養蜂家の青年は、ソバのケーキを食べる
家の方から、ベリーか何かを煮込んだ甘い匂いが漂ってくる。アニャがジャムを作っているのだろうか。そういえば、そろそろベリーのシーズンだと話していた。
この辺りは、ベリーの宝庫らしい。たくさん摘んで、ジャムを煮込むのが毎年の楽しみだと話していた。
台所へ繋がる扉を広げて、声をかける。
「いい匂いだね。なんのジャム?」
「ラズベリーである」
野太い声が返ってきて、その場にずっこけそうになった。
ジャムを煮込んでいたのはアニャではなく、マクシミリニャンだった。今日も、フリフリのエプロンをまとった姿で台所に立っている。
腰に手を当てて、ラズベリーを煮込む鍋を繊細に混ぜていた。
「あれ、アニャは?」
「アニャは、母屋で何か作業をしておる」
「そ、そうだったんだ。ちなみに、そのラズベリーはお義父様が摘んできたやつ?」
「もちろんだ」
今度こそその場に崩れ落ち、膝を突いてしまった。
アニャが摘んで、煮込んだジャムなんておいしいに決まっていると思っていたが――現実はジャムのように甘くない。
マクシミリニャンがひとつひとつ丁寧に摘み、心を込めてジャムを煮込む。
なんだろうか、完成したジャムを食べたら、強くなりそうな感じは。完全に、気のせいだろうけれど。
「ふむ。いいな。ほれ、イヴァン殿、できたてだ」
マクシミリニャンはそう言って、匙で掬ったラズベリージャムを「あ~ん」と差し出してきた。
いや、これ、アニャとしたかった……。
拒否するのも失礼なので、ありがたくいただく。
「うわ、甘酸っぱくておいしい!」
「そうだろう、そうだろう」
マクシミリニャン特製ラズベリーは、驚くほどおいしかった。
それを、煮沸消毒した瓶に詰め、製造日が書かれたタグ付きの紐で結ぶ。
鍋に残したラズベリージャムで、もう一品作るようだ。
「お義父様、ここで網作りをしてもいい?」
「ああ、構わない」
マクシミリニャンが何を作るのか、どういう感じで料理をするのか気になっていたのだ。いい機会だと思い、見学させていただく。
手元では網を縫いつつ、マクシミリニャンの調理風景をチラ見する。
食品庫から取り出したのは、ソバ粉だ。他に、アーモンドパウダー、粗糖、ふくらし粉、塩、他にレモンや蜂蜜、山羊の乳などが置かれている。
まず、ボウルに粉物をすべてふるい入れて、よくかき混ぜる。次に、違うボウルに蜂蜜や山羊の乳、オリーブオイルなどを垂らし、最後にレモンを拳で潰した。カットせずに、レモン汁を絞る人を初めて見た。
ふたつのボウルの中身、それからラズベリージャムを混ぜる。最後に、生のラズベリーをさっくり加えて、油を塗った長方形のケーキ型に注いでいく。
温めていたかまどで二十分ほど焼いたら、ラズベリーのケーキの完成だ。
マクシミリニャンは実にいい笑顔で、きれいに焼き上がったケーキを見せてくれた。
「え、っていうか、ソバ粉でお菓子が作れるんだ!」
「作れるぞ。ソバの風味が効いていて、うまい」
「そうなんだ」
ソバといえばパンを作ったり、水で練って団子にしたものをスープに入れたり。ごく限られた調理法しか知らなかった。
いったいどんな味がするのか、想像できない。
「これは、ミハル殿への土産として焼いたのだ」
「あ、そうだったんだ」
「ひとつは包んで、もうひとつは皆で食べよう」
ちなみに、ツィリルにはラズベリージャムを持たせてくれるらしい。まさか、土産まで用意してくれるとは。
「焼きたてを食べようぞ」
「だったら、俺が茶を淹れるね」
「では、我はアニャに声をかけておこう」
茶を持って母屋に向かう。アニャは鹿の角を使って、ナイフを作っていたようだ。ナイフを収納する革の入れ物も、手作りしている。
「これ、村で売るやつ?」
「いいえ、イヴァンのお友達と、甥っこ君にあげるやつ」
「アニャまで、用意してくれていたんだ」
「あら、お父様も用意していたの?」
「うん、これ」
ソバのケーキを指し示す。
「お父様ったら、これを作りたいがために、早朝からベリー摘みに出かけていたのね」
「そうだったんだ」
ケーキにナイフを入れると、湯気がふんわり漂う。半分焼きたてを食べて、もう半分にはブランデーを塗ってしばし熟成させるらしい。今は夏のシーズンなので、冬のように一ヶ月も熟成するのは難しいが。地下の氷室に、保管しておくらしい。
マクシミリニャンが離れから戻ってきた。ケーキを包装する油紙を取りに行っていたらしい。
丁寧にケーキを包んで、麻の紐をリボン結びで留めていた。
「これでよし、と」
「お父様、お茶にしましょう」
「そうだったな」
さっそく、ソバのケーキにかぶりつく。
ソバの持つ芳ばしい香りがふわっと鼻腔を突き抜けた。これが、ラズベリーの甘酸っぱい風味とよく合う。
「イヴァン殿、どうだ?」
「おいしい!」
「そうか」
「ミハルも、きっと喜んでくれるはず」
「だといいな」
アニャの作った鹿の角のナイフも、小躍りしながら喜ぶに違いない。
明日、数ヶ月ぶりにミハルとツィリルに会う。なんだか楽しみだ。