養蜂家の青年は、蜂蜜を採る
蜜蜂が集めた花蜜が、蜂蜜となる。蜜枠を早朝に回収し、蜂蜜を搾り取らなければいけない。
まだ真っ暗なうちから、活動を始める。
「アニャ、アニャ、起きて……」
「ううん……」
アニャは早起きが苦手。だから、ひとりで蜜枠の回収に行くと申し出たが、「私も一緒の時間から回収に行くわ」と言って聞かなかったのだ。
「アニャ~、アニャ、朝だよ」
パンをこねるようにアニャの背中をこねこね押すが、なかなか起きない。
アニャを起こすのは、朝から大変なのだ。
これまでは、主にマクシミリニャンが蜜枠の回収に行っていたらしい。暗い山道を、アニャだけで行かせるわけにはいかなかったのだろう。
今回も、ふたり一緒ならば、という条件が付いているのだ。
今日も、早朝からアニャを捏ね起こす。気分はパン職人である。
「アニャ、起きて~~!」
「んん……」
突然、アニャは寝返りを打つ。被っていた毛布がはだけ、ついでに寝間着も捲れていたからアニャの生足が露わとなった。
しかも、アニャが動くのと、俺が動くのは同時だった。
そのため、アニャの太ももを、両手でむぎゅっと握ってしまった。
「うわっ!!」
びっくりして、寝台からひっくり返りそのまま落ちてしまう。
ドン! という大きな物音で、アニャの意識は覚醒したようだ。
「あら……イヴァン、寝台から、落ちたの?」
「うん、落ちた。寝相、悪いから」
アニャの生足を揉んで、驚いて落ちたなんてかっこ悪すぎる。
いや、寝相悪くて寝台から落ちるのも、同じくらいかっこ悪いけれど。
どうやら、アニャはたった今目覚めたらしい。
ホッと胸をなで下ろす。
それにしても、アニャの太ももは、信じられないくらいやわらかかった。
もう一度触りた……いや、なんでもない。
◇◇◇
外は真っ暗。太陽が出る気配すらない。
このシーズンは毎日、この時間帯に起きていた。朝、アニャを起こすためにパン職人になること以外は、慣れっこである。
アニャとふたり、それぞれ山羊に跨がって巣箱を目指す。
当たりは真っ暗だが、センツァやクリーロは巣箱のある場所を記憶している。
ありがたいと思いつつも、真っ暗な道を進むというのは恐ろしい。
いつもは避けられる枝だって、把握できずにバチン! と頬を叩いてくれるし。
けれど、これもおいしい蜂蜜を採るためだ。我慢をしなければ。
なぜ、早朝に蜜枠を回収しに行かなければいけないのか。
それは、完成させた蜂蜜と、朝から蜜蜂が集めた不完全な蜂蜜が一枚の蜜枠で混ざらないようにするためである。
不完全な蜜が混ざっていたら、発酵しやすくなる。糖度も足りないため、腐りやすくなってしまうのだ。
巣箱のある場所までやってくる頃には、目も辺りの暗さに慣れてくる。
蜜蜂を刺激しないように巣箱の蓋をそっと開き、蜜枠を回収させていただく。
種類ごとに布に包み、持って帰るのだ。
実家では、畑の中心に立てた採蜜小屋で蜂蜜を採っていた。
しかし山の中で採蜜作業をするのは、大変危険だとマクシミリニャンは言う。
なんでも、蜂蜜の匂いに誘われて、熊がやってくるらしい。
時折、巣箱が熊に荒らされているときがあるものの、山の中でうっかり出会うよりもマシなのだという。
ちなみに、蜂蜜の味を覚えた熊は、マクシミリニャンがかならず仕留めているらしい。
でないと、次から次に巣箱を荒らしてしまうのだとか。
なんていうか、街での養蜂と比べて、山の養蜂はずいぶんハードである。
絶対に、熊とは出会いたくない。
アニャと一緒に手早く回収し、新しい巣枠を差し込む。
次から次へと、蜜枠を回収していった。
家に戻ったころには、朝日が地平線にうっすら差し込んでいた。
「アニャ、見て。朝日が、眩しい」
「そうね」
ふたりとも、無感動である。ひと仕事終えたら、眠気がぶり返してくるのだ。
ぼんやりしている時間はない。蜜枠から、蜂蜜を抽出しなければ。
まず、湯を沸かし、バターナイフのような平たい刃を持つ蜜刀を温める。
ぐつぐつ滾った湯から蜜刀を取り出し、清潔な布でお湯を拭き取る。それで、蜂蜜が入った穴を覆う蜜蓋をカットするのだ。
「あら、イヴァン。蜜蓋を切るの、上手ね」
「初めて褒めてもらった」
「そうなの?」
実家では、何をしてもできて当たり前、という空気だった。
こうして褒めてもらうと、口元が綻んでしまう。
ちなみに、蜜蓋を厚く切ると、蜂蜜が付着してもったいないのだ。だから、なるべく薄く切るようにしている。
その後、遠心分離機に蜜枠を入れて、ハンドルをぐるぐる回す。途中で向きを変えて、さらにぐるぐる回す。
採れたての蜂蜜を濾過し、煮沸消毒した瓶に詰めるのだ。
完成した蜂蜜を一列に並べる。琥珀色の、美しい蜂蜜であった。太陽の光に照らされて、宝石のように輝いて見える。
「よし、と。こんなもんか」
「ごくろうさま」
「アニャも」
さんさんと照りつける太陽を浴びながら、ぐぐっと背伸びする。
アニャは大きな欠伸をしていた。
マクシミリニャンが母屋の窓から顔を出し、声をかけてくれる。
「アニャー、イヴァン殿ー、朝食ができておるぞー!」
フリフリのエプロン姿のマクシミリニャンが、窓から身を乗り出して笑顔で手を振っていた。
朝から笑ってしまったのは、言うまでもない。