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養蜂家の青年は、大角山羊に騎乗する

 見たこともないくらいドでかい山羊を前に、たじろぐ。

 黒い大山羊、センツァは欠片も、俺を気にしていなかった。

 それにしても、見事な角だ。これでなぎ払われた日には、体はぶっ飛んで即死だろう。


「まずは、センツァに挨拶するの。山羊は、額で挨拶をするのよ」

「そう、だったんだ」


 以前、山羊の世話に行ったとき、山羊に何度も頭突きをされた記憶がある。あれは、挨拶だったのか。山羊は力が強い。しゃがみ込んでいるときに頭突きをされて、盛大に転んだ覚えもある。

 この大山羊に頭突きなんかされた日には、俺の額が割れて出血するのでは?

 恐ろし過ぎる。


「まずは声をかけて、鼻先から額にかけて優しく撫でるのよ」

「了解」


 できれば近づきたくないけれど、こちらが怖がったら山羊も不安になる。こうなったら、開き直るしかない。


 山羊は友達! 山羊は友達! 山羊は友達!

 心の中で何度も言い聞かせ、一歩、一歩と接近する。


 センツァはやっと俺を見た。細い長方形の瞳孔が、ただ一点に向けられている。


「やあ、センツァ。いい天気だね」


 自分でも驚くほど、棒読みになってしまった。

 少し離れた場所で見守っていたアニャが、口元を押さえて笑っている様子を視界の端で捉える。集中力が途切れるので、角度を変えて彼女が入らないようにした。 


 まず、拳を差し出して匂いを嗅がせる。犬は、たいていこれをすれば受け入れてくれる。山羊に通用するのかはわからないけれど。

 センツァは興味があるのか、くんくん嗅いでくる。そして、ペロリと舐めた。

 声が出そうになったが、ぐっと我慢した。


「イヴァン、ペロペロ舐めるのも、山羊の挨拶なの」

「そうなんだ」


 ひとまず、挨拶を返してくれたので、鼻先から額にかけて撫でてあげた。

 アニャがもっと強くしてもいいというので、爪を立ててガシガシ掻くように撫でてやる。すると、気持ちがいいのか、目を細めていた。


「慣れてきたら、顎の下や頬を撫でてあげて」

「了解」


 額を右手でガシガシ撫で、左手で顎の下を優しく撫でてやる。お気に召したのか、もっとやれと接近してきた。


「もう、それくらいでいいわ。センツァはきっと、あなたを背中に乗せてくれるはず」

「そう、よかった」


 ホッと胸をなで下ろしていたら、センツァは額を寄せてきた。

 巨大な角も迫り、悲鳴を上げたい気持ちをぐっと抑える。

 すると、センツァは額と額を軽く合わせて、優しくスリスリとすり寄ってきた。

 こんなに大きな体なのに、人間が非力で弱い生き物だとわかっているのだろう。

 山羊について、ずっと思い違いをしていた。個人的に誤解していただけで、心優しい存在であった。


「じゃあ、頭絡の付け方を教えるわね」


 手綱を首にかけ、まずははみを口に銜えさせ、噛ませる。頭部にベルトを合わせ、項部分のベルトを締める。次に、鼻部分のベルトを締め、最後に喉部分のベルトを締めるようだ。


「喉元は、きっちり締めなくてもいいわ。指が一本か二本、通るくらいベルトに余裕を持って」

「わかった」


 山羊に頭絡を付けるなんて、ありえない。嫌がるだろうと思っていたが、案外すんなり受け入れている。いったいどうやって躾けたのか、謎が深まる。


 頭絡を付け終わったら、鞍を装着する。これも、センツァは嫌がらずに受け入れた。

 準備が整うと、ついに騎乗する段階までたどり着いてしまう。


「乗り方は、片足で鐙を踏んで、一気に上がるの。躊躇っていたら山羊の負担になるから、一気にサッと上がるのよ」


 アニャはそう行って、白い大山羊クリーロに軽々と跨がっていた。


「さあ、イヴァンも乗ってみて」

「うん」


 準備が終わって尚、乗れる気がしないがやるしかない。

 センツァの額をガシガシ撫で、頼んだぞと声をかけてから乗ってみる。

 手綱を手にした状態で鐙に足をかけ、一気に上がった。鞍に跨がり、腰を下ろす。


「うわ、乗れた」

「いいじゃない」


 操縦は馬と一緒らしい。しかし、乗馬なんてしたことがない。そう答えると、アニャは操縦方法を教えてくれた。


「歩かせるときは、左右の踵でお腹をポン! って蹴るの。軽く走らせたいときは、お腹をポンポン! って蹴る。曲がる時は、曲がりたい方向の手綱を引くのよ。止まるときは、少し立ち上がって手綱を引く。わかった?」

「やってみる」


 アニャが教えてくれたとおり、センツァの腹を踵で軽く蹴った。すると、ゆっくり歩き始める。

 庭をぐるぐる周り、時折軽く走ってみせた。センツァは従順で、きちんと指示に従ってくれる。


「イヴァン、上手じゃない」


 ただ、ここで喜んではいけない。もう一段階、試練があるのだ。

 それは、崖を登ること。考えただけでも、身が竦んでしまう。


 崖を登るときは、木で作った笛で合図を出すらしい。紐が付いた、平たい笛である。


「これ、使っていないものだから、どうぞ」

「ありがとう」


 受け取ったあと、アニャは信じられないことを言った。


「じゃあ、今から崖を登りましょうか」


 まだ崖を登ってもいないのに、肝がスッと冷えた。

 

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