養蜂家の青年は、反省し謝罪する
アニャは膝枕を貸してくれた。なんて心優しいのか。彼女は地上に舞い降りた天使のようだと思ってしまう。
叩かれた頬を冷やしたあと、アニャは鞄に入れていた薬を取り出す。缶をパカっと開いた瞬間に、質問してみた。
「アニャ、それ、もしかして打ち身軟膏?」
「そうよ。もしかしたら、イヴァンが怪我をするかもしれないと思って、持ち歩いていたの」
「なんていうか……ごめん」
アニャは無言で、打ち身軟膏を頬に塗ってくれる。
塗り終わったあと、軟膏の入った缶の蓋をパキンと閉めた。その音が、いつもより大きく聞こえてしまった。
「アニャ、もしかして、怒っている?」
「ええ」
「お土産屋さんの奥さんに、何か言い返したほうがよかった?」
アニャはふるふると首を横に振った。
俺のへたれた対応を、怒っているわけではないようだ。
「ごめん。なんに対して怒っているのかわからないから、教えてくれると嬉しいな、と」
手をパタパタ動かしながら質問したら、アニャは素早く俺の手を取る。そして、顔を覗き込み、泣きそうになりながら言った。
「イヴァンが、怪我をするのが嫌なの! 出会ってから、何回こうやって、あなたの怪我の治療をしたと思っているの?」
「ご、ごめん」
「もっと、体を大事にしてほしい。雑に、扱わないで。あなた、自分さえ犠牲になって問題が解決したら、それでいいとか思っているでしょう?」
「まあ、うん。そういうふうに、考えているときも、ある、かな」
「イヴァンは、本当に、ばか!」
アニャはそう言った瞬間、真珠のような涙をポロポロと零す。
「アニャ、ごめん。俺、二度と、ばかな行いは、しないから」
「約束よ?」
「うん、約束」
アニャを泣かせてしまうとは、本当に情けない。
自分だけが我慢すればいいという状況は、許されないのだろう。
もっともっと考えて、行動しなければならない。
起き上がって、アニャの涙を手巾で拭ってやる。
そして、手と手を取り合い、一緒に立ち上がった。
◇◇◇
そのまま、山を登る。マクシミリニャンの売り上げは急ぎではないので、次回でいいらしい。
ふと、大事な用事を忘れていることに気づいた。
「っていうか、アニャにリボンとかレースを買ってあげたかったのに」
「そんなもの、村に売っているわけないでしょう?」
「え、そうなの?」
振り返ったアニャは、コクリと頷く。
「村で注文したら、商人が買い付けてきてくれるけれど、都から取り寄せるから高いのよ」
「ええ~」
わざわざ都から取り寄せなくても、湖畔の町だったら、普通に売っているのに。
「ミハルの店だったら、あるかも」
「ミハル?」
「友達。実家が商店なんだ」
ここで、ピンと閃く。すぐに、アニャに提案してみた。
「ねえ、アニャ。冬になったら、俺の育った町に行かない?」
「湖畔の町に?」
「そう。アニャを、ミハルに紹介したい」
きっと、めちゃくちゃ羨ましがるだろう。
「あとは、家族とか、甥とか……。まあ、一部の人達になりそうだけれど」
「私が会っても、いいの?」
「うん。むしろ、会ってほしい」
冬になれば、養蜂の仕事も一段落するだろう。
ミハルは心配しているだろうし、ツィリルだって寂しがっているはずだ。
「その、サシャは紹介できないかもしれないけれど」
「まあ、難しいお年頃ですものね」
アニャがサシャを「難しいお年頃」と言うので、笑ってしまった。
「湖畔の町で、アニャにいっぱい喜ぶような物を買ってあげたいな」
「いらないわ。私は、あなたがいるだけでいいの」
「そんな、無欲な」
そうは言っても、アニャは贈り物をしたら目一杯喜ぶだろう。俺は、アニャについては人より詳しいのだ。
◇◇◇
山の家にたどり着いたのは、夕方だった。
買い集めた荷物が思った以上に重たくて、遅くなってしまった。
マクシミリニャンは首を長くして待っていたのだろう。庭先で、手を広げて迎えてくれた。
「アニャ、イヴァン殿、よくぞ帰った!!」
アニャは抱きつきに行こうとしない。広げられた手が、手持ち無沙汰となる。
仕方がないので、俺が抱きつきに行ってあげた。
「お義父様、ただいま!」
「おお、おお……!」
ぎゅっと、力強く抱き返される。
マクシミリニャンは外で一日中仕事をしていたのだろう。土と、葉っぱの匂いがした。




