表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
54/156

養蜂家の青年は、警戒される

 アニャは厳選した平たい石を握り、湖の水面を睨む。

 遠くにいた水鳥が飛び立った瞬間、アニャは腕を大きく振りかぶった。

 手にしていた石を、水面と平行になるように投げる。

 アニャが投げた石は、スキップをするように湖の水面をぽん、ぽん、ぽんと三回跳ねた。


「やったー!」


 アニャはその場で大きく跳ね、振り返ったあと太陽よりも眩しい笑顔を見せてくれる。そして、こちらへ駆け寄り、抱きついてきた。


「イヴァン、見た? 三回も、跳ねたわ!」

「アニャ、すごいじゃん!」

「でしょう!?」


 アニャは一通りはしゃいだあとピタリと動きを止め、一歩、二歩と離れる。目を伏せ、頬を真っ赤に染めていた。

 まさか、我に返って恥ずかしくなったとか?

 これまで、まったく意識されていないと思っていたけれど、これは脈ありなのか?

 いや、自分の妻に、脈があるとかないとか、気にするのもどうかと思うが。

 しかし、男として意識されるのは嬉しい。

 アニャは俺のこと、ずっと近所の気の良い兄ちゃんみたいな感じで接していたし。

 すぐには難しいかもしれないけれど、一緒に過ごすうちに、本当の夫婦になれたらいいなと思う。


 アニャが気まずそうにしていたので、もう一度水切りを行う。石は水面で五回跳ねた。


「イヴァンは、水切りが上手いのね」

「子どものときは、誰が一番石を跳ねさせるか、争っていたんだ」


 湖畔の町は、遊び場も自ずと湖になる。最近の親は、危ないから子ども達だけで湖に行くなと叱るみたいだけれど。俺達の時代は、毎日湖に遊びに行っていた。


「熱中し過ぎて、喧嘩になるほどだったな」


 当時、一番大きな体をしていた精肉店の息子が、子ども達のリーダーだった。

 水切りも彼が一番だったのだけれど、サシャがある日記録を抜いてしまい、他の人も巻き込んで大喧嘩になったのだ。


「そういえば、イヴァン。あなた、喧嘩の仕方を知っていたじゃない」

「うん?」

「足払いとか、手を叩き下ろしたりとか、していたでしょう?」

「ああ、あれね」


 あれくらいだったら、俺にだってできる。喧嘩相手は要塞のように大きな精肉店の息子だったので、力では勝てない。だから、せこい搦め手ばかり習得していたけれど。


「喧嘩のやりかたを知っているのならば、どうしてお兄さんとの喧嘩のときは、やり返さなかったのよ」

「サシャは、もうひとりの自分だから。俺は、自分で自分のことは殴りたくないだけ。サシャは、たまに自分を殴りたくなるような人なんだ」

「よくわからないわ」

「ごめん」


 一卵性の双子は、もともとはひとつだった存在ものなのだ。

 左右対称でもある。

 俺は右利きで、サシャは左利き。

 二人同時に動いて、ぶつかることはしょっちゅうだった。

 息を合わせていないのに言葉が重なるのは、星の数ほどあったし。


「でも、双子の兄弟は不思議な世界の中で生きているって、聞いたことがあるわ」

「そうかもしれないね」


 アニャがいい感じにまとめてくれたので、この話は終了となる。

 今度こそ商品を雑貨屋さんに持ち込み、必要な布や雑貨と交換してもらった。


「イヴァン、もう一軒行くわよ」

「了解」


 アニャに手を引かれて向かった先は、村の外。少し離れた場所に、花々が咲く大規模な庭があった。奥のほうに、平屋建ての家がある。


 春の盛りを迎えた花畑は、息を呑むほど美しかった。


「アニャ、ここは?」

「染め物屋さんよ。糸や布を持って行って染めてもらうお店なの」


 自分では再現できない色を、ここで作ってもらうようだ。


「私の染め物の師匠でもあるのよ」

「だったら、挨拶をしなきゃね」

「ええ」


 庭に、麦わら帽子を被ってせっせと働くお婆さんの姿があった。


「ツヴェート様ー!」


 アニャの声に反応し、顔を上げる。警戒するように、じっと眇めた目でこちらを見ていた。六十代半ばくらいの、お婆さんである。


「お久しぶり! 元気そうで、何よりだわ」

「アニャ。あんたは相変わらず、口から生まれたみたいにお喋りだねえ」

「でしょう?」


 にこにこ返事をしつつ、ツヴェート様と呼びかけたお婆さんに手荒れ用の軟膏を差し出していた。


「押し売りかい」

「違うわ。お土産よ」


 ツヴェート様はエプロンのポケットに軟膏を入れたあと、俺のほうを睨みつける。


「で、あの男は?」

「私の旦那様よ」

「は?」

「イヴァンっていうの」

「旦那様って……」


 ツヴェート様はそう呟き、指折り数を数える。


「いや、あんたはもう十九だったか。しかし、あんなきれいな男、どこで拾ってきたんだい」

「湖畔の町の人なの。お父様が気に入って、連れ帰ってきてくれたわ」

「連れ帰って、山暮らしを受け入れたって?」

「ええ」


 アニャがここまで説明しても、警戒は解かれない。ただただ、鋭い目で見つめていた。


「アニャや。あまり大きな声では言えないが、あんたは、騙されている」

「ツヴェート様、お声、大きいわ」

「あいつに聞こえるように、わざと大きな声で言ったんだよ」

「そうだったのね。でも、大丈夫よ。騙されていないから」

「いいや、騙されている」


 ツヴェート様はずんずんとこちらへ接近し、背中や胸をバンバン叩き始めた。頬を引っ張り、歯も覗き込まれてしまう。


「体は丈夫。足腰も問題ない。歯もぜんぶあるし、肌はツヤツヤ、顔色はすこぶるいい。毛並みも抜群で、目も濁っていない。こんなド健康で若い男が、山での暮らしを選ぶわけがないだろうが!!」


 勢いに呑まれて、「まったくそのとおりなのだ!」と言いそうになってしまった。

 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ