養蜂家の青年は、蜜薬師の花嫁の仕事っぷりを見る
アニャとふたりで山を下り、麓の村リブチェフ・ラズにたどり着く。
この前きたとき同様、のんびりとした時間が流れているような村だ。
アニャは一ヶ月ぶりらしい。心なしか、足取りが軽いように見える。実に羨ましい。俺なんか、斜面を下ったおかげで、膝はガクガクだった。まだまだ修行が足りない。
村は人がちらほらと歩いている。この前のように顔面包帯男ではないので、悪目立ちすることはなかった。
「イヴァン、先に、商品を納品しに行きましょう」
「了解」
商店まで続く道を歩いていると、途中で声をかけられる。
「アニャ先生!」
額に汗をかいた四十代くらいの細身の女性が、走ってやってくる。
「ああ、よかった。これから、山に伝書鳩を放とうと思っていたんです」
「どうかしたの?」
「夫が、昨晩から指先と口周りが酷くかぶれていて。痒くて悶え苦しんでいるのです。夜も寝られないほどだったらしくて」
「それは大変!」
アニャは俺を振り返る。今すぐ、治療に駆けつけたいのだろう。
こくりと頷くと、アニャは女性――奥さんの手を取って家に向かった。
歩きながら、アニャはかぶれについて話を聞く。
「かぶれができた前の日は、普段と何か違う行動をした?」
「特に何も……。私の作った夕食が、悪かったのかなと」
「夕食、ね」
メニューを聞いてみたが、特に口がかぶれるような毒物は含んでいるようには思えない。
「他に、何かあるかしら? たとえば、普段立ち入らない草むらに入って、普段とは異なる色合いの木イチゴでも食べたとか」
「いえ、遠くには――あ、そういえば! 家の裏手にある、カシューナッツを拾って回っていたような」
「それよ!」
アニャ曰く、生のカシューナッツは毒物を含んでいるらしい。生のままで食べると、皮膚がただれてしまう可能性があると。
ちなみに毒物は高温加熱をして、効果が出ないようにしているという。
「ああ見えて、生の状態は危険なのよ」
「はあ、カシューナッツに毒があるとは」
この辺りにあるカシューナッツは、一世紀以上前に貴族に売るための目的で樹木を輸入し、各家庭の庭先で植えてあったものだという。
通常は温かい地域でしか栽培されていないが、この辺は気候が合っているのだろう。大量に実を生らしているようだ。
現在は貴族相手の商売は破綻しているので、各家庭で楽しんでいるらしい。
と、そんな話をしているうちに、奥さんの家に到着した。そのまままっすぐ、寝室まで案内される。
そこには、寝台の上でうなり声をあげる、五十代半ばくらいの男性が横たわっていた。こちらが例の旦那さんらしい。
よくよく見たら、口元は布を噛んだ状態で、離れないよう後頭部で結んである。手足は、縄できつく縛られていた。
目元に涙をため、今にも零れそうだった。よほど、痒みが我慢できないのか。
しかしこの姿は、囚人か、それともそういう趣味の人か。
なんだか気になるので、質問してみた。
「あの、旦那さんは、いったい何を?」
「夫が希望したんです。手足が自由だと、かぶれを引っ掻いてしまうだろうから、と」
「なるほど」
一瞬、趣味だと思った自分を叱ってほしい。もちろん、率直な感想を口から出す気はないが。
アニャは寝台の近くに寄って、優しく声をかける。
「大丈夫よ。すぐに治るわ」
アニャが鞄から取り出したのは、茶色い蜂蜜。
蕎麦の蜂蜜に似ている。が、アニャ達は作っていないというので、別の種類なのだろう。
続けて、木のスプーンを取り出し、先端にちょこんと付けた。それを、旦那さんのかぶれていない部分に塗布する。
「先生……こ、これは、なんだ?」
旦那さんが不安げな様子で問いかける。
「これは、治療に使う蜂蜜に、拒絶反応をしないか調べているのよ」
しばらく経って、アニャは清潔な布で蜂蜜を拭き取った。
「かぶれていないし、赤くなってもいない。大丈夫みたいね」
蜂蜜に拒絶反応を示さなかったので、アニャの治療が始まる。
「こういったかぶれには、栗の蜂蜜が効くの」
アニャはそんなことを話しながら、旦那さんの口周りや指先に蜂蜜を塗っている。
「舐めたら、ダメだからね」
「ううっ……!」
口周りに蜂蜜を塗られて、舐めるなというのは難しい話だろう。
「先生、このかぶれは、なんだったのかわかるのか?」
「カシューナッツよ。加熱していないものには、毒があるの」
「な、なんと!」
カシューナッツの収穫は火ばさみか何かを使ってやるほうがいい。アニャは真剣な様子でアドバイスしていた。
数分経ったら、痒みがおさまってきたらしい。
少しだけ元気を取り戻した旦那さんが、アニャに感謝の言葉を伝える。
「先生、ありがとう! これで、少し眠れそうだ」
「よかったわ。あとは、安静にしていてね」
「もちろんです」
奥さんが、治療のお礼を差し出してくれた。色とりどりの刺繍糸である。
「これ、いただいてもいいの?」
「ええ。去年、はりきって作り過ぎちゃったから」
アニャは刺繍糸の入った木箱を胸に抱き、瞳を輝かせながらお礼を言っていた。
「そういえば、そちらの男性は、お弟子さん――ではない?」
「ええ、そう」
アニャは俺の腕を抱き、嬉しそうに言った。
「彼はイヴァン。私の、旦那様なの!」