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養蜂家の青年は、季節の変わり目を目の当たりにする

 忙しかった夏は瞬く間に過ぎていき、季節は秋に傾きつつある。

 昼間はまだまだ暑さを感じるものの、朝と夜は凍えるような寒さだ。

 この季節からこんなに寒いなんて。真冬はどれだけ寒いのか。恐ろしくなる。

 実家にいたころは、最悪だった。

 甥や姪は俺の体温が低いことを知っているのだろう。普段はもみくちゃに密着しながら眠るくせに、寒いときは近寄らずに毛布だけ奪い、自分達だけで固まって眠っているのだ。

 風邪を引いたら母や義姉達から子どもに移さないでと怒られるのが、いつものオチだった。

 一方で、アニャはといえば、がっつり俺に身を寄せて眠っていた。

 アニャは子ども並みに体温が高い。寒い朝も、アニャのおかげで暖かかった。

 しかしながら、今から起き上がらないといけないので、アニャの存在が試練となる。

 ついでに起こそうとしたものの、朝に弱い眠り姫アニャは起きそうにない。

 寝台の傍に置かれた小さな円卓には、毛糸と編み物の道具が置かれていた。夜型のアニャは、俺が眠ったあともひとりでせっせと働いていたのだろう。

 もうしばし、寝かせておいてあげよう。

 腰に回されたアニャの腕を、泣く泣く離して起き上がる。

 今日もアニャは、あどけない寝顔を惜しげもなくさらしていた。

 頬にキスくらいしても、許されるだろう。

 じわじわと接近し、アニャのなめらかな頬に唇を寄せようとしたが――アニャは寝返りを打ってしまった。

 寒いのか、身を縮めて毛布にくるまってしまう。

 なんというか、悪いことはできない世の中になっているらしい。

 可愛い寝顔を堪能できたので、よしとしよう。


 それから、朝の日課ルーティンを行う。

 家畜に餌を与え、湧き水を家に運び、鶏の卵を回収していく。

 畑に水をやりにいくと、アニャと一緒に植えた蕎麦が花を咲かせていた。

 賭けの蕎麦が芽吹いたあと、追加で種を植えたのだ。

 風が吹くと、白い花がゆらゆらと揺れる。その様子を眺めていたら、蕎麦の謂われを思いだしてしまった。


 ――新しい土地で蕎麦を蒔き、三日以内に芽が出たら、そこは種を蒔いた者にとって、相応しい場所である。


 家から持ってきた蕎麦を植えて、もしも芽吹いたらアニャと結婚する。

 そんな無謀な賭けを持ちかけたのだ。

 賭けは見事成功し、結婚に難色を示していたアニャも受け入れてくれた。

 畑で育つ蕎麦と同じように、俺自身もこの地にすっかり根付いているように思える。

 もう二度と、ここを離れる気はない。

 これからもずっと、アニャと一緒に静かに暮らすつもりだ。


 マクシミリニャンは朝食を作るために、フリフリのエプロンを纏って料理していた。

 アニャも、眠いであろう目を擦って起きてくる。

 新しい一日が始まろうとしていた。


 マクシミリニャンはツヴェート様を迎えに行くため、山を下りる。

 いつ戻るかは、わからないという。ツヴェート様の家族としっかり話し合うらしい。

 その間、アニャとふたり暮らしである。

 出荷する蜂蜜の瓶を背負う後ろ姿を、アニャと一緒に見送った。


「アニャ、短い間だけれど、ふたりきりになるね」

「そうね」


 悲しいことに、いちゃいちゃしている暇なんてない。仕事を再開させる。

 なんだろうか、ふたりきりという実感がないのは。

 やらなければならない仕事が多い上に、動物たちも大勢いるからなのだろう。


 今日はひとりで、養蜂箱の見回りに行く。大角山羊センツァに跨がり、崖の上を目指した。

 季節が巡る中で、蜜蜂たちの暮らしにも変化が訪れる。越冬する蜜蜂の子育てが始まっていた。

 蜜源となる花が少なくなるシーズンでもある。

 実家で養蜂をしていたときは、人工蜜と代用花粉を給餌していた。

 山の養蜂は秋になっても蜜源が豊富なようで、採蜜すらできる。山の草花の勢いはすばらしい。感心しっぱなしである。


 しかしながら、問題もあるという。

 山には毒を含む草花が自生している。そこから採蜜した蜂蜜は、毒を含んだものとなるのだ。

 そのため、アニャとマクシミリニャンは定期的に野山の毒草刈りに出かけているらしい。

 お昼からは、アニャと一緒に毒草探しにでかける。

 長袖に長ズボン、目には保護用眼鏡を装着し、鼻と口元は布で覆っている。

 スズメバチ退治のときよりも、重装備であった。


「臭いを吸ったり、触れたり、液体が付着しただけで毒が体に影響を及ぼすときがあるの」

「そうなんだ」


 街で暮らしていたときは、毒草とは無縁の暮らしをしていた。

 だから、蜂蜜に悪影響を及ぼす可能性があると聞いてゾッとしてしまう。


「毒の蜂蜜と知らずに食べる事件が、よその地方ではあったそうよ」


 毒を含む花から作られた蜂蜜で、中毒を引き起こしたらしい。

 嘔吐や痙攣、下痢、麻痺、呼吸困難などを引き起こし、死亡例もあると。

 蜜蜂にとって毒ではないものの、人にとっては毒となる。

 そんな人間の事情があるので、勝手ながら毒を含む草花を刈っているのだという。


「ここの山に自生しているのは、アザレアとロコ草、トリカブト――他にもあるけれど、多いのはこの三種類ね」

「なるほど」


 アニャの案内で、毒の草花がよく生える場所へと移動した。

 早速、アニャは毒の花を発見した。


「あれが、アザレアよ」


 ふっくらと膨らんだ芽をつけている。この山でのアザレアの花期は、春先から秋にかけてらしい。

 アニャは真剣な面持ちで、蕾をパチパチと切り落としていく。

 自然と共に在り続ける以上、根絶やしにすることはできないようだ。

 蕾は回収し、乾燥させたのちに処分しているらしい。


「毒だから、埋めることも焼くこともできないのよ」

「だったら、処分ってどうしているの?」

「これまではツヴェート様に渡していたわ。毒草の処分方法をご存じなの」

「そうだったんだ」


 どうやってするかは、教えてくれないらしい。


「ここにやってきたら、教えてくださるかしら?」

「教えてくれるといいね」


 一見美しく咲いている花でも、毒がある。よくよく知らないで花蜜を吸ったら、大変なことになるわけだ。


「俺、小さいときお腹が空く余り花蜜を吸ってたことがあるんだよね」

「アザレアだったら、大変なことになっていたわね」

「本当に」


 今度ツィリルに会ったら、花蜜は吸うなと注意しておかなければ。

 

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