表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
51/156

養蜂家の青年は、蜜薬師の花嫁の仕事っぷりを見る

 アニャとふたりで山を下り、麓の村リブチェフ・ラズにたどり着く。

 この前きたとき同様、のんびりとした時間が流れているような村だ。

 アニャは一ヶ月ぶりらしい。心なしか、足取りが軽いように見える。実に羨ましい。俺なんか、斜面を下ったおかげで、膝はガクガクだった。まだまだ修行が足りない。


 村は人がちらほらと歩いている。この前のように顔面包帯男ではないので、悪目立ちすることはなかった。


「イヴァン、先に、商品を納品しに行きましょう」

「了解」


 商店まで続く道を歩いていると、途中で声をかけられる。


「アニャ先生!」


 額に汗をかいた四十代くらいの細身の女性が、走ってやってくる。


「ああ、よかった。これから、山に伝書鳩を放とうと思っていたんです」

「どうかしたの?」

「夫が、昨晩から指先と口周りが酷くかぶれていて。痒くて悶え苦しんでいるのです。夜も寝られないほどだったらしくて」

「それは大変!」


 アニャは俺を振り返る。今すぐ、治療に駆けつけたいのだろう。

 こくりと頷くと、アニャは女性――奥さんの手を取って家に向かった。


 歩きながら、アニャはかぶれについて話を聞く。


「かぶれができた前の日は、普段と何か違う行動をした?」

「特に何も……。私の作った夕食が、悪かったのかなと」

「夕食、ね」


 メニューを聞いてみたが、特に口がかぶれるような毒物は含んでいるようには思えない。


「他に、何かあるかしら? たとえば、普段立ち入らない草むらに入って、普段とは異なる色合いの木イチゴでも食べたとか」

「いえ、遠くには――あ、そういえば! 家の裏手にある、カシューナッツを拾って回っていたような」

「それよ!」


 アニャ曰く、生のカシューナッツは毒物を含んでいるらしい。生のままで食べると、皮膚がただれてしまう可能性があると。

 ちなみに毒物は高温加熱をして、効果が出ないようにしているという。


「ああ見えて、生の状態は危険なのよ」

「はあ、カシューナッツに毒があるとは」


 この辺りにあるカシューナッツは、一世紀以上前に貴族に売るための目的で樹木を輸入し、各家庭の庭先で植えてあったものだという。

 通常は温かい地域でしか栽培されていないが、この辺は気候が合っているのだろう。大量に実を生らしているようだ。

 現在は貴族相手の商売は破綻しているので、各家庭で楽しんでいるらしい。


 と、そんな話をしているうちに、奥さんの家に到着した。そのまままっすぐ、寝室まで案内される。

 そこには、寝台の上でうなり声をあげる、五十代半ばくらいの男性が横たわっていた。こちらが例の旦那さんらしい。

 よくよく見たら、口元は布を噛んだ状態で、離れないよう後頭部で結んである。手足は、縄できつく縛られていた。

 目元に涙をため、今にも零れそうだった。よほど、痒みが我慢できないのか。


 しかしこの姿は、囚人か、それともそういう趣味の人か。

 なんだか気になるので、質問してみた。


「あの、旦那さんは、いったい何を?」

「夫が希望したんです。手足が自由だと、かぶれを引っ掻いてしまうだろうから、と」

「なるほど」


 一瞬、趣味だと思った自分を叱ってほしい。もちろん、率直な感想を口から出す気はないが。 

 アニャは寝台の近くに寄って、優しく声をかける。


「大丈夫よ。すぐに治るわ」


 アニャが鞄から取り出したのは、茶色い蜂蜜。

 蕎麦の蜂蜜に似ている。が、アニャ達は作っていないというので、別の種類なのだろう。


 続けて、木のスプーンを取り出し、先端にちょこんと付けた。それを、旦那さんのかぶれていない部分に塗布する。


「先生……こ、これは、なんだ?」


 旦那さんが不安げな様子で問いかける。


「これは、治療に使う蜂蜜に、拒絶反応をしないか調べているのよ」


 しばらく経って、アニャは清潔な布で蜂蜜を拭き取った。


「かぶれていないし、赤くなってもいない。大丈夫みたいね」


 蜂蜜に拒絶反応を示さなかったので、アニャの治療が始まる。


「こういったかぶれには、栗の蜂蜜が効くの」


 アニャはそんなことを話しながら、旦那さんの口周りや指先に蜂蜜を塗っている。


「舐めたら、ダメだからね」

「ううっ……!」


 口周りに蜂蜜を塗られて、舐めるなというのは難しい話だろう。


「先生、このかぶれは、なんだったのかわかるのか?」

「カシューナッツよ。加熱していないものには、毒があるの」

「な、なんと!」


 カシューナッツの収穫は火ばさみか何かを使ってやるほうがいい。アニャは真剣な様子でアドバイスしていた。


 数分経ったら、痒みがおさまってきたらしい。

 少しだけ元気を取り戻した旦那さんが、アニャに感謝の言葉を伝える。


「先生、ありがとう! これで、少し眠れそうだ」

「よかったわ。あとは、安静にしていてね」

「もちろんです」


 奥さんが、治療のお礼を差し出してくれた。色とりどりの刺繍糸である。


「これ、いただいてもいいの?」

「ええ。去年、はりきって作り過ぎちゃったから」


 アニャは刺繍糸の入った木箱を胸に抱き、瞳を輝かせながらお礼を言っていた。


「そういえば、そちらの男性は、お弟子さん――ではない?」

「ええ、そう」


 アニャは俺の腕を抱き、嬉しそうに言った。


「彼はイヴァン。私の、旦那様なの!」

 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ