え、ゆっくりと瞼が開かれた。


「あ――」

「意識が戻ったわ!」


 アニャの大丈夫かという声に反応し、こくりと頷く。


「て、天使様……?」


 ロマナはアニャを見て、ぼそりと呟く。

 アニャはにっこり微笑みながら、「違うわよ」と答えた。 

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