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養蜂家の青年は、まさかの人物と邂逅する

 奥さんは目をまんまるにして、アニャと俺を見比べる。

 アニャの旦那様発言に、動揺を隠しきれていない。


「アニャ先生は――今年でいくつだったかしら?」

「一ヶ月前に、十九になったわ」

「十九!?」


 驚くのも無理はない。アニャは本当に十九歳なのか疑うレベルの童顔だから。見た目は完全に、十三歳前後である。

 最初は驚いたけれど、話してみたら十九歳の女性なので、童顔にはすっかり慣れていたのだろう。

 ただ、村の人間のすべてが、彼女が十九歳であると把握していない。だから、アニャと夫婦だと名乗ったら、俺は成人していない少女を娶った変態扱いをされてしまう可能性がある、と。


「あ、そうよね。四年前、村で蜜薬師の仕事を始めたときに、十五歳だと言っていたものね。立派な大人よね」


 奥さんは自分に言い聞かせるように、ブツブツ呟いていた。

 一度目を閉じ、深呼吸している。

 そして、目を開いた瞬間、笑顔で祝いの言葉を口にする。


「アニャ先生! おめでとう! お幸せそうで!」

「ありがとう」

「旦那さん、優しそうじゃない」

「そうなの!」


 アニャは胸を張り、とてもいい夫だと語る。なんだか恥ずかしいので、あまり褒めないでほしい。


「お祝いを用意するから、ちょっと待っていてね」

「あ、お祝いは、いいわ。大丈夫。気持ちだけで、充分だから」

「でも――」

「ありがとう。本当に、いいのよ」

「そ、そう」


 少々、遠慮の仕方が頑ななような……。奥さんも、ちょっとだけがっかりしているように見える。ここは素直に受け取っておいたほうがいいのではと思ってしまう。だが、アニャにはアニャの、付き合いかたがあるのだろう。新参者の俺が口だししていいものではない。


「それにしても、アニャ先生はカーチャと結婚するものだとばかり、思っていたわ」

「どうして?」

「一年くらい前に、本人が言っていたのよ。山を下りる覚悟ができたら、結婚してやる、みたいな感じで」

「な、なんですって!?」


 アニャの服の袖を引き、カーチャとは誰なのか質問してみる。


「私が村にやってくるたびに、からかってくるいけ好かない男よ」

「ああ、彼が、“カーチャ”なんだ」


 やはり彼は、好きな女の子をいじめたいタイプだったのだ。

 奥さんの発言から、カーチャが山に拠点を移して、養蜂を営む一家に婿入りする覚悟はなかったようだ。


 アニャは拳を握り、ワナワナと震えていた。このままでは、怒りが噴火してしまうだろう。

 奥さんには「旦那さんに、お大事にお伝えください」と言い、家を出る。

 人がいない路地裏へと、誘った。

 アニャを振り返ると、顔を真っ赤にしながら、怒りを露わにする。


「山を下りる覚悟ができたら、結婚してやるですって!? 失礼な奴!!」

「まあまあ」

「どういうつもりで言ったのかしら? もしかして、蜜薬師の私が家にいたら、安泰とでも思ったとか?」


 カーチャはアニャが可愛いので、純粋に結婚したいと思ったのだろう。けれど、素直になれずに高圧的な態度に出てしまった。

 山を下りる云々については、単にアニャの山に対する想いを知らないから言っただけだと思われる。

 アニャに、カーチャの気持ちなんて解説してやる気はさらさらないけれど。


 せっかくにこにこしていて可愛かったのに、どうしてこうなってしまったのか。

 怒るなとは、とても言えない。だって、カーチャの発言は失礼で、アニャの気持ちをまったく考えないものだったから。


「結婚するために、私が山を下りるわけないでしょう? お父様を、独りになんて――」


 だんだんと、アニャの目が潤んでくる。微かに、肩も震えていた。

 あまりにも気の毒で、胸がキリリと苦しくなる。

 もう、見ていられない。


「――アニャ」


 アニャの腕を引き、ぎゅっと抱きしめた。震える肩を、優しくぽんぽん叩く。

 嫌がられるかもと思ったけれど、アニャは俺の服を握りしめ、しばし大人しくしていた。


「アニャ、大丈夫……じゃないか」

「いいえ、大丈夫よ。ありがとう、イヴァン」


 こういうとき、「ごめんなさい」ではなく、「ありがとう」と言えるアニャが好きだと思ってしまった。

 俺には、もったいないようなお嫁さんだろう。しみじみと思ってしまう。


「なんか、これまでカーチャにいろいろ言われても平気だったのに、今日はだめだったみたい。私、弱くなっちゃったのかな?」

「違うよ。アニャは弱くない。これまで、強がっていただけだったんだよ」


 今の状態が、普通なのだ。だから、傷ついたら、隠さずに甘えてほしい。そう伝えると、アニャは淡く微笑みながら、コクンと頷いた。


「私も、イヴァンには甘えてほしいと思うし、もしもイヴァンに酷いことを言う人がいたら、こてんぱんにするから!」

「頼もしいなあ」


 落ち込んでいるように見えたけれど、なんとか復活したようでよかった。

 せっかく仕事を休んで買い物に来たのだから、普段と違うアニャを見たいし、一緒にいろいろ楽しみたい。


 思ったことをそのまま伝えると、アニャは「私も!」と返してくれた。

 心が、ほっこり温かくなる。


 アニャに手を差し出すと、遠慮気味に指先を重ねてくれた。

 こうして手を握って歩くのは、初めてかもしれない。

 アニャの手は驚くほど小さかった。この手で働いていることを考えると、少しだけ泣きそうになる。

 彼女のためにできるものは、すべてしよう。そう、心の中で誓う。

 商品を売るなんでも屋さんを目指して歩いていたら、アニャのもとに二十歳くらいの男が駆けてくる。

 ローアンバーの短髪に、日焼けした肌、わんぱくな子ども時代を過ごしたであろう面影を残す青年であった。


「おい、アニャ――!」


 嬉しそうにしていたのに、俺とアニャが手を繋いで歩いているのに気づくと露骨に顔を歪ませる。


「なっ――おい、お前、なんなんだ!?」


 同じ言葉を、そのまま言い返したいと思った。

 そんなふうに考えたのと同時に、アニャが叫ぶ。「カーチャ、何を言っているの!?」と。

 彼が、問題の“カーチャ”のようだ。

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