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養蜂家と蜜薬師の花嫁  作者: 江本マシメサ


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養蜂家の青年は、腰帯について思いを馳せる

 今日も今日とて、巣枠作りに追われる。流蜜期に向けて、そこそこ忙しい日々を送っていた。

 その脇で、アニャは裁縫を始めるようだ。俺の腰帯を作るために、張り切っている。

 布は、冬に作ったリネンを使うらしい。まさか、布まで作っていたとは。

 生地に施す刺繍は、初夏に刈った山羊の毛糸を使う。鮮やかな色は、草木染めにしたものらしい。


「どんな模様にしようかしら」

「なんだか、楽しそう」

「楽しいわ。だって、お父様以外の腰帯を作るのは、初めてですもの!」


 満面の笑みで答えるアニャは、死ぬほど可愛い。天真爛漫という言葉が、擬人化したような存在だとしみじみ思う。


「どうしたの? にこにこして」

「いや、アニャが可愛いと思ったから」

「か、可愛い? 私が?」

「可愛い、可愛い」


 感じたいい気持ちは、どんどん伝えたほうがいい。人生において感じた可愛いは、惜しまないようにしている。

 相変わらず、アニャは「可愛い」と言うと、顔を真っ赤にして盛大に照れてくれる。

 これが、重ねて可愛いのだ。

 可愛いは、可愛いを呼ぶ。知らない人が多いけれど、いちいち教えてあげるほど親切ではない。

 特にこの、アニャの可愛いは独り占めしたい。だって、彼女は俺だけの花嫁だから。


 頬に手を当ててにこにこしつつ照れていたアニャだが、ふと何かを思いだしたのか真顔になる。


「ええ、イヴァン。もしかして、ロマナさんにも可愛いって言っていたの?」

「なんで、ロマナが出てくるの?」

「だって、軽率に可愛いとか言ってくるし!」

「前にも言ったけれど、血の繋がった身内以外で、可愛いと思っているのはアニャだけだよ」

「そ、そう?」


 一回、ポロッとロマナの名を口にしてからというもの、アニャはしきりに気にしてくる。

 ロマナが俺のことを好きだったという話は一切していない。それなのに、ロマナと比べてどうかと聞きたがる。

 女の勘なのだろうか。鋭すぎる。


 アニャの機嫌はすぐに直り、鼻歌を歌いつつ山羊の毛糸を選び始める。


「イヴァンの髪色は銀色だから、濃い色がいいわよね」

「アニャ、これ、銀じゃなくて、濁った灰色」


 毛先が自由にはね広がった髪は、麦わらを燃やしたときにできる灰色に似ているとミハルに言われたことがある。くすんだ、曇天のような色合いなのだ。

 最近、アニャ特製の蜂蜜石鹸で洗っているからか、コシと艶が増した気がするけれど、銀色にはほど遠い。


「あら、知らないのね。太陽の光に当たるイヴァンの髪色は、銀色に輝いているのよ」

「そうなんだ。外でそういう風に見えているなんて、知らなかった」

「自分じゃ確認しようがないものね」

「まあ、うん」


 アニャは濃い緑色の毛糸を手に取り、こちらへ向けて右目を眇める。


「うん、この色がいいわ」


 ハンターグリーンという、狩猟服によく用いられる緑らしい。


「ホーソンという木の葉っぱを使って色づけしたものなの。ホーソンは動物性の繊維だったら、こんなふうに濃くて鮮やかな色がでるのよ」

「へえ、素材によって、出る色が違うんだ。面白そう」

「そうなの。なかなかはまるわよ、草木染めは」

「今度、やってみようかな」

「だったら、一緒にやりましょう」

「楽しみにしている」


 ここでの暮らしは仕事が山のようにある。けれど、楽しみも山のようにあるのだ。

 ひとつひとつの作業が新鮮で、面白い。

 草木染めも、どういうふうに染めるのか楽しみだ。


「腰周りを、採寸するわね」

「どうぞ、ご自由に」


 巣枠を組み立てているので、勝手にしてくださいという姿勢でいる。

 アニャは背後から接近し、ぎゅっと抱きついてきた。

 彼女のやわらかな体が、背中にぐぐっと押しつけられる。


「ちょっ、アニャ!」

「イヴァン、動かないで」


 背後から抱きつくように採寸されるなんて、想像もしていなかった。いろいろと心臓に悪い。

 アニャはすぐに離れる。ホッとするのと同時に、どこか惜しく思う気持ちもった。


「イヴァン、あなた、けっこう着痩せするのね。思っていた以上に、ガッシリしていたわ」

「もっとガリガリだと思っていた?」

「まあ、正直に言えば。でも、骨と皮だけだったから、もっと太ったほうがいいわ。」

「ここで暮らしていたら、きっと一年後にはムクムクになっていると思う」

「ムクムクになりなさい」


 アニャが腕によりをかけて、おいしい料理を作ってくれるという。ありがたすぎて、涙が出そうになった。


「さてと――」


 アニャは白墨チョークを手に取り、生地にさらさらと下絵を描いていく。いったい何の模様を作ってくれるのか。

 五分後、アニャは下絵を見せてくれた。


「イヴァン、見て。蔦模様にしようと思うの」


 アニャの描く蔦は、葉や小さな花が付いており、精緻な模様になりそうだ。

 ここで、ふと気づく。


「あ――」


 よからぬことが喉までせり上がってきたが、慌てて口を塞いだ。


「え、何?」 

「な、なんでもない」 

「なんでもなくはないでしょうよ。言いなさい」

「本当に、何でもない」


 アニャは素早く眼前にやってきて、キッと鋭い目を向ける。


「イヴァン、言いなさい」

「はい」


 渋々と、言おうとしていたことをアニャに告げた。


「ロマナが作った腰帯も、蔦模様だったんだ」

「具体的に、どんな模様だったの?」

「なんか、帯に巻きついているような」


 白墨を手渡されたので、布地の切れ端に模様を描く。

 すると、アニャはハッとなった。


「イヴァン、それは蔦じゃなくて、蔓よ」

「蔓と蔦って、どう違うんだっけ?」

「蔓は植物の茎が伸びたものの総称で、いろんなものに巻きついて成長するの。蔦は、地面に根を張ってどこまでも伝って伸びていく植物よ」

「あー、なるほど。蔓と蔦を混同していたかも」

「ロマナさんが刺したのは、蔓日々草ね」

「へえ、そうなんだ」

「花言葉は、“楽しき思い出”、“幼なじみ”。幸福と繁栄を願う言い伝えもあるわ」


 あの腰帯に、そんな思いが詰まっていたなんてしらなかった。


「それとは別に、“束縛”や“縁結び”の意味合いもあるんだけれど」

「ん? なんか言った?」

「いいえ、なんでも」


 蔓のイメージは、家族という大樹に絡まり離れられなくなっていたかつての自分のようだと思った。


「アニャが刺そうとしていた蔦は、どういう意味があったの?」

「“結婚”よ。もうひとつは、秘密」

「なんか気になるんだけれど」

「今度、気が向いたら教えるわ。それよりも、腰帯の完成を楽しみにしていて」

「わかった」


 周囲に関係なく、どんどん伸びていく蔦。

 今の俺に相応しい、腰帯が完成しそうだ。

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