養蜂家の青年は、蜜薬師の花嫁と共に旅立つ
朝――「イヴァンよりも早起きして身なりを整える!」などと宣言していたアニャだったが、いつものようにスヤスヤ健やかに眠っていた。
急ぎの旅ではない。ゆっくりお眠りなさいと、愛らしい寝顔を見つめながら思った。
毛布を剥がし、起き上がる。ひんやりと、冷気を感じた。冬の訪れを朝からこれでもかと感じてしまう。
そろり、そろりと動いていたつもりだったが、犬のヴィーテスを起こしてしまった。のっそりと顔を上げて、目をしぱしぱと瞬かせている。
「ごめんよ」
声をかけ、服を着替えた。アニャが新しく刺繍してくれた腰帯を巻いて、上着をはおる。
はりきって、朝の仕事へと挑んだ。
一通り作業を終えて、家に戻る。すると、アニャが寝間着姿のまま駆けてきて叫んだ。
「イヴァン、どうして起こしてくれなかったの!?」
「いや、アニャの寝顔が可愛かったから、そのまま寝かせておいてあげたくって」
「可愛くない!」
「いや、可愛いよ、かなり」
残念ながら、アニャは自分で自分の寝顔を見られないのだけれど。
「はあ、私って、本当に朝はダメね」
「そんなことないよ。あんなに可愛い寝顔を見せられるのって、才能だと思う」
「また、あなたはわけがわからないことを」
そんな言い合いをしている中で、フリフリエプロン姿のマクシミリニャンがスープ鍋を持ってくる。
「今日のスープの出来は最高だった。食べるといい」
「いい匂い!」
「ツヴェート様を呼んでくるわ!」
寝間着のまま外に出ようとするアニャの肩に、上着を被せてあげた。
「イヴァン、ありがとう!」
「いえいえ」
ツヴェート様を待つ間、暖炉の薪を追加でくべておいた。
「まったく、この娘は!」
「ごめんなさい」
アニャは怒られつつ、母屋に戻ってきた。いったい何があったのか。
「ツヴェート様、どうしたの?」
「年若い娘が、寝間着で歩き回るんじゃないよって言っていたのさ」
「そ、そっか」
上着のボタンを閉めてから送り出せばよかった。いや、そういう問題ではないか。
マクシミリニャンが自信作のスープが冷めるというので、食卓につく。
神に祈りを捧げ、絶品スープをいただいた。
その後、庭仕事をしていたら、アニャより支度が完了したと声がかかった。
振り返った先にいたアニャは――妖精のように美しかった。
三つ編みをクラウンのように頭に巻き、後ろの髪は高い位置でひとつにまとめていた。風が吹くと、金の髪がサラサラとなびく。
服も、普段と違う。
以前村で買ったらしいシンプルなワンピースの裾や袖に、可愛らしい花模様を刺繍したようだ。腰帯も新しく作ったようで、愛らしいノースポールの花が刺されていた。
「え、アニャ、きれい」
「ありがとう」
「いつ作ったの?」
「休憩時間に、少しずつ。ツヴェート様やお父様も手伝ってくれたの」
「お義父様まで……!」
マクシミリニャンが刺したという花を、見せてもらった。とても精緻で可愛らしいノースポールの花を刺していたようだ。
「みんな、器用だな」
「イヴァンもやってみる?」
「挑戦してみようかな」
冬の間は山に入れないので、暇を持て余しているだろう。新しいことに挑戦するのも、いいのかもしれない。
なんて話をしていると、マクシミリニャンとツヴェート様がやってくる。見送りにきてくれたようだ。
「イヴァン殿、アニャ、気を付けて行って帰ってくるんだぞ」
「他人なんてどうでもいい。自分達を大事に、旅するんだ」
マクシミリニャンとツヴェート様の言葉に、アニャとふたりで頷く。
「いってきます」
「お土産、たくさん買ってくるから」
マクシミリニャンとツヴェート様のお留守番は果たして大丈夫なのだろうか。心配だが、ふたりともいい大人だ。なんとか折り合いつけて、うまくやってほしい。
手を振りつつ、出発となった。
荷物を背に、山を下りる。
岩場を下りなければならないので、通常の手持ち型の旅行鞄は使えないのだ。
そのおかげで、旅行感は皆無だが仕方がない話なのだ。
「アニャ、大丈夫?」
「ええ」
服を汚さないよう、いつもより慎重に進んでいるようだった。
そんなアニャの速さに合わせて下りて行く。
一日目は移動で始まり、移動で終わる。昼食を食べ、夕方までに村に到着。最後のブレッド湖行きの馬車に乗って、日付が変わる前にたどり着く予定だ。
一日目は村に泊まってから行くといいと言われたものの、時間を無駄にしたくない。アニャも同じ考えだったので、このスケジュールが立てられた。
歩いては休憩しを繰り返し、昼食の時間となる。
マクシミリニャン特製、愛父弁当だ。
「お父様、何を作ってくれたのかしら?」
葉っぱに包まれていたのは、パンにカツレツが挟まれたものである。
かぶりついてみると、ウサギ肉だということがわかった。衣はサクサク。ウサギは淡泊な味わいであるものの、秋の間にしっかり肥えていたからか脂が乗っている。
衣にしっかり味がついているので、ソースがなくともおいしい。
「うん、うまい!」
「ええ、本当に」
アニャと共に、マクシミリニャンの料理を味わった。